12.

「無駄だ」

 祖父と自分自身を途中下車させてもらおうと、運転席の横に立ち精算機を挟んで龍の頭を持つ運転手を説得しにかかった僕に、斜め後ろのシートに座っていた背広姿の乗客が声を掛けた。

「いくら説得しても無駄だ」背広姿の男は、振り向いた僕にもう一度重ねて言った。

 男は四十歳前後に見えた。

 丸刈りの髪の毛は頭頂部近くまで禿げ上がり、その代わりと言う訳でもないだろうが、無精髭ぶしょうひげが顔の下半分を覆っていた。

 一見サラリーマン風だが、目つきが鋭く、どこかには見えなかった。

 細長いケースの他に、デイバッグより二回りほど大きなバックパックを膝の上に載せていた。

「お前ら、このバスがだって知ってて乗ったんじゃないのか? 一度乗ったら終点まで降りられない。」サラリーマン風の男がさらに重ねた。 

 特別? ルール? 一体何のことだ……

「おいおい、そりゃマジで知らないって顔だな? 本当かよ」

 そこで丸刈り禿げ頭の背広男は、振り返って車内後部を見た。

 られて、僕も後部座席を見た。相変わらず祖父がこちらを見てニヤニヤ笑っていた。

 ここ数年こんなじいさんは見たことないってくらい上機嫌だった。

「お前の祖父じいさんなんだろ?」背広男が言った。「あっちは、すべて承知の上でこのバスに乗った……って顔だがなぁ」

 そして無精髭ぶしょうひげの生えたあごをポリポリといた。

 昔の映画で見た浪人みたいだな、と僕は思った。

「つまり、真夜中に家を抜け出した祖父じいさんを追って、気が付いたらこのバスに乗ってしまっていました……ってな感じか?」

 そう問いかけた背広男に、僕はうなづいてみせた。

「はあ、まあ。そんな所です。無我夢中で寝間着ねまきのまま追いかけたから、カードも……小銭だって一枚も持ってません」僕は視線を下げて、自分自身が着ている灰色のトレーナー上下を見た。「おまけに、サンダル履きだ」

 背広男は、僕の全身を頭から足元まで素早くながめ回し、あきれたような軽蔑したような苦笑いを浮かべて「ふんっ」と鼻を鳴らしたあと、「まあ観念することだ。何度も言うが、このバスは特別だ。途中下車は何があっても不可能だ。終点の『異常技術研究所あと』に着くまで我慢しろ」

「でも、運賃が」

「気にするな。このバスは特別だと言っただろ? 深夜バスこいつを運行しているのがこの町のバス会社なのか、それとも天使か悪魔かは知らんが……いずれにしろからぜにを取るような無粋をするとは思えん」

「選ばれた……人間……?」

「俺や、お前の祖父じいさんの事だ。お前自身がどうかは知らんがな……それも目的地に到着すれば分かるだろうさ」

 背広男が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

 ひょっとしてこのオジサン頭がおかしいのかもしれないぞ……と思ったとき、バスの後方から「ズシン、ズシン」という重い振動が伝わって来た。一体いったいその振動が地面から伝わって来るの物なのか、それとも空気の震えなのか、その両方なのかは分からなかった。とにかく、何か非常に重いものがこちらへ向かって来ているって事だけは分かった。

 急に背広男が厳しい顔付きになったかと思うと、立ち上がって後部座席まで走って行き、リア・ウィンドウから暗闇をのぞき込んだ。

 その間も徐々に「ズシン、ズシン」という音は大きく近くなっていた。

 突然、バスの右側、窓の向こうにが浮かび上がった。

 振動はそのライオンが走る足音だった。

 バスの右側を並走するライオンは、ゾウ以上の大きさだった。

 前後の体長は路線バスの三分の二くらい、高さはバスの一・五倍ほどもある。

 体を前後に伸ばしたり縮めたりしながらバスと同じ速さで走るライオンの四本の足がアスファルトの路面を蹴るたびに「ズシン、ズシン」という地響きのような振動が車内にまで伝わって来た。

 窓越しに、バスの車内灯がライオンの体を薄暗く照らした。

 毛が真っ青だった。

 青い体の所々に白いぶちがあった。

「ソライオンだ」背広男が言った。いつの間にか元の席に戻っていた。「

「青空?」

「雲が全く無いか、あっても少ししかない空のことさ。雲が無けりゃ、空の大部分は青いのさ。お前だって、図鑑や写真集で一度くらいは見たことがあるだろう? この町は厚い雲によって一年中守られている〈冬の町〉だ。ソライオンに空を覆う冬雲を食われたら、町の守りに穴が開いちまう」

 背広男は、言いながら、細長いケースを開けて中の品物を出した。

 長くて黒い猟銃だった。

 銃の上にスコープが付いていた。

 第三中学屋上塔屋でシバヌマさんが〈カラスモドキ〉を撃つ時に使っている『22口径』とかいうライフル銃に似ていたけど、ふた回り以上も大きい。

「おい、運転手」背広男が猟銃を手に右側の席へ行き、龍の運転手に呼びかけた。「どうする? こいつで奴に鉛玉をブチ込んでやろうか? 体当たりでもカマされたら、このバスだって無事では済まないぞ」

「どの道、あの青空の毛皮は銃弾では破れないでしょう?」龍の頭の運転手が言った。その声をマイクが拾って、車内放送用のスピーカーが増幅した。鼻にかかった声じゃなかった。ごく普通の、低い男性の声だった。

「目ん玉を狙うさ」背広男が、銃の先端に消音装置らしき筒をねじ込みながら言った。「これでも一応はプロだからな。動体とはいえ、この距離で撃ち損じはしない」

「下手に刺激しな方が良いでしょう」と龍頭の運転手。「それこそ『藪をつついてライオンを出す』なんて事になる可能性だってある……まずは速度を落として様子を見ましょう」

 アクセル・ペダルの力を抜いたのだろう……バスのエンジン音が徐々に低くなり、それに連れて速度が徐々に落ちていった。

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刀爺伝 青葉台旭 @aobadai_akira

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