時計

じゅん

時計

「菜々はやっぱりかわいいね。自慢の娘」「かわいいからどんな服でも似合うね」「菜々ってかわいいよな」「あたしも菜々ちゃんみたいにかわいければなぁ」

菜々はいつもたくさんの人からかわいいと言われ、羨望の眼差しを受けて生きてきた。

家ではパパにもママにもかわいいと褒めちぎられる。学校に行けば女子がかわいいねと擦り寄り、男子は菜々の噂話をする。

小中高と、かわいいから何の苦労もなくいいポジションにつけたし皆かわいい菜々には優しくて親切で、何も困らないし楽だった。

かわいいなんて褒められなくても、菜々は自分がかわいいとあたりまえに知ってる。

けれど、自分がかわいいと知ってるかわいい子より、自分がかわいいことも初心でこの世の穢れもなにも知らないかわいい子の方が何百倍もかわいい。それもあたりまえのこと。

だから菜々は知らないふりをした。知らないふりをして過ごしてきた。そして大学は自分の容姿も生かせるだろうと思ってファッションに関するところを選んだ。菜々はかわいい。そう、菜々はかわいいから。


帰ったなり机に置きっぱなしのスマホが鳴ったので電話に出る。

相手は黙ったままで、ざぁざぁと風のような音が聞こえるだけ。

「もしもし?」

ぷちと音を立てて電話は切れた。

非通知からの電話はここ数ヶ月多い。初めは間違い電話かと気にもとめていなかったけど、そうじゃない。嫌がらせだって、やっと気付いた。

いらいらして仕方ない。スマホも財布も何もかも部屋に置いて、荷物は持たずにもう随分暗くなった外に出る。

どこに行くという場所もなんのためという目的もない散歩。蒸し暑い静かな夜は、無駄なことまで考えさせる。


そんなこんなで大学に入ってから、かわいいねって言われることが減った。

ちょっと違う、かわいいとは言われる。けれどそれは心のどこにもない社交辞令。今までしていた仕草も言葉も着ていた服も、陰では皆に笑われている。女子特有の相手を褒め合う「かわいいね」のリレーがこんなにも惨めな時間だと初めて知った。心の底からは言われない言葉たちが、今も胸を串刺したままに残ってる。


ふらふらと歩いて、いつの間にか辿り着いた公園。毎日のように公園で遊びまわっていたときは、何も悩まなくてよかった。

なぜならかわいいものに価値を見出す人間は山ほどいるから。かわいいアイドルの写真集を買って、かわいい動物を買って、さらにはレンタルしてかわいい人との時間を買う人だっている。

それと同じで、誰もが菜々の味方をした。菜々はただかわいいお洋服を着てかわいい言葉と仕草で、かわいくいればよかった。菜々はかわいくいるためのことだけを考えていればよかった。

今もかわいくいられたら、こんな惨めなことにはならなかったはず。だって、かわいいことは菜々の全ての悪いところを集めたって負けない、菜々の良いところだったから。


随分と前から来てなかった公園を一周して、中に入る。色んな人に座られて座面が磨り減ったブランコに立って漕いだ。ゆっくりと動き出して、徐々に風が強くなる。ムシムシた生ぬるい空気を体中に受ける。空が近づいては離れ、近づいては離れる。

もっと近く、と欲張って空に地下うまくなふ腰を落とすと、何かがジーンズの後ろのポケットから落っこちた。

ブランコを漕ぎながら後ろを見ると、それは部屋に置いてきたはずの腕時計だった。

私がまだ中学生でかわいかった頃にパパとママからプレゼントされて、それからよく身につけてた時計。

中学生にしては大人っぽくて綺麗で、渡されたときにはとても嬉しかった。今ではもう流行りも過ぎて年季が入ってしまったけれど。

でも、この腕時計はスマホと一緒に置いてきたはずだった。

なんで、どうして。こんなもの置いてきたはずなのに。

カッと頭が熱くなって、その時計目掛けてブランコから飛び降りた。

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時計 じゅん @day-and-night

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