狂宴―③―
喪服の婦人の慟哭が、昼下がりのフェリー乗場から瞬く間に広がる。
ロックは、腰に付けていた翼の護拳を右手に疾走。翼の護拳越しに、静電気が、体中を駆け巡った。
彼の周囲の空間が震え始め、
<”余剰次元”の観測を開始します>
透き通るような機械音声が脳内に響いた。
人類のいる世界は、三次元に時間軸を含めた四次元である。
だが、重力により捻じ曲げられた、それ以上の次元が存在すると言われていた。
折り紙の折り目の様に隠れた次元――余剰次元である。
<ナノマシン:”リア・ファイル”。起動確認。余剰次元干渉用素粒子の放出。余剰次元干渉過程に移行します>
ケルト神話で王を選定する石の名を冠する
ロックの周囲を光が覆った。
光電効果により、周囲の分子に宿る、電子という電子が放出される。放出電子から、電流が発され、光内に熱力が伝達した。
<素粒子衝突による、熱力量計測シミュレーション開始。次元干渉時に発生した生成素粒子のプランク定数を計測、完了>
光の熱力量が少ないと発電効果は表れない。
マックス=プランクは、「電気的に平衡状態にある高温の箱の内部で形成される電場」を表す、プランク定数を提唱。
その振動数によって、左右されるものを熱出力量とし、この世に存在する物体を成り立たせるものは、須らく熱力を含んだ小箱の集合体と定義した。
ロックは、右手に構えた護拳で、”リア・ファイル”の素粒子放出による干渉を通して、余剰次元から発生した素粒子のプランク定数の情報量の取得を終える。
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アインシュタインの相対性理論は、1gのアルミニウムから生じる熱出力量は、理論上、約60基の火力発電所に相当することを定義。
人間の場合は、体重からアルミニウム以上の熱出力量が見込まれた。
だが、この話には落とし穴がある。
1gのアルミニウムから熱力を取り出した場合、質量が増加する。更に言うと、加速度も上昇、質量保存の法則に基づくと、実質「無限」の熱力が発生。
“リア・ファイル”は無限の可能性の媒介であるが、有限の存在である人間は、その過程で、自らを熱や光にしてしまう。
<情報量変換過程から熱力量変換過程に移行します。”リア・ファイル”に記録された適合者の情報プロファイルと照合。一致。熱力量変換過程に伴い、適合者の保全を優先。保全措置として、ブラック・ホールを展開します>
この莫大な熱力を操り、熱力過多による自滅を防ぐ手段――それが、ブラック・ホールである。21世紀最大の物理学者、スティーヴン=ホーキングは、ブラック・ホールは熱を放つと証明し、熱力量は質量と同じと定義した。
ブラック・ホールは、自身を構成するすべての水素を燃やし尽くした天体が、自らの重みに耐えきれなくなり、潰れた時に形成される。
空間の曲率が自身の大きさ故に、崩壊は時間の流れも止めてしまう。
また、”ビリアルの定理”は、秘められた熱力量の二倍が、重力熱力量の消費分の等量と定義した。
素粒子衝突過程で、生じた熱力量を小型のブラック・ホールを使い、それと引き換えに消滅するはずの人間を現世に留めさせたのだ。
<余剰次元発生に伴う熱力量変換過程、完了。疑似物理現象、発現過程に入ります>
例として、熱い紅茶を思い浮かべると良い。時がたてば、紅茶は熱を無くし、冷める。
熱のあるものが、熱の無いところへ移動することから、「紅茶は外の冷気と熱を交換した」とも言えた。
煙草の煙や牛乳の染みの粒子の広がりを表す、ブラウン運動。貴族が博打で勝つ方法の研究である、確率論から発展したものである。
染み、熱に金は流れるべきところに流れ、須らく遡及しない。
だが、ロックの起こす疑似物理現象は、余剰次元の解放から得た熱出力で
実質、神羅万象の支配であり、確率論という普遍にして、不変の真理を捻じ曲げる行為と同意語だった。
<疑似物理現象発現に伴い、重力子の放出。現界による、熱力量平衡過程の開始>
畳まれた次元から切り取った有り得ない熱量により、生成された物質。その過程より得た、電気力を物理力に変換を行った。
光速を与えられ加速した物質は、力を生み続ける。だが、媒介を通して、人間は自然消滅に追い込まれる。
重力子の代わりとなる代償は、五体の一部か、臓器か。神経系か、はたまた、全ての生命維持活動か。
力の代償への回答は、人が「何時、生まれ」、「何時、眼を開かせ」、「何時、閉じさせるか」と言う神の定めに等しかった。
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重力子が媒介とする熱量は、あくまで余剰次元の裂け目からのものである。
