第1章 2-11 立ち聞き

 そう云って席を立つ。そして食堂を出てから、日が落ちかけて薄暗い廊下に立ちすくんだ。


 (部屋はどっちだっけ?)


 

 さっき案内してくれた若いのもいなくなっており、とうぜん頼んでおいた黒板とチョークも無い。ため息を吐きつつ建物内を放浪する。どうせ朝まで暇だし、各所の位置を覚えるのにも役に立つだろう。建物は三階建てで、最初にいた建物の三倍ほどの広さがあると感じた。廊下で競技場につながっており、他にも複雑に渡り廊下がある。夜になって暗いのもあり、全容はよくつかめなかった。建物から出られないというのは、外へ出る玄関の扉がどこもあのマジックカードキーで閉じられており、びくともしないので分かった。窓までそうだった。


 その中で、何度か一階から三階まで行ったり来たりしていると、二階にランツーマの部屋があるのを発見した。食堂まで水を汲みに行くのを見かけたのだ。桜葉は思わず階段の陰に身を隠してしまった。


 (なにやってんだか……)


 みなこの暇な夜をどう過ごしているのか、この国はどういう立ち位置なのか、地理は、世界観は、ハイセナキスという競技はどういった位置づけなのか……聞くことは山ほどあるというのに。


 (そういや、おれも水を補給しておこう)


 ふと思い立ち、三階へ戻る。表札も部屋番号も無いので苦労したが、並んでいる扉の奥から三番目が自分の部屋というのが分かった。三階は、そこしか開いていなかったからだ。


 水差しをもって、再びランタンがいくつか灯っているだけの暗い廊下を歩く。


 一階の食堂まで行くと、中で話声がするのでまたもや物陰に身をひそめてしまった。


 「……だって……」

 声を聴くに、どうもユズミとランツーマだ。そっと、少し開いているドアまで進む。


 「……婚約者がいたっていうじゃない……それなのに、大金につられて、契約を結んだなんて……」


 「そう云わないであげて」

 「ずいぶんやさしいのね」

 「親に売られたらしい……事情があったんだよ……」

 何の話か、桜葉は分からなかったが、


 「なにそれ、どういう事情!? 婚約者っていうのも、金持ちの後妻かなんかだったっていうわけ?」


 「そこまでは知らないけど……」

 「記憶をなくしたというのも、どこまで本当なんだか」

 「そんな親や故郷と縁を切りたいという、彼女の無意識が働いたのかも?」


 「いい迷惑でしょ! やりたくてハイセナキスをやってるわけじゃないってことでしょう!? こっちは遊びじゃないんだから!」


 「ユズミ、あなたがどう思おうと、イェフカにあたしたちが移れるわけじゃない。自分を信じて、やるだけでしょ?」


 「……そうだけど、納得いかないじゃない」

 「納得の問題じゃないよ」

 「……悪かったわ。じゃあね。また明日」

 「うん」


 近づいてくる気配に桜葉は身震いし、暗がりまで戻った。出てきたのは水差しを持ったユズミだ。こちらへ来ると思ったが、廊下を向こうへ行ってしまった。ホッとしていると、次にランツーマが出てきた。ランツーマは、しかしこちらへ向かって歩いてきたので桜葉は焦った。どうしようもなく、ランツーマに見つかってしまう。


 「あ、あの……こんばんは」

 「……コンバン……?」

 「なんでもありません」


 この世界は挨拶が無いらしいと思い出す。イェフカより頭一つ小さいランツーマ、上目遣いの無表情で水差しとランタンを手に何事もなかったように行ってしまった。桜葉は話しかけようとしたが、声が出なかった。


 真っ暗な食堂で、壁にかかっているランタンをとってなんとか井戸を見つけ、大きな水差しへ水を入れ、部屋へ戻る。


 銀製の備えつけポットへ水を補給し、余った分はカップへ入れて飲んだ。それから、何とはなく眠れもしないベッドへ横になった。

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