1-2 ブルズアイな彼女

 よくよく見ると、どうやらあの人はいつもいるらしかった。遅かれ早かれ、僕がシューティングレンジに訪れるときにはすでに銃口をターゲットに向けていることもあれば、僕が何発か撃ち込んで一息ついたときにふと見やれば、いつの間にか射撃の準備をしている姿が目に入るのだった。


 僕はてっきりこの手の趣味というと男性ばかりがやってくるものだと思い込んでいた。だからあのお方も男性だと思っていたのだが、あるとき、僕がレーンに入って遅れること十数分してやってきたのがスカート姿だったものだからびっくりしてしまった。勝手な勘違い以外の何物でもなかったわけだが、しかし、僕の中では相当の衝撃を以てその姿が印象づけられるのだった。


 淡い色合いのロングスカート、トップスには濃い青のジャケット。ジャケットの胴の部分が胸の丈ほどに短いのは、そういう作りなのだろう。


 『彼女』はその姿で射撃の準備を進めた。ターゲットを片手にスカートをたなびかせながら颯爽と歩く姿、僕はずっと目で追っていた。ずっと凝視をしていてターゲットの設置を終えたことも気づかなくて、くるり振り返った瞬間になってついにそれを気付いたのだった。見ているのを知られてしまったかもしれないと思いながらも視線を離すことはできなかった。


 幸い気付いていなないらしい、僕には少なくともそう見えた。彼女は一直線にレーンのテーブルに戻ればピストルの準備に取りかかった。ピストルの下部の青い部分にエアガン用ガスボンベを突き立てた。数秒もしないうちに突き立てたところから液がほとばしり、その横で気化してなくなるのだ。


 ちょっと待て僕は僕の射撃をしないと。自分がレーンを借りている目的を忘れかけていて、再びピストルのグリップを握った。残っている弾の数を確認すれば、八発ぐらいは残っていた。


 いざ気持ちを集中させてターゲットに立ち向かうわけだが、はじめはよかった。一つ一つの体の立ち位置を意識しながらターゲットを狙えば、なんとなく手応えがあって。しかし数発発射すれば手応えがなくなって。


 ピストルを置いて単眼鏡を覗き込んでみれば、あろうことか一発は紙の隅っこ、五点の線からはるか遠くに刻まれていた。


 単眼鏡を離してからは自然と彼女の銃に目がいってしまう。


 いけない。改めて自らのターゲットを見据えた。ピストルを握って狙いを定めてみたもののしっくり来なかった。撃つのをやめてグリップを握り直した。一度強く握ってみてグリップとの密着具合を確かめる。隙間なく当たっているのを感じ取って再びの構え。


 狙う先は一〇−X。


 照準器の凸凹をあわせて中央の印を狙う。しかしそれっぽい雰囲気があるだけで姿は定かではなかった。


 隣から聞こえる着弾の音。ややあってからの着弾音がして、同じペースで撃ち込まれているのを知った。ペースが変わらないということは同じ姿勢、ルーチンで射撃ができているということ。


 射撃を繰り返す彼女の姿は美しかった。同じ動画を繰り返し見ているかのようだった。テレビでちらっとみるぐらいしかなかったが、能の振る舞いはこのようなものではなかろうか。あるいは朝の公園で老人たちが舞う太極拳のような感じだろうか。


 彼女が銃をゆっくりと下ろした。スタンバイの構えを解くことなく射撃のタイミングを逃した。射撃音がするだろうタイミングでも銃口が上がることなく、ついには銃をテーブルに置くのだった。


 学習した僕は彼女への眼差しを自らの的に向けて、さもこれから射撃をやるぞ、という雰囲気を出した気になる。自己暗示のように、十発で七十点はとるぞ、と繰り返し念じて銃を取って空気を圧縮する操作に入った。


 拳銃の下のチャンバーのところでピカピカ光っているレバーを一往復させて空気を送り込み、照準器近くのレバーを操作して装填する。


 ターゲットに対して真横を向くように立って、銃のグリップを確かめた。


 遊んでいる左手はポケットの中。


 僕はロボット、僕はロボット、だから絶対ぶれない、と言い聞かせながら的を狙う。


 一つ一つの所作を全力に意識しなければどこかで集中が途切れて彼女のことを見てしまいそうだった。とてもじゃないが射撃ができるような精神状態ではなかった。だからといって射撃を止めてしまえば、僕は彼女をずっと見てしまうのだろう。根拠のない自信があった。ただの気持ち悪い男だ。


 五発の射撃を終えて得点の状況を確認するときも強く自分を意識して単眼鏡を覗いた。左側にはコンクリート壁が迫って僕だけがここにいるのだ。ターゲットについたかすかな跡に目を凝らすのだ。僕とレーン、ターゲットだけの空間。


 十点。八点。八点。五点。五点。


 決してよい点数ではなかった。狭い空間に閉じこもったはずなのに、気を散らすものがないはずなのに、作り出した空間の外にいるあの人が気になって仕方がなかった。もう一セット繰り返そうとしてみたものの、気持ちは身勝手に高ぶってゆくばかりだった。


 射撃の段階は特にひどかった。ターゲットを見据えるところに、拳銃のブレを抑えるところに、美しの君に目を向けないようにするところに、それぞれに気を使わなければならなかった。


 五発を終えて頭の中にあることは七十点をとるという自己暗示ではなく、彼女の姿を目に収めたいという浅はかな欲求だった。思いをこらえるだけの気力は十発の射撃ですっかり奪われてしまっていたのだから、この内なる声に抗うことはできなかった。鉛のように重い思考では冷静に考えるのも難しかった。


 十発を撃った余韻を噛みしめることもなければ、単眼鏡を覗き込んだりターゲットを回収して得点を確かめることもしなかった。手に隙間なくくっつくピストルを置いて見るのは隣のレーンだった。


 彼女に見られてしまう可能性を全く忘れて見てみれば、どうしてだろう、目線がぴたと重なるのだった。


 彼女のゴーグル越しの目。明るい色合いの瞳だった。


 頭に漂う霧が強風に薙ぎ払われるかのような感覚と氷水を浴びせかけられたかのような衝撃がないまぜになって僕に襲いかかってきた。どうして僕は彼女の目を見ているのだろうか? 彼女の構えでは僕のいるレーンには背を向けているはずなのに、こちらを向いているのはなぜ?


 答えを知ってはっとしたときには彼女は見覚えのある構えをしていた。何事もなかったかのように射撃をはじめた。


 その日は結局気持ちの整理がつかなくてそのままシューティングレンジをあとにした。ひどい動揺の初回だったが、しかし二回目となるとそれほど気持ちを乱されることなかった。慣れというやつである。落ち着けるようになって周囲に目を向けていれば、どうやら彼女も僕を見ているらしかった。射撃をしている間、彼女のレーンで発射された痕跡を耳で感じ取ることはなかった。十発を打ち終えてちらり横を見ると、栗色の瞳がちょうど視線をそらすところで、そうしてから彼女の番がはじまるのだ。


 僕は静かに彼女の射撃を観戦する。出場選手は一人で、観客の席は一つのみ。


 彼女のプレーが終われば観客席とステージとを交換して、今度は僕の番になる。


 僕の射撃を彼女が見ている。視界の中に見えていないと言えども、想像の中ではじっと眺める姿があった。

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