例として、チョコレートは爆発的な熱力量を食べた者に与えるが、与えられた熱力量がチョコレートそのものを意味する訳ではない。
現実世界に表出させる媒介――つまり、使役者が現実世界で疑似物理現象を扱えるに耐える、ソフトウェアが必要となる。
それが、
物質の情報量を、熱力量に強制変換。強制変換された熱力量を元に、自然現象と物理現象の再現――つまり、魔法と呼んでも、差支えは無いだろう。
ロックは、目の前の幼子に、”ブラック・クイーン”を背中から振りかぶる。
右拳の狙う笑顔は、母親の恐怖に奪われた蒼白な顔に比べ、バンクェットを覆っていた白石色。
母に求めて、差し出される、小さな右腕だった。
その顔と小さな掌を、黒と赤の雷霆が圧し潰す。ロックの
高機能セメントは、原子レベルで0.4ナノメートルの籠を持ち、それに酸素原子が1つか2つ余分に付いている。温度状態を変えつつ、電子を注入した場合、伝導体に性質を変える。理論上、空気中の水素と窒素を組み合わせ、アンモニアの作成も可能にする技術――ナノ制御である。
ロックは、ナノ制御で発生する電子を”リア・ファイル”に照射。
ロックから放たれた、創造の力から生じた血雷の刃が、幼子を、どす黒い血色の肉塊に変える。
誰もが、それを目にすると思ったことだろう。
だが、赤黒い雷が代わりに裂かれたのは、銀色に包まれた頭蓋と骨格から成る人型だった。
周囲の目が、頭蓋と眼窩が、大きな扁桃の形状と言う異質な造形を焼きつける。
人混みが息を止めると、間もなく、喉元で溜められた叫びの号砲が、解き放たれた。
これが、饗宴の終宴。
そして、狂宴の開宴を告げた。
「下がってください、早く!」
喪服を着た女性の前に、サキが駆け寄る。
彼女は、子供を再度失って、茫然とした婦人をロックから離そうと努めた。婦人はサキの言葉に首を素早く上下させながら、立ち去る。
先ほどの男性の同性愛者のカップルのいた方角でも、悲鳴が上がった。
抱擁を交わしていた男性の首があり得ない方に、捻じれている。
いや、火の勢いで焼け落ちそうな蝋燭の様に首が垂れていた。
ロックとサキの目の前で、抱擁していた男性が光に吸い込まれ、青白く発光。
愛を注がれていた男性は、ロックが吹き飛ばした銀色の幼児と同じ色に変わった。
一糸まとわない、人間の四肢と頭部で成り立っている。
「何……あれ」
愛を語られていた男性の成れの果てを、”ブラック・クイーン”で両断したロックの内面をサキが、代弁した。
彼が思考の際に発した言葉――成り立つ。
それは、頭部と胴体の割合が人間のそれと比べて、余りにもおかしかったからだ。
頭部は、正面と側面が扁桃形。極めつけは、扁桃の双眼は、どこか
ロックは、この人型の出来損ないを知っていた。
”フル・フロンタル”。読んで字のごとく、
単体では、”クァトロ”の脚力は愚か、腕力では”ガンビー”にも劣る。
しかし、この二体に負けずとも劣らない特性が、人型の出来損ないにはあった。
ロックの周囲で、グランヴィル・アイランドの中から外への中継を通して、”フル・フロンタル”の力が誇示される。
壁からの帰還者たちの変貌に、近しい者たちの談笑ではなく絶叫が、昼下がりの空気を破壊した。
揺さぶられた感情の大きな波が、グランヴィル・アイランドの至る所を震わせる。
誰かの残した携帯端末、屋外受像機から、恐怖が波の様に伝播した。
生き別れた父親が、母親だけでなく、姉妹を銀の腕の抱擁で、天の足元に送る過程が端末から流れている。
泣き叫ぶ乳飲み子が、辺土と化したキッズマーケットのジャングルジムの檻に残す様子が、ロックの右前方の受像機から流れる。
ロックの足下の主なき情報通信端末から、美術館で愛を語り合っていた女性たちの内、一人が銀灰色の扁桃頭となる様子が映っていた。
銀の五指で、愛を語られる方を灰燼にする模様が、手を加えられずに、惨劇が動画投稿空間を駆け抜ける。
更に、彼が一歩歩いた先の、酒場と食堂の受像機から、地元ホッケーチームのロゴの付いたシャツを着た黒人青年が、”フル・フロンタル”となり暴れていた。
息子を止めようとする父親が、青い手で貫かれ、母親や祖母と思しき老婆もその返し刀の露に消えていく。
”フル・フロンタル”は体形を選ばない。
太ることも出来れば、細くも出来る。年齢や性別も問わない。相手に迫り、近しい人に擬態し、心を素っ裸にさせた後で、本性を現すのだ。
建物の振動がいきなり、地響きに変換。
外へ逃げようとする者たちが、一斉に駆けだしてくる。
人混みの中で、髭を生やした白人男性が子供を突き飛ばして出てきた。
その子供を中国系の女性がかばうが、後ろから来た扁桃人形に背後から焼かれる。
突き飛ばした男は、中国人女性に庇われていた”子供を模倣した銀人形”に飛び掛かられた。
銀色の子供の抱擁で、白人の中年男性は、恐怖に染まった客人の顔、一人一人を照らす、青いガス燈に仕立てられる。
