狂宴―③―

午後3時34分



 グランヴィル・アイランド。


 その商業地区は大きく、七つの区分に分かれている。


 一つ目は、パブリック・マーケット。カナダの旬の食材が集う。


 二つ目は、日用品を多く取り扱うネットロフト。


 衣類や文具店が占めていた。


 三つ目のマリタイムマーケットは、宝石類や先住民族の工芸品を扱っている。


 また、名前の通り、海鮮品も売られているので――ロックは好みではないが――フィッシュ・アンド・チップスも評判だった。


 キッズマーケットは、四番目の区画。


 子供向けで、玩具が扱ってあり、遊技場もある。


 五番目のカートライト通りストリート


 地元麦酒の醸造所、劇場があり、夜は地酒を片手にジャズを楽しめる――大人の社交場の顔を見せる。


 六番目は、ジョンソン通りストリート


 アートの島という別名をグランヴィル・アイランドは持ち、地元出身の画家の展示場として知られている。


 そして、宿泊施設もあるので、数日掛けて回る場合は、そこに泊まるのも悪くない。


 最後に、クリークハウス。


 スポーツ用品店の他にB.C.ブリティッシュ・コロンビア州産の石鹸(せっけん)が観光客の興味を引いている。


 多彩な物品、遊び場や芸術の集うグランヴィル・アイランドは、活気と人の絶えない場所を作っていた。


 その熱気に当てられる者がいても良い、とロックは内心思っている。


 だが、目の前の同伴者は、人の活気に反応する沸点が普通より高めらしい。


 あるいは、彼女の融点の幅も広すぎるのか定かではないが、彼は自分でも自覚出来る程、まゆを顰めていた。


「取り敢えず、飯を食いながらで良いから、の為に買ったものを一つ指してみろ。無論、友人、家族に知人への土産はノーカウントだ」


 目を細めながらロックは、目の前のベンチに座って昼食を頂くサキを見下ろす。


 彼女の周りには、二つの袋があった。


 メイプルシロップの瓶、楓の形のチョコレートに絵葉書が幾つか入っている。


 最後に訪れた場所で手に入れた地元産の石鹸の箱の角が、メイプルシロップを扱う土産物屋の袋から覗いていた。


「メイプルシロップは、ヒデオさんとマナさん……一応、友達が遊びに来た時も使えるかな? チョコレートは、皆で食べる為に。石鹸せっけんは、アカリ、キョウコ。絵葉書で面白そうなのは、イッペイにリュウに……」


 ロックは、少し前まで七つの区画をサキと回っていた。


 今、彼女の挙げた品物の全てが知人へのお土産で溢れている。


 資金面については、問題はない。


 ”ワールド・シェパード社”から、先の戦闘での報酬や手当も貰っていると、サキから聞かされていた。


 旅費については、出して貰っているので心配いらない、とも。


「というか、日本人はカナダ人が飽きるものを、辟易する量を買うとは思っていたが……の証明としては十分だな」


 現地の土産や名物は、地元住民が消費することを想定していないので高値の傾向にある。


 サキの今までの働きで手に入れた額を見れば、誰もが「使」と言うほどだった。


 今回の活躍から、サキには報酬に加えて賞与も支払われている。


 ロックは、日本人の様な極東の観光客よろしく、サキが土産や珍しいものに目を輝かせ、自国について饒舌になることを想定していた。


 しかし、目の前の彼女の消費性向の低さに、少し肩を透かされた気分である。


「イッペイとリュウは、珍しいものが好きだったけど……あれは」


 サキの歯切れの悪い言い回しは、ロックと訪れた六番目の若き芸術家の展示場のことだろう。


 芸術学校の区画を回って、新鋭芸術家の名状しがたい情熱の塊を見せつけられた。


 出来は、買っても冗句にもならないのどちらかで、括っておけば足りる作品だ。


 高校生がは無論、作風である。


――あの場にサミュエルがいなくて良かった。


 毒舌の弟の姿が頭に浮かぶ。


 ロックは自分の口が悪い自覚はあったが、少なくとも彼を引き合いに出されたくないと思っていた。


 弟を連れてきた日には、何人かの芸術家が筆を折ることは確実だろう。


 また、その内の何人かがするばかりか、する羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。


 生徒ばかりでなく、教育者も連座と言わんばかりに。


――サミュエルとブルースの会話を、一層のこと、サキに聞かせてやろうか。


 そう考えたが、確実に今の立場よりも悪くなるので、ロックは思考を中断。


 サキのことになると過保護になるエリザベスが、ロックが朝日を拝ませなくさせる手段は、彼の想像力や思考力を軽く凌駕りょうがするからだ。


 ロックは、内心辟易へきえきしながら、友人たちへの贈り物に囲まれたベンチに座るサキを見る。


 唯一、サキが自分のため買ったものが三番目のマリタイムマーケットで買ったクラムチャウダーとパンだった。


 ロックが前に食べた時と物価は変わらず、少なくとも、5カナダドル紙幣前後で済む。


 それにパンは、高くて50カナダセントを追加か、チャウダーの料金に含まれている筈だった。


 サキは、ロックの目の前で、白いスプーンで掬ったチャウダーを口に付ける。


 時折パンの存在を思い出してかじる様子は、栗鼠リスの様な小動物の食事風景をロックは重ねた。


 当のサキは、ロックの質問の意図が理解できなかったのか、食べるのに夢中で回答する時間が無かったのか、店名入りの紙カップに注がれたチャウダーとパンに目配せをする。


 すると、ロックの視線をどう受け取ったのか、サキは少し口端の表情筋が力ない笑みを浮かべ、


「ロックさん、パン食べる?」


「いらんわ」


 ロックは断って、プラスチック容器の飲み口から、珈琲コーヒーを一飲み。


 珈琲コーヒーの熱さが口から頭を突き抜ける。


 それから、苦みと微かな酸味が、ロックの口腔こうくうを楽しませた。


 カナダの珈琲コーヒー消費量は、全世界で三番目に多い。


 余談だが、一位はオランダ、二位はフィンランドである。


 カナダ自体、寒冷な気候である為、熱い珈琲コーヒーはそんな生活の中で手放せない。


 あるホッケー選手が開店した系列の珈琲コーヒー店の、涙ぐましい営業努力により、カナダで、朝一番で口にするものが珈琲コーヒーか清涼飲料水で国籍が分かるとまで言われている。


 後者がどこであるかは、と言っておけば、これ以上は野暮だろう。


――には、俺は懐かしいと思えるんだな。


 酩酊しながら、サキの少ない荷物から、グランヴィル・アイランドの喧騒に視点を変える。


 ロックの視界に広がる、土曜日の昼下がりのグランヴィル・アイランドは人だかりが留まることを知らない。


 週末を島内外で楽しむための人々はまだしも、今回の“ベターデイズ“に招待された関係者も加わり、賑やかさと騒々しさが週末の賑やかさを彩っていた。


 そのせいか、グランヴィル・アイランドに設けられた便所は、男女問わず長蛇の列である。


 待ち時間対策で、簡易便所も設けられたが、それも追いつかない現状だ。


 賑やかな人混みを見ても、サキの荷物の少なさへの答えが出ない。


 ロックは、彼女から隠れて携帯通信端末スマートフォンを弄る。


 無論、今回のことをに解決策を求め、メールを送った。


 エリザベスからの返信は、


<取り敢えず、お前の顔が問題だ。を紹介してやる>


 存在そのものをこき下ろされ、取り付く島がない。


 キャニスの助言は、


<喫茶店で、珈琲コーヒーでもご馳走したら?>


 比較的まともだ。


 問題は、自分が買うとき、サキから「いらない」と言われたことである。


 彼女から「好物でもない」とも付け加えられて。


<誰かと比べて、まともな提案だが、効果なし>と親指で液晶を叩いて、送信。


<夜景と共に、花を挙げたらどうだ? とっておきの口説き文句と冗句を教えてやる>


 ブルースの助言には既読にしておいた。


 ただ、ロックは湧き上がる殺意を抑えて、返信ではない、直接のお返しを考えた。


 ブルースの夜景を見る顔が、のように真っ赤になることを想像したが、


――最も、殴られた後はの筈だけどな。


 ロックは溜息を吐いて、端末を待機状態にする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る