新しき村 紀行記

唐瀬 光

第1話 日向にユートピアを求めて

 9月も半ばというのに、ここ南九州では、まだ真夏のような暑い日々が続いている。

 東京を発つ時には、空が曇り、ひんやりとした空気が漂っていたが、宮崎県の中部、児湯郡(こゆぐん)にある私の実家に帰って来たとたん、家の掃除、荒れた庭の草刈りと、毎日汗まみれの日々を過ごしている。

 4か月も空き家にしていたから、雑草が庭一面を覆い尽くしている。それを、モーターつきの草刈り機で、根元から丁寧に刈り込んでいく。

 さらに、近くの竹林から伸びて来た竹の根を、スコップで掘り起こさなければならない。これを自分1人で行うのだから、かなりの重労働だ。


 父も母も亡くなり、今は自分の名義になっている生家で3日間を過ごし、明日が帰京という17日の昼前、私は宮崎空港で借りた軽自動車を運転して家を出た。

 頂上に、夏の白い雲がかかった尾鈴山(おすずやま)の青い峰を眺めながら、きれいに舗装された県道を南に走り、隣の木城町(きじょうちょう)に向かう。


 扁平な台地を下りると、一級河川、小丸川(おまるがわ)の流れる木城の街に出る。ここには高城(たかじょう)という城跡があり、戦国時代、日向(ひゅうが)の国を支配していた伊東(いとう)氏の居城だった。

 伊東氏は、のち、初めてローマを訪れ、法王グレゴリウス13世に謁見した少年使節団の1人、伊東マンショを出した家系である。


 城跡の下に広がる木城の街を抜け、県道22号線を小丸川に沿って、石川内(いしかわうち)方面に走る。ひと昔前は、車がすれ違うこともできない狭い道だったが、今では立派な道路につくり変えてある。


 その舗装道路を軽快に飛ばしていると、真新しい塗装の、モダンなトンネルが、前方に現れた。入口に『日日新トンネル』と彫られてあったので『武者小路実篤文学ロード』に入ったのだとわかった。

 日日新(ひびしん)とは、武者小路実篤の句『日々新、日々決心、日々真剣、日々勉強、日々成長』からとった文言だ。


 この先に、彼が理想とする共生社会(人間同士が互いの自我を尊重し、共に生きる社会)をつくろうとした『新しき村』がある。

 大正7年(1918年)に開村し、初めは50人ほどの同士村民がいたが、20年後、村のすぐ下を流れる小丸川にダムがつくられ、農地の半分が水没してしまった。

 そのため、新しき村の本体は、埼玉県の毛呂山(もろやま)に移転する。だが、数人の仲間は毛呂山には移らず、ここ石川内に残った。その後、80余年が経った今も、2家族3人の村民が『日向新しき村』を守り続けている。

 

 700メートルもある、日日新トンネルを抜けると、また同じ様なトンネルが見えて来た。これには『友情トンネル』と表記されている。

 言うまでもなく、実篤の小説『友情』からとったものだ。

 その小説は、約100年前、彼が仲間たちと新しき村を開墾しながら、ここ木城の地で創作したものだという。

 私は学生の頃に読んだことがあるが、恋人が親友にとられるという、失恋ものであるにかかわらず、読後は、なにかすっきりした、さわやかな気分になれたのを覚えている。


 日日新ほどではないが、これも長い友情トンネルを抜け、小丸川を左手に眺めながら、軽自動車を運転していると、行く手に大きなダムが目に映った。

 現代風のクレストゲート(ダム上端の放流口)はなく、コンクリートを積み上げただけの古い型のダムだ。

 私は道路脇の草むらに車を止め、ダムの全容がよく見える所まで歩いて行った。


(これは、実篤が最初につくった新しき村の半分を、水中に沈めたというダムに違いない。これさえなかったら、村の本体が埼玉に移ることもなく、今も、ここ、日向の里に残っていただろう)

 村民の抗議に耳を貸さず、ダム建設を推進したのが、宮崎の県当局というから、地元出身の私としては、とても残念で、やるせない思いがする。


 ちなみに、この新しき村については、小学校や中学校の授業で、担任の先生から『作家の武者小路実篤が、戦前に、そういう村を隣の木城につくった』とは聞かされていたが、その理想郷が今も存続しているとは、つい先日まで、うかつにも知らなかった。

 隣町に生まれ育った私でさえ、そういう認識しかなかったのだから、一般の人は知る由もないだろう。『新しき村』という名前さえ、知らない人が多いのではないだろうか。


 満々とたたえるダムの湖面を左手に見ながら、しばらく走ると、対岸に渡る橋があった。

 コンクリート造りだが、幅が狭く、車のすれ違いはできそうにない。だが、運転席に設置されているカーナビは、この橋を渡るように指示する。前方から車が来ていないのを確かめてから、慎重に乗り入れる。


 対岸に渡ると、そこには十数軒の家が並んでおり、幼稚園らしき建物も見える。ちょっとした集落になっているようだ。そこをクネクネ曲がりながら、ゆっくり登って行く。

 やがて、サッカー場のある広い公園に出た。子供連れの夫婦が何組も遊んでいる。ここは、地図に出ている『ピノッQパーク』に違いない。

 九州電力がつくったもので、小丸川発電所記念館もここにあるという。


 公園の道路を突っ切り、一番奥まで進む。そこから、さらに道が延びているが、細い道で片側は崖。おまけにガードレールもない。

 もちろん、対向車とのすれ違いも、スムーズに行きそうにない。ナビの案内も『ここから先、運転に注意』と、音声表示。

 

 このまま乗り入れようかとも思ったが、正面から車が来たら、どちらかが、道幅の広い所まで後退しなければならない。

 片側が崖で、おまけに曲がりくねっている細い道。こういう所でのバックは恐怖そのもの。とても運転する自信がない。

 私は公園の端に車を止め、後は歩いて行くことにした。地図を見ても、30分とはかからないはずだ。


 ペットボトルの入ったナップサックを肩にかけ、狭い道を、えっちらおっちら歩く。

 途中で、若い男の運転する、普通乗用車とすれ違った。作業服を着ていないから、新しき村を見学に来た、都会人なのだろうか。

 やっぱり、徒歩で来て正解。


 


 




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