第18話 なつかしの味
「ただいまー。秋葉くーん、悠一たち連れてきたよー」
アパートの一室のドアを開け、大声を出す大吉さん。
やがてドタドタと足音がして、秋葉くんがひょっこりと顔を出した。
「あー、うっせぇ。そんな大声出さなくても聞こえるっつーの」
「うう、相変わらず冷たいなぁ、マイ・プリティー・ボーイ……」
「うぜぇ」
秋葉くんに一括され、大吉さんはしゅんと落ち込んでみせる。な、何だか愉快なお兄さんだな……。
「ま、このウザいのは置いといて、とりあえず悠兄と果歩は上がれよ」
「お、おじゃまします」
秋葉くんに促され、部屋の中へと入る。玄関は狭いが、中は意外と綺麗な2LDKだ。
「わぁ、綺麗ですね。まだ新しいんじゃないですか?」
「うん。親父とお袋が亡くなってから一軒家をアパートにしたから」
悠一さんが教えてくれる。
「立地もいいから部屋もすぐ埋まってね。家賃収入があるからありがたいよ」
「まあ、少し狭いけど二人で住むなら十分だしな。悠兄は店の二階があるし」
そっか、それで悠一さんだけお店の二階に住んでるんだ。
「さぁ、みんなたっぷり食べるんだぞー」
やがて大吉さんが作ったカレーが運ばれてくる。
エビやイカ、アサリとトマトが入った赤っぽい色のカレーは、私が普段家で食べているものと少し違う。でも魚介の香りがして凄く美味しそう。
「わぁ、美味しそう」
「でしょでしょ? 僕の得意料理」
大吉さんが得意げにする。
早速食べてみると、トマトの酸味と魚介の風味がマッチしていて、なんだかとっても癖になる味だ。
「わぁ、美味しいですね」
「おかわり」
秋葉くんはカレーをかきこみ、早くも二杯目に突入してる。さすがは食べ盛りの男子。あの細い体のどこにあの量が入るのだろう。
「ふー、あちぃ」
秋葉くんがパタパタとシャツの襟元を開けて扇ぐ。額と鼻先に汗が滲み、頬や首元が真っ赤になっている。元々が色白だからすぐに肌が赤くなるのかもしれない。
「急いで食べるからだよ」
「窓、開けようか」
「あ、じゃあ、私が」
一番窓際にいた私が立ち上がる。窓を開けると、爽やかな初夏の風がレースのカーテンを揺らす。
「あれっ、これってもしかして、秋葉くん?」
私は窓際に飾られていた写真立てに目をやった。
そこには肌が白くて、目がクリクリと大きくて、まるで子供服のモデルみたいに可愛い男の子が写っている。
「いや、それは悠一だよ」
大吉さんが上機嫌でビールを飲み干す。
「えっ、悠一さんですか? 可愛い……ってことは隣にいるのは大吉さんですか?」
「そうだよ、可愛いでしょ。これはもうちょっと大きくなった時の写真」
「わぁ、この写真も可愛い」
見ると、そこには十歳ほどの美少年が二人写っている。秋葉くんほどではないけど中性的で、美少女の写真と言われても信じてしまうほどだ。
「僕も大吉兄さんも今はデカいけど、昔は秋葉みたいに女の子に間違えられていたんだよ」
悠一さんが教えてくれる。
「へぇ、そうだったんですね。あっ、こっちは」
私は長身で渋い男性と美人で上品な女性が赤ん坊を抱いている写真を手に取った。
「もしかしてこの赤ん坊は秋葉くんですか?」
「うん。で秋葉を抱いているのが亡くなった母さんで、その隣が父さん」
「へぇ、美男美女ですね」
「そ。それで後ろに写ってる家が元々ここに建ってた俺たちの実家」
悠一さんは写真を覗き込んで遠い目をする。
「本当は、父さんと母さんが事故で亡くなった後、実家を取り壊すと同時に兎月堂も畳むつもりでいたんだよね。でも僕はこの店を無くしちゃいけないと思って、会社を辞めて店を継ぐことにしたんだ」
今となっては、会社勤めをしている悠一さんはあまり想像がつかない。
でも、わざわざ会社を辞めて跡を継ぐだなんて、それだけこの店が好きだったんだろうな。
「それにしてもさー」
私が感傷に浸っていると、大吉さんがドンと缶ビールをテーブルに置いた。
「なんでこんなに可愛いアルバイトを雇ったのに僕に紹介してくれなかったんだい?」
「別に大兄はうちの従業員じゃないし」
不機嫌そうにカレーを口に入れる悠一さん。
「でもさぁ、結婚するならこういう素朴そうな子がいいよね。地味だけど家庭的で優しそうだし」
私は別に家庭的でも何でもないんだけど。っていうか、私は悠一さんの彼女じゃないし。
――と、大吉さんがいきなり私の手を握った。
「どう? お兄さんとお付き合いしてみない」
「え、えーっと、それは」
さ、酒臭い。この人、完全に酔っ払ってる……。
私がしどろもどろになっていると、悠一さんが大きなため息をついた。
「大吉兄さん、果歩さんは大事な従業員だから、からかわないでくれよ」
秋葉くんも口の中にカレーを入れたまま呆れ顔をする。
「そうそう。果歩も、あんま本気にすんじゃねーぞ。大兄の『可愛い』は『目が二つあって鼻と口が一つづつあるね』ぐらいの意味だ」
何それ!?
悠一さんはそれを聞いてプッと吹き出した。
「二人とも、僕のことを一体何だと思っているんだ」
大吉さんはふてくされたようにビールを飲み干した。
そして食事が終わると、おもむろに大吉さんが立ち上がり、冷蔵庫からタッパーを取り出した。
「それ、何ですか?」
「小豆アイスだよ。兎月堂から貰った餡子で作ったんだ」
ガラスの器にアイスを盛り付けながら大吉さんが答える。
「自作のアイスですか? 凄い」
「小豆と生クリームと牛乳を混ぜるだけだよ。昔よく父親が作ってくれたんだ」
「へえ、そうなんですね」
銀色に光る小さなスプーンでアイスを口に運ぶ。あっさりとした甘さと冷たさが、優しく舌の上でとろける。
「うん。美味しい」
私は写真立てに目をやった。
きっとこれが、卯月家の夏の定番お菓子だったんだろうな。
「うん、懐かしい味だ」
悠一さんが小さく呟く。
少し汗ばんで張り付いた前髪。少し赤く染った横顔は相変わらず整っているんだけど、何だか少し寂しそうで、小さな子供みたいに見えた。
◇
「ごめんね、果歩さん」
カレーとアイスを食べ終え、自分たちの家へと戻る途中、悠一さんがポツリとつぶやく。
「何がですか?」
「いや、大吉兄さんが色々と失礼なこと言ったかなと思ってさ」
「そんなことありませんよ。カレーもアイスも美味しかったですし、久しぶりに大人数で食事ができて楽しかったです」
「そう、ならいいけど」
「あのっ」
私は悠一さんの大きな背中に話しかけた
「私も兎月堂の味、好きです。だから兎月堂が無くならなくてよかったです」
一息に言うと、悠一さんは少しキョトンとした後、またあのお月様みたいな笑顔でふわりと笑った。
「ありがとう」
ありがとうはこっちのセリフ。
だって悠一さんのおかげで、このお店も餡子の味も残ったんだから。私の今の生活があるんだから。
私はその事が嬉しくてたまらなかったのだった。
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