狂宴―④―

 取り敢えず、手持ち無沙汰から、ロックは視線を風景に戻した。


 人種の坩堝るつぼとも言える、バンクーバー。


 住民たちが、何時もの様に買い物や歓談を楽しむ街。


 世代はおろか性も人種も関係ない。


 言語や富も。


 ましてや、「壁」が間に建てられても。


 今回の“ベターデイズの演説は、グランヴィル・アイランド中で見られる様に放送されている。


 酒場や飲食店に設置された受視機テレビからは、終始、目の前のバンクェットの像に集う、壁から救出された人と、その関係者たちの再会の様子を流している。


「なあ、サキ……。一応言っておくが、年は近いからな」


 ロックは、会話を切り出してみた。


 溜息を吐きながら、荷物をサキに寄せる。


 寄せられた土産の向こうにいる、サキの顔は、ロックの言葉で見る見るうちに青白くなっていく。


「……お幾つですか?」


――そうだろうと思った。


 どうも、自分はから傾向にあるようだ。


 鼻を鳴らしながら、ロックは血色の無くなったサキに向け、


「来月、17」


 戦々恐々していたサキは、彼のぶっきらぼうな回答に左手のチャウダーの入ったコップを落としかけた。


 少なくともロックの想定していた反応だったので、落ちかけたクラムチャウダーを左手で掴む。


 中身はこぼれていない。


「落とすな。少なくて安いが、早く食いきれ」


 ロックは、渡した後の失言を苦々しく思った。


くもるサキの顔。


 その目に、俯き加減で輝きが宿る。


 外見は彼女の通う学校の制服。


 よく日本のアニメや映画で見かけるブレザーとスカートである。


 そんな服を着る彼女が、”ワールド・シェパード社”の犬型の装甲で背丈の約三倍ある”ウィッカー・マン”と戦っている姿を誰が考えられるだろうか。


 B.C.ブリティッシュ・コロンビア州知事が、盾と賞状を受け取ったサキの一挙一動を、新聞社や放送局が騒ぎ立てている。


 彼らは、サキ本人と言うよりは、彼女にに重ねているようにしか見えなかった。


 しかし、ロックは、それが誤りだと考えている。


 そもそも、普通に生きていたら、革命の絵画をことは無い。


 まして、受視機テレビにも出ず、被写体を眺める側の人生で済むだろう。


 ロックに至っては、彼女の人生で通り名を耳にし、実際に目にすることも無かったはずだ。


「悪い」


 ロックはサキを直視せず、ただ静かにびた。


 土産だけを買うのも、周りの人間に生きて帰った証を見せたいのだろうか。


 心配はいらない。


 ただ、それを周囲に確信させるための意思表示である。


 だが、最後に残るのは自分しかいない。


 他人を意識し過ぎる故、自分を楽しませる余裕は、彼女の中から既に消えていた。


「ごめん、楽しんでくれた方が嬉しいよね?」


 サキの謝罪の言葉に、今度はロックの方が面を食らう。


――エリザベス、そういうことか。


 ロックの眼から見えたサキは、ちぐはぐだった。


 ロックの姿に泡を食ったように思えば、大人や階級も差し置いて、話しかける。


 が、現実社会と情報社会で独り歩きする、自分に対しても分け隔てなく。


 しかも、戦場で臆さずに。


 彼女は、本能で信頼すべき人物を選び、そうでない者には比較的淡白に接する。


 だが、信頼している人物の期待に応える傾向が強いことの証左でもあった。


 本来の自分を出したかと思えば、心配をさせない為に仮面を纏う。


 悪く言えば、サキは相手の顔を見て行動をしていた。


「無理すんな……今までと考えると、その食欲が普通だよな。あんなに日常が変わることが目の前で起きて、こんなイベントの後……俺の様な他人の前で、臆さず自分のペースで食べられる。等身大の自分を失っていない。大したタマじゃねぇか」


 ロックは、サキに考え得る限りで、精いっぱいの賛辞を与えた。


 彼女の矛盾は、信頼しているエリザベスを心配させないために却って平静よりも過剰に自分を演出して隠す。


 つまり、だった。


 そういう意味で言えば、を、口にしない。


 それを、他人の前で行えるサキの精神は、ロックの前で平静としている。


 少なくとも、エリザベスの知り合いだからと、無理に騒がれ、は、ロックは目の前のサキの反応に


 サキは彼の言葉に対して、ただ、弱い笑顔を返すに留める。


 ロックは、彼女の顔からふと疼痛とうつうが走った。


 少し前まで一緒だった少女と、その日々を少しずつ思い出していく。


 自分は、のことを見ていなくてキャニスを見ていた。


 当然、彼女には振り返ってもらえなかったが、それでも


 の為に何かをその分返そうと思った矢先に、出来なくなる。


 誰の所為でもなく、


――いや、違う。サキは……そんなんじゃない!!