まるで、照らされた彼らを、黄泉路に誘わんとする道標と言わんばかりに。
――こんな、悪趣味な攻撃……。
ロックは、攻撃者の正体を探す。
そいつの毒牙からサキを守る為に。
そう、考えていた。
しかし、今の段階で考えるしか出来なかったロックは、自らの甘さを呪う。
そいつが、既にサキの前にいたからだ。
ロックに気付いたのか、サキは戸惑った視線を彼に返す。
サキの前にいた人物は、
「どうしましたか、サキ=カワカミ。そして、”
まるで、血に染まる様な赤い薔薇に佇む、不釣り合いな向日葵の雰囲気を醸す女性――エレン=ウェザーマン。
新調された雨具で、雨の日を楽しむ子供の様な笑顔を作っていた。
だが、ロックはその姿が、見せかけであることに気付く。
彼女の眼と唇が、象牙色と石榴色に、鈍く輝いていた為に。
「ロック=ハイロウズ!!」
「サロメ!!」
石榴の様な紅い唇から放たれた名前に、ロックは叫びながら、象牙色の双眼の女――サロメに、護拳”ブラック・クイーン”を繰り出す。
弾丸の様な形をした護拳は、サロメの白磁の肌に届かない。
唸り声を、ロックは上げる。悔しさを発したからではない。
それは、喊声だった。
主に呼応するように、
右拳を覆う弾丸は、黒と赤の雷の翼を作る。
黒と赤の雷の翼が、黒と赤の刀身に変わり、サロメの白磁の右腕の肘を断った。
剪断の音もなく、彫刻品の様に整った右腕が宙を舞う。
彼は間髪入れずに、”ブラック・クイーン”を逆手に持ち替える。
刃をロックの右の肘鉄で押し出した。
“ブラック・クイーン”の、翼剣の表面で、羊の角を付けたサロメの象牙眼は大きく見開かれる。
鳩が豆鉄砲を食らったようなサロメの顔の顎から右目に掛けて、紅黒の刃がめり込んだ。
刃の下から、息を漏れる。
次に出たのは血ではなく、彼女の口端を釣り上げて作った笑みだった。
サロメの二つに分かれた顔の目に映る、扁桃人形の群れが、サキを囲い始める。
だが、”フル・フロンタル”が彼女に踏み込む前に、緑色の雷迅が立ちはだかった。
緑色の迅雷が、銀色の扁桃人形たちへ
土瀝青の大地を抉りながら、銀灰人形を一体ずつ灰燼にしていく緑迅雷の旋毛風。
雷を含めた風が、走り去った後にサキはいなかった。
「サキ、ケガはない?」
キャニスが、緑の迅雷の軌跡から離れた場所で、サキを背に置く形で話している。
ブルースは見届けると、虚空に刃を向けた。
半月に反れた刃が、空中から飛び掛かってきた”フル・フロンタル”を捉える。
ロックは、自分の右手から延びる”ブラック・クイーン”に顔を向けた。
黒と紅の翼剣から、貫かれたサロメ。彼女の顔から、象牙眼と石榴の唇の輝きが消え、扁桃の頭と扁桃の双眼の銀人形が、腕と脚をだらしなく伸ばしていた。
ロックは右側へ、銀人形を振り落として、
「ブルース、何を手間取っていた?」
「女子トイレを探していたんだよ……そしたら、何を見つけたと思う?」
ロックの言葉に、ブルースが叫んだ。
「本物のエレン=ウェザーマンの遺体だ!!」
ロックへの回答とついでに、ブルースは、時計回りの苔色の竜巻になる。銀人形の胴体に対して、不均等な頭部の亀裂が右下から左上に疾走。右半身を引き戻した勢いで、左のショーテルで銀色の細腕の肘を斬った。
更に、右腰を入れた回転に、手首に捻りを加えた苔色の斬撃を乗せる。
ブルースと向き合った、”フル・フロンタル”は右脚を残したまま、胴を分解した。
「ロック、例の熱源……本当に見えないの!?」
キャニスは叫びながら、トンファー型
両腕に装着された肘の長さ程の一対の杭が、彼女の細腕から同時に打ち出され、二体を貫いた。
杭は目を潰すような閃光を放ちながら、眩い火花が銀人形を灰燼に変える。
「”ウィッカー・マン”なら、何処かに熱源があるのは間違いない。この場合、隠されていると考えた方が良い!!」
ロックは吐き捨てるように、叫ぶ。
彼は、腰に付けていた
サキと見た男性の同性愛者の恋人たちの会話で、話しかけていた方が明らかに“ウィッカー・マン“を恋人として認識。
先ほどの子供の遺族である母親も、息子の死に目という、精神の深いところに、踏み込まれないと見られない反応だった。
”フル・フロンタル”は、標的を狙う為に擬態を行う。
しかし、実際のところ、誰かを殺した後、生存を偽造し、会話の希薄な共同体で居留守を行えるのが限界だった。
人間関係に踏み込めるまでの擬態は、ロックは見たことは愚か、聞いたことも無い。
ロックが知らないものを、キャニスやブルースも知る余地も無かった。
「ロック……見えない、あれ?」
サキから不意に問いかけられ、ロックは彼女の促す方を向く。
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