第38話 渡された連絡先

 悠一さん、あの綺麗な人と知り合いなのだろうか。

 目線を悠一さんの方へと向ける。悠一さんは一瞬だけ顔色を変えたような気がした。


「じゃあ、休憩行ってくるから」


 だけど私が視線を向けると、悠一さんはすぐにいつもの表情に戻り、そそくさと奥に引っ込んでしまった。


 あれっ、悠一さんの知り合いじゃないのかな。お話しなくてもいいのかな?


「あの」


 戸惑っていると先ほどの綺麗な女性が私に向かって笑いかけてきた。


「は、はいっ」


 思わず声が上ずる。サラリと綺麗な髪が揺れて、香水のいい香りがした。上品で、凛としていて、そこに立っているだけで店の空気が変わるような、そんな人。


「あなた、ここの従業員?」


 色素の薄い、大きくて綺麗な瞳がこちらを見つめる。


「はい。あの、悠一さん……店長のお知り合いの方でしょうか?」


「ええそう。私は水沢咲。悠一とは昔、ちょっとね」


 悪戯っぽく笑う咲さん。


 鈍感な私でもそれを聞いて何となくピンと来てしまった。もしかしてこの人、悠一さんの元カノなのではないだろうか。

 

 美男美女でお似合いだし、きっとそうに違いない。それなら悠一さんが気まずそうにしていたのも分かるし。


「あ、あの、店長は休憩に入っておりまして。あと一時間ほどしたら戻って来ますが」


 オロオロと奥を指さすと、咲さんはクスリと笑った。


「いえ、私もたまたま時間が空いたから来ただけなの。お菓子を買ったらすぐに帰るから大丈夫よ」


「そうですか」


 店の商品を手に取りじっくりと見始める咲さん。私の心臓はドクドクと音を立てて鳴りっ放しだった。


「ここのおすすめってどれかしら」


「あ、はい。この栗まんじゅうはいかがですか」


「栗まんじゅう?」


 咲さんは少し困ったように笑った。


「ごめんなさい、私、餡子ってあんまり好きじゃないの。それにお客様に出すには少し地味かもしれないし」


「あ、はい。でしたらこちらのどら焼きはいかがですか。カスタードやチーズ味もありますし。それからこちらのカステラもおすすめですよ」


 咲さんは私が薦めたお菓子を、姿勢よくじっくりと眺めた。


「カステラ?」


「はい。日持ちもしますし、手土産として不動の人気がある商品ですよ」


 カステラは江戸時代に伝わったポルトガルの焼き菓子、「パン・デ・ロー」が原型といわれている。


 しかしバターなどの油脂を使わず、水あめを使うことから生まれるしっとりとした口当たりは日本独特のもの。


 卵と砂糖をたくさん使うことから、滋養のある贅沢なお菓子とされ、昔から大切な人への贈り物やお土産として愛されてきたお菓子である。


 ……って、全部悠一さんからの受け売りなんだけどね。


「じゃあ、カステラを一箱いただくわ。それと」


 咲さんは鞄から何かを取り出した。


「悠一にこれ、渡してくれないかしら」


 綺麗に塗られたピンクパールのネイル。渡されたのは、四つ折りになった一枚の紙だった。


「あの人、連絡先を変えちゃったみたいだから」


「は、はい。ありがとうございました」


 私はポカンと口を開けたまま、咲さんの形の良い脚がコツコツと足音を立てて出ていくのを見送った。


 なぜだろう。背中からは妙な汗が一筋流れた。





「――という訳なんですが」


 仕事が終わり、悠一さんにメモを渡す。悠一さんはメモの中身を確認すると、あからさまに溜息をつきながらメモをゴミ箱に捨てた。


「ああっ」


 私が慌てると、悠一さんは少し怪訝そうな顔をしてこちらを見た。


「なに?」


「どど、どうして捨てるんですか。連絡してあげないんですか?」


「連絡してどうするの。咲とは確かに昔付き合ってたけど、もう終わったし」


 ああ、やっぱり咲さんは元カノだったんだ。


 私はお店に来た咲さんの百合の花みたいな凛とした美しさを思い出した。


 あの人だったら、いくらでも他の素敵な男性と付き合えるだろうに、やっぱり悠一さんがいいのだろうか。だってわざわざ店まで足を運んで連絡先を教えてくれたんだから。


 悠一さんはふぅと小さく息を吐いてスマホを手に取った。


「二年くらい前かな、友達と釣りに出かけたらスマホを川に落として水没しちゃったんだよね。それで連絡先とかも全部消えて」


「そうだったんですか」


「それでも家族とか仲のいい友達とかには連絡先を聞いて入れ直したんだけどさ、その頃には咲とは別れてたし、今更って思ったから聞かなかったんだよね。それでこの二年間、特に不自由したこともなかったし、今更特に話すこともないから、咲の連絡先を入れる必要は無いよ」


「そう――ですか」


 なんだか胸がちくちくした。


 偶然小さい雑誌の記事で悠一さんを見つけて、一人でここまでやってきて……どういう気持ちで咲さんが店に来たのだろう。

 それなのに悠一さんは、連絡を取ってもくれないなんて。そう考えるだけで泣きそうになった。





 次に咲さんと会ったのは、たまたま近所のコンビニに出かけている時だった。


 私が新作のスイーツを見ていると、気がついたら咲さんが横に居たのだ。


「こんにちは」


「こ、こんにちは」


 まさかコンビニで会うとは思ってもみなかったので、少しギョッとしてしまう。ひょっとして、この近くに住んでるのかな。


 咲さんはニコリと笑い私の顔を覗きこんだ。


「ちょっといいかしら。今、時間ある?」


「えっ」


「話があるの」


 戸惑ったけれど、私は訳が分からないまま咲さんと近所の喫茶店へとやってきた。咲さんの推しの強さに負けたのだ。


「あの、話って何でしょうか」


 恐る恐る切り出すと、咲さんは眉間に皺を寄せ険しい表情になった。


「私の連絡先、ちゃんと悠一に渡してくれたかしら」


「は、はい」


 そっか。もしかしてこの人、私が連絡先をちゃんと渡さなかったと思ってるのかな。連絡先を渡したのに悠一さんから連絡がないから……。


 私は少し考えて言葉を選びながら答えた。


「今はお客さんも増えましたし、商品開発とかできっと忙しいんだと思います。ほら、悠一さんって用事がないと連絡しないタイプですし」


「確かにそうね。あの人はそういうタイプだから」


 咲さんはそっと目を伏せる。長いまつ毛が陶器のような肌に影を落とした。彼女の形の良い唇が、静かな口調で語り始めた。


「実は私、三年くらい前に悠一と別れたの。ある日突然、悠一が勤めている会社を辞めて実家に戻って和菓子屋をするって言い出して――それで私も仕事の都合とかあったから、合わなくなってしまって」


 咲さんが悲しそうに手元のアイスコーヒーに視線を落とす。


「悠一とは長い付き合いでね、五年も付き合ってたの。私、あのころは彼と結婚するんだと漠然と思ってた。結局駄目だったけど……」


「そうなんですね」


 悠一さんと咲さん、そんなに長い間付き合ってたんだ。ズキンと胸が痛む。


「ねぇ、突然こんなお願いして悪いけど、私と悠一がよりを戻すのを手伝って貰えないかな」


「えっ」


「ね、お願い。私たち別れてしまったけど、嫌いあって別れたわけじゃないの。会えばきっとまた昔を思い出してくれるわ」


 顔を上げると、咲さんの水晶みたいに澄んだ目がこちらをじっと見つめていた。


「だからお願い。私と悠一の仲をとりもってくれない?」



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