第2話 新しき村

 公園を離れて、歩くこと20分。狭い道が終わり、平坦な場所に出る。道の脇に『日向新しき村』の石碑が立っていた。

 この地はかなり広く、雑木林を抜けた先に、田んぼや畑が広がっている。右手の奥に、人が住めるような平屋が数軒と、作業場のような建物。そのそばに、1台のトラクターが置いてあった。

 木の柵に囲まれた一画には、大きな豚が数頭、泥の中を歩きまわっている。


 田畑の中央を、砂利を敷いた細い農道が、真っ直ぐ延びている。そこを歩いて行くと、同じような道が、十字路のように交叉していた。

 そのまま行けば崖。右の方には、居住区だろう一戸建てが数棟。

 一方、左手のちょっと高台になっている所には、白壁もまばゆい、木造の平屋が建っている。人が住んでいるようには見えないから、あれは公的な建物。ネットで調べた、武者小路実篤記念館なのだろう。


 十字路の向こうには、大きな石碑が鎮座していた。何トンもありそうなひとつの岩に『無心』という文字が、右横書きに彫られている。脇の方に小さく『実篤』の名前。

 私は、重厚な石碑のまわりを一周してから、崖の方に向かった。

崖の縁に立ってみると、細い道が斜めにつくられており、それを下りた所に、雑草の茂った農地が広がっていた。その広い棚田のすぐ下には、青い水を湛えた深い湖が見える。これが、村の最も肥沃な田畑を飲み込んだという、ダムの湖水なのだろう。


 ここは、戦国時代、新納石城(にいろいしじょう)という伊東氏の城塞で、島津の大軍に攻められた時、三方を川に囲まれた有利な地形を利用し、少数ながら、三日三晩、戦い抜いたという。

 その後、廃城となり、草木に埋もれていたのを、大正7年(1918年)武者小路実 篤と仲間たちが『自他共生の社会』という、理想郷をつくるべく、買い取ったものである。

 

 そこの棚田にも、文字の彫られた大きな石碑が立っていたが、苔が付着して、なんと書いてあるか読めなかった。

 細い崖道を斜めに登って、また元の場所に戻る。昼時なので、食事中なのだろうか、3人居るという村人の姿は、どこにも見えない。

 私は、そのまま畑の隅に1軒だけ建っている、がっちりとした平屋建ての、武者小路実篤記念館に向かった。


 玄関の引き戸を開けて中に入る。目前の柱に『天候にかかわらず、戸は必ず締めてください』の張り紙。

 外を見ると、泥田の中を図体の大きな豚が、何頭も歩き回っている。

(なるほど……ここには、蠅や蚊がたくさん発生するだろう)

 虫が入らないように、玄関の戸を閉めてから、靴を脱いで板の間に上がる。


 家の中には、誰の姿も見えない。壁一面に、開村時の写真や、墨や絵の具で書かれた、多くの書画がかけられていた。

 古いモノクロ写真に、作業服姿の武者小路実篤や志賀直哉、そのほか、同志たち十数人の姿が映っている。

 志賀直哉と実篤は、ともに白樺派の作家で、親友という間柄だったらしい。

 皆、この地に、人類の理想郷をつくるべく、強い情熱を傾けていたのだろう。


 壁の上方に、広い一枚板がかけられ、そこに『根気 根気 根気 何事も根気』と、太い筆跡で、実篤の言葉が書かれてあった。

 また、素朴な感じの水彩画が、何枚も展示されてある。絵の左下には『実篤』の落款(らっかん)と朱の角印。彼は文筆のほかに、絵も描いていたという。

 それに加えて、同士を集め、荒野を切り開き『自己を生かし、共に生きる』ユートピア社会をつくろうとしたのだから、まさに超人といえよう。


 武者小路実篤は、昭和51年(1976年)90歳で亡くなったが、没後42年が経った今でも、彼の理念に基づき、ここ木城の石川内と、埼玉の毛呂山に、新しき村を守り続けている人たちがいる。


(だが、理想郷って……どんな社会?)

 記念館の窓から村の風景を眺めながら、そんな疑問がわいて来た。

 人間といえども、弱肉強食の哺乳類から派生した獣の仲間。他人の自我を尊重し、互いにいたわりながら、共に同じ場所で、生涯を生活することができるものだろうか。

 これまで世界中の多くの人が、ユートピアを目指して、いろいろな共同社会をつくったが、そのほとんどが夢と消えている。


 マルクスが唱え、レーニンやスターリンが興した、共産主義国家だってそうだ。

 初めは、しいたげられた民衆を、貧困から解き放つのが目的だったはず。それが、いつの間にか『赤い貴族』と呼ばれる権力者たちの支配する、デストピア国家となった。

 そこでは、解放されたはずの人民が、自由を奪われ、私生活まで監視されるという、独裁権力の完全な奴隷と化してしまった。

 少しでも異を唱えようものなら、たちまち逮捕されて、強制収容所送りとなる。そこでは、自由なはずの個人の思考まで、激しい拷問と洗脳により、権力者の都合のよいように捻じ曲げられる。

 まるで、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』そっくりの社会が出現したのだ。


 記念館のテーブルには、武者小路実篤と、新しき村関連の書物を販売していた。販売といっても、店員がいる訳ではない。テーブルの隅に口広のガラス瓶が置かれ、その中に、百円、五百円などの硬貨が詰まっている。本を買いたい人は、お金をその中に入れ、勝手に持って行くのだろう。

 私も単行本と実篤の画集を手に取り、代金を瓶の中に入れた。


 


 

 

 


 

 

 

 

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