2.教育係は高校生

第7話 朝の来訪者

「……ん」


 見慣れない天井で目を覚ます。

 鮮やかなグリーンのカーテンの隙間から、柔らかな春の日差しが差し込んできた。

 ぼんやりと昨日の出来事を思い出す。そういえば私、和菓子屋で働くことになって、この家に引っ越したんだっけ。


 と突然、昨日見た卯月さんの裸がフラッシュバックしてきて赤面する。


 ダメダメ! 


 頬を両手で叩いて昨日の記憶を追っ払う。

 男の人と住むなんて未だに信じられないけど、何とか慣れなきゃ。

 鏡で寝ぐせを確認すると、そっとリビングへと続くドアを開けた。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 じゅう、という音と卵とお肉の焼けるいい匂いが出迎える。

 台所を見ると、すっかり着替えを終えた卯月さんがベーコンと卵を焼いているところだった。

 まさか卯月さんが朝ご飯を作ってくれるとは思っても見なかったので、少しびっくりしてしまう。


「朝ご飯、もう少しでできるから待ってて」


 背中越しに卯月さんが言う。


「すみません、ありがとうございます」


「いや、いいよ。僕の方が朝の仕込みとかあって仕事に行くのも早いし。その代わり片付けは頼むね」


「はい」


 二人で食卓を囲む。味噌汁にサラダに、目玉焼きとベーコン。ごく普通の朝ご飯だけど、垢の他人に作ってもらうのは何だか新鮮だ。


「果歩さん、目玉焼きは醤油派? ソース派?」


「醤油派です」


「じゃあ僕と同じだね」


 卯月さんが卓上用の醤油を渡してくれる。パチッと蓋が閉まるミニサイズのボトルだ。


「あっ、これうちで使ってるのと同じです」


「本当? これ便利だよね。醤油が酸化しないし」


 目玉焼きに醤油をほんの少し垂らす。目玉焼きは、箸を入れるとトロッと黄身が溢れてきてちょうどいい焼き加減だ。ベーコンもカリカリしていて絶妙な焼き加減。

 あー、他人に作ってもらうご飯って、なんでこんなに美味しいんだろう。


「うん、美味しいです」


「良かった」


「はい。一人だと、味噌汁も作らないし」


 それどころか、忙しい時はご飯に卵を乗せて終わりなんてこともある。とても人様に見せられる朝ご飯じゃない。


「でも分かるよ。一人だと面倒臭いもんね。僕も二人だからこうやって作るんだよ」


「確かにそうかもしれませんね」


 そう考えると二人暮しには美味しいものを食べられるという利点もあるのかも知れない。


「じゃあ僕は先に出るから、果歩さんは九時ごろまでゆっくりしてて」


 卯月さんが上着を羽織る。


「はい。行ってらっしゃい」


 そっか。私の仕事は九時からだから、仕事が始まるまで結構時間があるんだ。それまで何してよう。読書でもしようかな。いや、朝ご飯は卯月さんが作ってくれたし、洗濯と掃除くらいは私がしたほうがいいかな。

 そんな風に考えていると、不意に古めかしいチャイムの音が鳴った。


 ピンポーン。


 来客? 誰だろう。


「誰かな、こんな時間に」


 今まさに出かけようと玄関にいた卯月さんがドアのロックを開ける。とりあえず私も卯月さんの後を追って立ち上がった。


「はーい?」


 玄関を開けると、そこに立っていたのは、高校生くらいの男の子だった。

 やや茶色がかったふわふわとした髪、色白の陶器のような肌。大きくてこぼれ落ちそうな目はびっしりとまつ毛に縁取られていて、女の子みたいに綺麗な顔をしている。


 うわーっ、綺麗な子だな。ハーフ?


 私が卯月さんの背中ごしに男の子の顔を見つめていると、美少年は人形のように整った顔を思い切りしかめた。


「誰あんた」


 可愛い顔に似合わない迫力と乱暴な物言いに、思わずたじろいでしまう。


「えっと……私、西塔果歩と言います。一応、ここに住んでるんですが」


「ここに住んでる? 何、あんたもしかして悠兄の彼女!?」


 素っ頓狂な声を上げる美少年。朝っぱらから声が大きい。


 ――ってそれより悠兄? お兄さん、ってことはまさか。


「違うよ。この人はうちで働くことになったアルバイトの果歩さん。こいつは僕の弟で秋葉。土日はうちの店を手伝ってくれたりもするんだ」


 やっぱり弟さんかぁ。ずいぶん歳が離れてるんだな。


 聞けば、卯月さんの家は三兄弟で、お店の隣にあるアパートで一番上のお兄さんと秋葉くんは二人暮しをしているのだという。


「よろしくお願いします」


 私が頭を下げると、秋葉くんはフンと鼻を鳴らした。


「バイトだぁ? バイトを雇うなんて聞いてねーぞ。うちにそんな余裕なんかないだろ」


「いや、最近は経営も安定してきたし、秋葉だって今年受験だろ? いつまでも働いては貰えないし」


「大丈夫だよ、いつまでも働けるし」


「いや、そういう訳にはいかないだろ」


 卯月さんは深々とため息をついた。


「それより秋葉、どうしてここに居るんだ。学校は?」


「今日は学校が創立記念日で休みだから店を手伝おうと思って来たんだよ。そしたらまだ鍵が開いてないから借りようと思って」


 不機嫌そうに秋葉くんが腕を組む。


「それよりさ、女と一緒に住むとか何考えてんだよ。非常識だ」


 秋葉くんは顔を思い切りしかめると、低い声で言い放った。


 だよねぇ。


「だって、その方が家賃の節約になるだろ」


「だからって」


 秋葉くんは、唇を噛み締めるとクルリとこちらへ向き直った。


「分かった。お前、悠兄目当てだろ。でなきゃあんな儲からない和菓子屋で働くなんてありえない」


 とんでもない言いがかりに、私は思わず飛び上がってしまう。


「いえっ、私はただ兎月堂の和菓子が好きで」


「ババアじゃあるまいし、若い女が和菓子なんか好きなわけないだろ。ぜってー悠兄目当てだ」


「違いますって」


「おいおい、仲良くしてくれよ」


 悠一さんは大きなため息をついた。


「そうだ、丁度いい。秋葉、お前休みなら、今日一日果歩さんについて仕事を教えてやってくれないか?」


「はぁ!? どうして俺が」


「最初は僕が裏の作業をしながらたまに店頭に行って教えるつもりだったけど、お前がいるんなら一日中ついて教えた方がいいだろ。その方が二人も仲良くなれるし」


「えーっ」


 不満げな声を上げた秋葉くんだったが、急に黙り込むと、意地悪そうに口の端を上げて笑った。


「……いや、そうだな。これから俺がとお前を教育してやるから覚悟しておけよ。お前の和菓子愛とやらを試してやる」


「は、はい……」


 私は秋葉くんのすごい剣幕に気圧され、後ずさりをした。


 ゴクリと唾を飲み込む。


 どうしよう。


 どうやら私、試されるみたいです。

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