 ふと、右手に温かい感覚を思い出し、感情が抑えられる。


 サキが両手でロックの右手を包んでいた。


「ファン?」


 その言葉に驚いたのは、自ら紡いだロックの方だった。


――なんで、そこまでに似ているんだ!?


 ロックの口に出した言葉を理解していないのか、サキはきょとんとしている。


 目のやり場に困ったので、ロックは目を左右させた。


 バラード橋を背に立つ、バンクェットの像。


 その周囲では人々が抱き合い、溜めていた感情を言葉に乗せて発露させている。


「再会できた人たちみたい」


 会話の内容と言うより、それを読み取れたサキに驚いた。


「サキ、分かるのか?」


 ESLの語学留学の一番の難関は会話ではない。


 周りの会話の話題を選ばず、聞き取れる――つまり、耳にしている話題についてのことである。


 語学留学の目的で言えば、サキの技能なら、直ぐにでも語学学校から修了証書を貰え、高等教育で学べる水準だと聞いたことがあった。


「一応、通訳案内士の資格を日本で取っているから」


 英語だけね、とサキが弱く加える。


 ロックも、耳を傾けていると、サキの聞き取れた内容を元に会話が進行していた。


 だが、ロックは耳に入ってきた情報に眉をひそめる。


「”ウィッカー・マン”に何かされなかったか?」


 これは、ある一組の男性だ。男性が男性に肩を回している。


 異性に関係なく同性が愛し合うのは、この国では当然の権利だ。


 不自然なことは何もない。


 だが、肩に腕を回された男性は、笑顔を返すだけだった。


 それにも関わらず、肩を回している方は、


「そうか、そうだったんだな」


 人形遊び然としたが行われていた。


「サキ、抱かれたアイツから――」


「ロック、楽しんでいるか~?」


「サキちゃん……何もされてない?」


 ブルースは、ロックを覗き込んでくる。


 キャニスは、サキの肩に手を置いて、ロックを尻目に尋ねた。


「……いきなりなんだよ」


 ロックがぶっきらぼうに言って、サキは二人の来訪に戸惑う。


「エリザベスとナオトが会談を終えたから、様子を見に来たんだよ?」


 ロックがブルースの問いに目を細めた。


 ナオトは、“ワールド・シェパード社の専務に当たる。


 社長の代理で、今回の行事に出席しているものだと考えていた。


 だが、どうやらロックにも秘密にしている別の目的があったらしい。


 しかも、エリザベスも一つ噛んでいるオマケ付きで。


「あっちの女子トイレで、入ったきり扉が開かないのが一室だけあるの。もしかしたらと思って、私たちの出番」


 キャニスが二房の髪を揺らしながら答えた。


 ブルースがあごで示した先は、少し前にロックが眺めていた、フェリー乗り場の便所である。


 列が出来ているが、他のところに比べると利用者の動きが緩慢だった。


 ブルースとキャニスの背後には、“ワールド・シェパード社の隊員が五名控えている。


「取り敢えず、俺は気になることがあるから、そっち早くいけ」


 ロックに言われたブルースたちは、トイレに足を運ぶ。


 彼らを見送って、サキに会話を振ろうとした。


 だが、女性の震える声に遮られる。


 ロックから見えるバンクェット像の足元に、白人女性が立っていた。


 三十代半ばで、黒の喪服に身を包み、ブルネットの髪の上から黒い覆いヴェールを流すように纏っている。


 覆いヴェールの中の彼女の顔は、まるで、死に化粧の様に真っ白で、目と口を大きく開けていた。


 ロックは、喪服の女性がエレン=ウェザーマンの演説を聞いていた“壁“に遮られた側の遺族だと気づく。


 彼女の向かいにいるのは、子供――3歳前後の男児だった。


「ママ……逃げないでよ、ママ」


「あなたは、あなたは……どうして、ここにいるのよ?」


 婦人と子供の声が、まるで発声器機能付きの人形の様に繰り返す。


 子供はひたすら、あの日光で浴びた宴の女神バンクェットを彷彿させる笑顔を浮かべていた。


 二人のかもし出す異様な光景に、周囲が足を止め始める。


 バンクェット像で愛を語っていた方の同性愛者の男性が、恋人に抱擁の中断を告げ、婦人に駆け寄った。


「あなた……どうかしたのですか? その子供は――」


 婦人の視線に、男性は口を閉じる。


 から得た掛け替えのない存在だと、彼女が鋭く、黙しながらも果敢に視線で語っていた。


 サキから未知のものへの戸惑いと、を含めた視線をロックに訴えかける。


 それは、


 ロックは、何処かで、サキの怪訝けげんの眼差しを否定したい思いに溢れる。


 だが、婦人の子供に向けた次の叫び。


 それが、ロックの警戒水準を最高位に引き上げてしまった。


「あの子は、は……あの時、!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る