竜と居合と中身のおっさん
多布可良
序 寒い日
序
その日は、突然やってきた。
桜葉尚之。四十歳独身。
Fラン大卒ながらバブル崩壊後の就職氷河期の反動による瞬間風速的に訪れた買い手市場で、本当に間違って大手建設会社へ就職。長く経理や施設管理の仕事を可もなく不可もなくこなしてきたが、昨年より営業に異動した。
趣味はライトな歴史や軍事、武器(刀剣系)オタ。広く浅く。
あと、日本刀とその使用方法たる武術に興味があり、大学生から一念発起で居合をはじめ、今年の昇段審査で六段に一発合格したのが、いまのところ人生のハイライトである。
(あれは、我ながらヤバかったなー)
あまりの緊張と無意識とブラックアウトの中で、完全に幽体離脱したと信じていた。
東京は居合の競技人口も多く、六段など掃いて捨てるほどいるが、それでも六段ともなると立派な「先生」だ。大学の部活の後輩が、多少なりとも自分へ敬意をもって接するようになった気がする。よってJDに少しモテるようになった。プチモテ期。ただし、当たり前のように恋愛対象ではない模様。
ところが、それ以外の人生はうまくゆかない。
とにかくこの「営業」というやつ。こいつ、コミュ障三歩手前にどうして会社は営業職などというリア充にしかできない仕事をさせるのか、心の底から不思議だった。とうぜん成績は振るわない。またそんな自分でも、最低成績でもないのが不思議なところだ。
(こんなオレより下がいるってんだから、よくわかんねー。しかも、クビにも左遷にもならねえし。コネかな)
もしかしたら、これで成功したら出世するのかもしれない。総務系から営業へ行き、そこそこの成績で総務系の管理職へ戻るのは、ある種の出世パターンだった。
(やめてほしいなあ、そういうの。おれは出世なんか興味ねーの!)
理想の人生は、釣りバカ日誌のハマちゃんだ。かといって、社長と趣味で懇意というわけではないが。
「はあーああー~、なーんかなーんでもいーから、一発大逆転で人生変わんねーかなー」
自分の立ち位置は別にして、ブラックでもないどころかむしろ超絶優良ホワイト大手建設会社で主任職を務め、趣味をやる時間もあり、とうぜん給料だってそこそこなので貯金もある。恋愛・友人関係を除いて、充分に桜葉もリア充だった。底辺ぶるのはやめろと苦情が来るレベル。じっさい、ネットではガチ底辺へマウントして優越感に浸るのは嫌いではなかった。
バチが当たったのだと、桜葉は思った。
気がついたら、天地が逆になっている。全身が動かない。営業の帰りに首都高を走っていたのを思い出すのに、しばらくかかった。
正面から、逆走してきた軽自動車が突っこんできた。運転していたのは、ジジイに見えた。まったくの無表情で、むしろ自分以外の車が逆走しているのに憤慨していた。
営業車は、定番で安心のプロボックス。フロントがひしゃげて衝撃を吸収し、エアバッグが作動。シートベルトもしていたし、びっくりしたが無事だった。確かに、その時点では。
プロボックスは浮かび上がって道路に叩きつけられ、激しく上下に動きながら車線を斜めにまたがって止まった。ジジイの軽自動車は衝突の反動でそのまま高速の壁に激突し、半分もぺしゃんこになって止まっていた。即死だろう。ざまあ。ふざけんな。死ね。桜葉は運転席のドアの窓からチラリとその光景を見て、そう思った。
その瞬間。
後ろから四〇フィートコンテナを積んだ大型トレーラーが止まりきれずに突っこんできた。
プロボックスはオモチャみたいに浮き上がって二〇メートル以上もぶっ飛ばされ、ひっくり返って屋根から道路へ激しく落ちた。桜葉の意識は一瞬で消え、プロボックスはひっくり返ったままさらに一〇メートルほど滑って、最後は中央分離帯へ激突して止まった。そこで、なんと少しだけ意識が戻った。
眼を開けると、頭が鳴っている。ザーッという水の流れる音だ。
視界が真っ赤から真っ暗になった。
何も考えられない。
身体が動かなくなった。
全身が、寒い。
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