第3話 魂の人
記念館の窓から、周囲の田畑を見まわすも、3人居るという村民の姿はどこにも見えない。
青い空の広がる、とてもよい天気だというのに、農作業はしないのだろうか。そう考えた時、今日は日曜日だったことを思い出した。
新しき村では、1日の労働は6時間。日曜は休暇。仕事を済ませた後の時間は、文筆、書画、工作など、自己実現のために使うと、本に書いてあった。
村人たちは、今頃、家にこもって、なにか創作のようなことをしているのか。それとも、村外に出かけて、留守なのだろうか。
姿を見かけたら、近づいて声をかけてみようと、この村にやって来たが、これじゃあ、立話もできそうにない。
ちなみに、この日向新しき村は、任意団体を構成しており、村の土地や家、工作機械などは、個人の持ち物ではなく、団体の所有物。
ここで生活している村民は、その家屋敷に住み込んで生活していると、書いてあった。
ここに来て、かれこれ1時間が過ぎた。もう帰ろうと、記念館から出ようとした時、1台の中型トラックが、村の細い道を走って来た。
その青く塗られた車体は、村の中央を貫く、細い砂利道を突っ切り、記念館のそばに来て止まった。
中から、埃まみれの作業服を来た年配の男が現れ、なにかの作業を始める。
(もしや……)
2週間前、この村を見学するために、ここの責任者あてに手紙を出しておいた。
(ひょっとして、その人では……)
そう思い、急いで記念館を出ると、彼の働いている方に歩いて行った。
空き地の一角に、ひと抱えもありそうな石が、山ほど積んである。白髪交じりの初老の男性が、その石を1個、1個抱えて、トラックの荷台に積んでいる。
間違いない。その風貌から、彼はネットで見た、この村の代表、『仙人』とか『魂の人』とか呼ばれている人だ。
仙人といえば、白いあごひげを生やし、長い杖を持って、ヒョロッと立っている、背の高い老人を想像しがちだが、この人は筋骨隆々。
北海道出身で、33歳の時、この村に入ってから、もう40数年という。現在、77歳にしては、とてもたくましく、まだ50代にしか見えない。
彼は、近づいて来る私の姿が見えてるのか、見えてないのか、こちらを振り向こうともせず、石を運ぶことに集中している。
「この村の方ですか?」
声をかけると「そうです」という返事。だが、やりかけた作業をやめようとはしない。
ちゅうちょしていると「この前、手紙をくれた人ですか」と聞いて来た。「はい」と答えると「返事を出さずに、すみませんでした」と言う。
「なにをしていらっしゃるのですか」
私は(この石を、どうするのだろう?)と思って聞いてみた。
「今、下の公園に、武者小路実篤の記念碑をつくっているのです。石が足りなくなったので、取りに来たのですよ」
相変わらず手を休めることなく、石運びをしながら、きれいな標準語で話す。
「この村を見学してもいいですか」と聞くと「どうぞ」と言う。
新しき村は創立百周年を迎えるので、昨日、埼玉県の毛呂山で、創立記念祭があったはず。
この人も、当然出席していただろうから、昨夜か、今朝早くに帰って来たばかりなのだろう。
あと2人居る村民は、今、なにをしているのだろうか。新しき村の創始者である武者小路実篤の、記念碑をつくるというからには、当然、この仕事に参加しているものと思い「あとの2人は、どこにいらっしゃるのですか」と聞くと、彼は「ああっ、あの2人?」と、田んぼの向こうに見える1軒の平屋を、チラッと眺めて「家にいるんじゃないですかね」と、人ごとのように言う。
2人が住んでいるらしい、その一軒家から離れた所に、薄青色で葺かれた屋根の、大きな平屋が見える。
その家を眺めていると、私の視線を追ったのか「その家は僕がつくったのですよ」と教えてくれた。
その隣には、作業場らしき平屋。
「僕は木工もやっているので、頼まれればつくりますよ」
この人は、なんでも自分でつくるらしい。相変わらず石運びをしながら、こちらが質問すれば答えるという感じで、自分からは話そうとしない。
それでいて、こちらの考えていることは、ちゃんとわかっている様子。
これ以上、つき合っていては、仕事の邪魔になると思い「それじゃあ、村を見学させてもらいます」と断ってから、彼のそばを離れ、平屋が数軒建っている方に向かった。
十字路に差しかかった所で、私がやって来た村の入り口から、黒い毛並みの小型犬が2匹、チョンチョン走って来た。柴犬よりちょっと大きいくらいで、耳がピンと立っている。この村で飼っている犬なのだろうか。
犬たちは私を見ると、駆け寄って来たが、じゃれつくことはせず、まわりをうれしそうに走りまわっている。
私は犬たちに「バイバイ」と手を振ってから、家の並んでいる方に向かった。
村のはずれには、『仙人』がつくったという、薄青い屋根の家と、作業場らしい平屋が並んでいる。
作業場の中には、工作機械や、大小さまざまな木材が置いてあった。また、彼が建てた薄青い屋根の家にも、同じ様な木材がぎっしり積んである。あの人は、資材に囲まれて寝るのだろうか。
そこを抜けて、さらに奥の方に行くと、かなり古い木造の民家があった。壁のペンキははげ、玄関の引き戸はガタガタ。
壁を伝い上った蔦が、天井の瓦にまで達している。玄関口に『武者小路実篤が住んでいた家』との表示が出ていた。
新しき村の本拠が埼玉に移る前、実篤夫婦は、ここに住んでいたのだろう。家のすぐ裏手から、急な崖になっており、その下には、小丸川の水を満々と湛えた、ダム湖の青い水面が見える。
歩きまわっていると、腕時計の針は、もう2時を過ぎている。今日の見学はここまで。私は、村の中央に真っ直ぐ延びた農道に引き返す。
仙人と彼の青いトラックは、もうどこにも見えない。おまけに、2匹いた元気のいい犬も、いつの間にかいなくなっていた。トラックと一緒に出て行ってしまったのだろうか。
『無心』と彫られた重厚な石碑のそばに、十字路がある。そこから農道が、真っ直ぐ村の出口に向かっている。
そこを歩いていると、太った数頭の豚が、柵のそばにやって来て、ブウブウ鼻を鳴らす。『餌をくれ』とねだっているのだろうか。
私は豚たちに手を振って、そのそばを通り過ぎる。スマホでまわりの風景を撮りながら、村の出口に向かう。
空は高く、緑は豊か。めまぐるしい都会の雑踏とは無縁の世界。ここは、まさに現代のオアシス。
いつまでも、とどまっていたいが、私は東京に職を持つ異邦人。明日は東京に帰らなければならない。心ひかれる思いで、この村を後にする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます