狂宴―②―
午後3:34
グランヴィル・アイランド。
その商業地区は大きく、七つの区分に分かれている。
一つ目は、パブリック・マーケット。カナダの旬の食材が集う。
二つ目は、日用品を多く取り扱うネットロフト。衣類や文具店が占めていた。
三つ目のマリタイムマーケットは、宝石類や先住民族の工芸品を扱っている。また、名前の通り、海鮮品も売られているので――ロックは好みではないが――フィッシュ・アンド・チップスも評判だった。
キッズマーケットは、四番目の区画。子供向けで、玩具が扱ってあり、遊技場もある。
五番目のカートライト
六番目は、ジョンソン
最後に、クリークハウス。スポーツ用品店の他に、
多彩な物品、遊び場や芸術の集う、グランヴィル・アイランドは、活気と人の絶えない場所を作っていた。
その熱気に当てられる者がいても良い、とロックは内心思っている。
だが、目の前の同伴者は、人の活気に反応する沸点が、普通より高めらしい。
或いは、彼女の融点の幅も広すぎるのか定かではないが、彼は、自分でも自覚出来る程、眉を顰めていた。
「取り敢えず、飯を食いながらで良いから、自分だけの為に買ったものを一つ指してみろ。無論、友人、家族に知人への土産はノーカウントだ」
目を細めながらロックは、目の前のベンチに座って昼食を頂くサキを見下ろす。
彼女の周りには、二つの袋があった。
メイプルシロップの瓶、楓の形のチョコレートに絵葉書が幾つか入っている。最後に訪れた場所で手に入れた、地元産の石鹸の箱の角が、メイプルシロップを扱う土産物屋の袋から覗いていた。
「メイプルシロップは、ヒデオさんとマナさん……一応、友達が遊びに来た時も使えるかな? チョコレートは、皆で食べる為に。石鹸は、アカリ、キョウコ。絵葉書で面白そうなのは、イッペイにリュウに……」
ロックは、少し前まで七つの区画をサキと回っていた。今、彼女の挙げた品物の全てが知人へのお土産で溢れている。資金面については、問題はない。
”ワールド・シェパード社”から、先の戦闘での報酬や手当も貰っていると、サキから聞かされていた。
旅費については、出して貰っているので、心配はいらないとも。
「というか、日本人はカナダ人が飽きるものを、辟易する量を買うとは思っていたが……カナダ参りの証明としては十分だな」
現地の土産や名物は、地元住民が消費することを想定していないので、高値の傾向にある。
サキの今までの働きで手に入れた額を見れば、誰もが「買える範囲で、何かに使え」と言うほどだった。
今回の活躍から、サキには、報酬に加えて賞与も支払われている。
ロックは、日本人の様な極東の観光客よろしく、サキが土産や珍しいものに目を輝かせ、自国について饒舌になることを想定していた。
しかし、目の前の彼女の消費性向の低さに、少し肩を透かされた気分である。
「イッペイとリュウは、珍しいものが好きだったけど……あれは」
サキの歯切れの悪い言い回しは、ロックと訪れた六番目の若き芸術家の展示場のことだろう。芸術学校の区画を回って、新鋭芸術家の名状しがたい情熱の塊を見せつけられた。
出来は、買っても冗句にもならない超現実的作風か超写実的作風のどちらかで、括っておけば足りる作品だ。
高校生が買うことは無論、買われても困る作風である。
――あの場に、サミュエルがいなくて良かった。
毒舌の弟の姿が、浮かぶ。
ロックは、自分の口が悪い自覚はあったが、少なくとも彼を引き合いに出されたくないと思っていた。
弟を連れてきた日には、何人かの芸術家が筆を折ることは確実だろう。また、その内の何人かが首を吊る、破壊主義者に転向するばかりか、出家する羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。
生徒ばかりでなく、教育者も連座と言わんばかりに。
――サミュエルとブルースの会話を、サキに聞かせてやろうか。
そう考えたが、確実に今の立場よりも悪くなるので、ロックは思考を中断。
サキのことになると過保護になるエリザベスが、ロックが朝日を拝ませなくさせる手段は、彼の想像力や思考力を軽く凌駕するからだ。
ロックは、内心辟易しながら、友人たちへの贈り物に囲まれたベンチに座るサキを見る。
唯一、サキが自分のため買ったものが三番目のマリタイムマーケットで買ったクラムチャウダーとパンだった。
ロックが前に食べた時と、物価は変わらず、少なくとも、5カナダドル紙幣前後で済む。それにパンは、高くて50カナダセントを追加か、チャウダーの料金に含まれている筈だった。
サキは、ロックの目の前で、白いスプーンで掬ったチャウダーを口に付ける
時折パンの存在を思い出して齧る様子は、栗鼠の様な小動物の食事風景をロックは重ねた。
当のサキは、ロックの質問の意図が理解できなかったのか、食べるのに夢中で回答する時間が無かったのか、店名入りの紙カップに注がれたチャウダーとパンに目配せをする。
すると、ロックの視線をどう受け取ったのか、少し口端の表情筋が力ない笑みを浮かべ、
「ロックさん、パン食べる?」
「いらんわ」
ロックは断って、プラスチック容器の飲み口から、珈琲を一飲み。
珈琲の熱さが口から頭を突き抜ける。そして、苦みと微かな酸味が、口腔を楽しませた。
カナダの珈琲消費量は、全世界で3番目に多い。余談だが、一位はオランダ、二位はフィンランドである。
カナダ自体、寒冷な気候である為、熱い珈琲はそんな生活の中で手放せない。
あるホッケー選手の開いた系列の珈琲店の、涙ぐましい営業努力により、カナダで、朝一番で口にするものが、珈琲か清涼飲料水で、出身が分かるとまで言われている。
後者がどこであるかは、カナダ人が、引き合いに出されたくない隣国と言っておけば、これ以上の言及は野暮だろう。
――この味を楽しめる程度には、俺は懐かしいと思えるんだな。
酩酊しながら、サキの少ない荷物から、グランヴィル・アイランドの喧騒に視点を変える。
ロックの視界に広がる、土曜日の昼下がりのグランヴィル・アイランドは、人だかりが留まることを知らない。
週末を島内外で楽しむための人々はまだしも、今回の”ベターデイズ”に招待された関係者も加わり、賑やかさと騒々しさが島内で相乗りしていた。
その所為か、グランヴィル・アイランドに設けられた便所は、男女問わず、長蛇の列である。
待ち時間対策で、簡易便所も設けられたが、それも追いつかない現状だ。
賑やかな人混みを見ても、サキの荷物の少なさへの答えが出ない。
ロックは、彼女から隠れて携帯通話端末を弄る。
無論、今回のことを仕向けた当事者たちに、解決策を求め、メールを作った。
エリザベスからの返信は、
<取り敢えず、お前の顔が問題だ。評判と言われる韓国系美容整形外科を紹介してやる>
存在そのものをこき下ろされ、取り付く島がない。
キャニスの助言は、
<喫茶店で、珈琲でもご馳走したら?>
比較的まともだ。
問題は、自分が買うとき、サキから「いらない」と言われたことである。彼女から「好物でもない」とも付け加えられて。
<誰かと比べて、まともな提案だが、効果なし>と親指で液晶を叩いて、送信。
<夜景と共に、花を挙げたらどうだ? とっておきの口説き文句と冗句を教えてやる>
ブルースの助言には何も返さない。ただ、ロックは湧き上がる殺意を抑えて、返信ではない、直接のお返しを考えた。ブルースの夜景を見る顔が、薔薇の花のように真っ赤になることを想像したが、
――最も、殴られた後は黒紫の筈だけどな。
ロックは溜息を吐いて、端末を待機状態にする。
取り敢えず、手持ち無沙汰から、ロックは視線を風景に戻した。
人種の坩堝とも言える、バンクーバー。
住民たちが、何時もの様に買い物や歓談を楽しむ街。
世代はおろか性も人種も関係ない。言語や富も。ましてや、「壁」が間に建てられても。
今回の”ベターデイズ”の演説は、グランヴィル・アイランド中で見られる様に放送されている。
酒場や飲食店に設置された受像機からは、終始、目の前のバンクェットの像に集う、壁から救出された人と、その関係者たちの再会の様子が映していた。
「なあ、サキ……。一応言っておくが、年は近いからな」
ロックは、会話を切り出してみた。溜息を吐きながら、荷物をサキに寄せる。
寄せられた土産の向こうにいる、サキの顔は、ロックの言葉で、見る見るうちに青白くなっていった。
「……お幾つですか?」
――そうだろうと思った。
どうも、自分は同世代から実年齢を加齢される傾向にあるようだ。
鼻を鳴らしながら、ロックは血色の無くなったサキに向け、
「来月、17」
戦々恐々していたサキは、彼のぶっきらぼうな回答に、左手のチャウダーの入ったコップを落としかけた。
少なくともロックの期待していた反応だったので、落ちかけたクラムチャウダーを左手で掴む。
中身はこぼれていない。
「落とすな。少なくて安いが、早く食いきれ」
ロックは、渡した後の失言を、苦々しく思った。
曇るサキの顔。その目に、俯き加減で輝きが宿る。
外見は彼女の通う学校の制服。よく日本のアニメや映画で見かけるブレザーとスカートである。
それを纏う彼女が、”ワールド・シェパード社”の犬型の装甲で、背丈の約二倍ある”ウィッカー・マン”と戦っている姿を誰が考えられるだろうか。
そんな彼女に、
彼らは、サキ本人と言うよりは、彼女にドラクロアの解放の女神か何かに重ねているようにしか、見えなかった。
しかし、ロックは、それが誤りだと考えている。
そもそも、普通に生きていたら、革命の絵画を引き合いに出されることは無い。
まして、受像機にも出ず、被写体を眺める側の人生で済むだろう。
ロックに至っては、彼女の人生で通り名を耳にし、実際に目にすることも無かった筈だ。
「悪い」
ロックはサキを直視せず、ただ静かに詫びた。
土産だけを買うのも、周りの人間に生きて帰った証を見せたいのだろうか。
心配はいらない。ただ、それを周囲に確信させるための意思表示である。
だが、最後に残るのは自分しかいない。
他人を意識し過ぎる故、自分を楽しませる余裕は、彼女の中から既に消えていた。
「ごめん、楽しんでくれた方が嬉しいよね?」
サキの謝罪の言葉に、今度はロックの方が面を食らう。
――エリザベス、そういうことか。
ロックの眼から見えたサキは、ちぐはぐだった。ロックの姿に泡を食ったように思えば、大人や階級も差し置いて、話しかける。
破壊的な二つ名が、現実社会と情報社会で独り歩きする、自分に対しても、分け隔てなく。
しかも、戦場で臆さずに。
彼女は、本能で信頼すべき人物を選び、そうでない者には比較的淡白に接する。だが、信頼している人物の期待に応える傾向が強いことの証左でもあった。
本来の自分を出したかと思えば、心配をさせない為に仮面を纏う。
悪く言えば、サキは相手の顔を見て行動をしていた。
「無理すんな……今までと考えると、その食欲が普通だよな。あんなに日常が変わることが目の前で起きて、こんなイベントの後……俺の様な他人の前で、臆さず自分のペースで食べられる。等身大の自分を失っていない。大したタマじゃねぇか」
ロックは、サキに考え得る限りで、精いっぱいの賛辞を与えた。
彼女の矛盾は、信頼しているエリザベスを心配させないために、却って平静よりも過剰に自分を演出して隠す。
つまり、無理な現状維持だった。
そういう意味で言えば、他人の傍で、自分が食べられる量を、今しか口にしない。
それを、他人の前で行えるサキの精神は、ロックの前で平静としている。
少なくとも、エリザベスの知り合いだからと、無理に騒がれ、楽しむために楽しまれるよりは、ロックは目の前のサキの反応に安心していた。
サキは彼の言葉に対して、ただ、弱い笑顔を返すに留める。
ロックは、彼女の顔からふと疼痛が走った。
少し前まで一緒だった少女と、その日々を少しずつ思い出していく。
自分は、アイツのことを見ていなくてキャニスを見ていた。
当然、彼女には振り返ってもらえなかったが、それでも傍にいてくれたアイツ。
アイツの為に何かをその分返そうと思った矢先に、出来なくなる。
誰の所為でもなく、自分がその機会を奪った。
――いや、違う。サキは……そんなんじゃない!!
ふと、右手に温かい感覚を思い出し、感情が抑えられる。
サキが両手でロックの右手を包んでいた。
「ファン?」
その言葉に驚いたのは、自ら紡いだロックの方だった。
――なんで、そこまでアイツに似ているんだ!?
ロックの口に出した言葉を理解していないのか、サキはきょとんとしている。
目のやり場に困ったので、ロックは目を左右させた。
バラード橋を背に立つ、バンクェットの像。
その周囲では人々が抱き合い、溜めていた感情を言葉に乗せて発露させている。
「再会できた人たちみたい」
会話の内容と言うより、それを読み取れたサキに驚いた。
「お前、分かるのか?」
ESLの語学留学の一番の難関は会話ではない。
周りの会話の話題を選ばず、聞き取れる――つまり、耳にしている話題についての専門知識がなくても、重要語句を文脈から逃さないことである。
語学留学の目的で言えば、サキの技能なら、直ぐにでも語学学校から修了証書を貰え、高等教育で学べる水準だと聞いたことがあった。
「一応、通訳案内士の資格を日本で取っているから」
英語だけね、とサキが弱く加える。
ロックも、耳を傾けていると、サキの聞き取れた内容を元に会話が進行していた。
だが、ロックは耳に入ってきた情報に眉を顰める。
「”ウィッカー・マン”に何かされなかったか?」
これは、ある一組の男性だ。男性が男性に肩を回している。
同性婚は、この国では当然の権利だ。不自然なことは何もない。だが、肩に腕を回された男性は、笑顔を返すだけだった。
それにも関わらず、肩を回している方は、
「そうか、そうだったんだな」
勝手に話題を振って、勝手に終わらせている人形遊び然とした、一方的な意志疎通が行われていた。
「サキ、抱かれたアイツから――」
「ロック、楽しんでいるか~?」
「サキちゃん……何もされてない?」
ブルースとロックを覗き込んでくる。キャニスは、サキの肩に手を置いて、不穏な間を置いて彼を尻目にしながら尋ねた。
「……いきなりなんだよ」
ロックがぶっきらぼうに言って、サキは二人の来訪に戸惑う。
「エリザベスとナオトが会談を終えたから、様子を見に来たんだよ?」
ロックがブルースの問いに目を細めた。
ナオトは、”ワールド・シェパード社”の専務に当たる。社長の代理で、今回の行事に出席しているものだと考えていた。
だが、どうやらロックにも秘密にしている別の目的があったらしい。しかも、エリザベスも一つ噛んでいるオマケ付きで。
「あっちの女子トイレで、扉が開かないのが一室だけあるの。もしかしたらと思って、私たちの出番」
キャニスが二房の髪を揺らしながら、答えた。
ブルースが顎で示した先は、少し前にロックが眺めていた、フェリー乗り場の便所である。列が出来ているが、他のところに比べると、利用者の動きが緩慢だった。
ブルースとキャニスの背後には、”ワールド・シェパード社”の隊員が五名控えている。
「取り敢えず、俺は気になることがあるから、そっち早くいけ」
ロックに言われたブルースたちは、トイレに足を運ぶ。
彼らを見送って、サキに会話を振ろうとした。
だが、女性の震える声に遮られる。
ロックから見えるバンクェット像の足元に、白人女性が立っていた。
三十代半ばで、黒の喪服に身を纏い、ブルネットの髪の上から黒い覆いを流すように纏っている。
覆いの中の彼女の顔は、まるで、死に化粧の様に真っ白で、目と口を大きく開けていた。
ロックは、喪服の女性が、エレン=ウェザーマンの演説を聞いていた、”壁”に遮られた側の遺族だと気づく。
彼女の向かいにいるのは、子供――3歳前後の男児だった。
「ママ……逃げないでよ、ママ」
「あなたは、あなたは……どうして、ここにいるのよ?」
婦人と子供の声が、まるで発声器機能付きの人形の応答の様に繰り返す。
子供はひたすら、あの日光で浴びた、
二人の醸し出す異様な光景に、周囲が足を止め始める。
バンクェット像で愛を語っていた方の同性愛者の男性が、恋人に抱擁の中断を告げ、蒼白な婦人に駆け寄った。
「あなた……どうかしたのですか? その子供は――」
婦人の視線に、男性は口を閉じる。
自分の痛みから得た掛け替えのない存在だと、彼女が鋭く、黙しながらも果敢に視線で語っていた。
サキから未知のものへの戸惑いと、もう一つのものを含めた視線をロックに訴えかける。
それは、警戒。
ロックは、何処かで、サキの怪訝の眼差しを否定したい思いに溢れる。
だが、婦人の子供に向けた次の叫び。
それが、ロックの警戒水準を最高位に引き上げてしまった。
「あの子は、あなたは……あの時、死んだのよ!?」
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