狂宴―②―

 今回の行事が開かれる前、ロックを始めとした”ブライトン・ロック社”に情報が入った。


 スカイトレイン破壊工作に加担したとされる、日本人女性二人が行方不明ということである。


 地元警察による尋問が行われる予定だったが、引き渡されてもいないと言うのだ。


 更に言うと、彼女たち以外に破壊活動に加担した者達と、彼らを引き合わせた留学仲介業者と関係者の消息も不明。


 その上、護送していた”ワールド・シェパード社”の隊員とも連絡がつかない。


 一度に容疑者、協力者に護送車も消えた異常事態に、地元警察と”ワールド・シェパード社”による緊急の合同捜査が、現在進行形で行われている。


 その人員を割けないので、”ブライトン・ロック社”から派遣される”ウィッカー・マン”への対応要員をロックだけにする予定が、ブルースとキャニスも急遽加わることになった。


 ロックの懸念を知る由もない、アンドレ・リーは言葉を力強く区切り、


「祈りましょう。今日を、私たちの日常を守った者たちの魂を。市民として代価を払う意味を問い続けること。その代価を払わない、明日を迎えることを!」


 元宣教師の真摯さと、政治家としての紳士さを兼ねたスピーチに観衆が沸き起こる。


 市長は動じず、左腕を伸ばす。


 それは、六番目の椅子に座っていた女性だった。


「それでは、次の方に。エレン=ウェザーマンさん、お願いいたします」


 市長に促され、登壇する女性に群衆が目を向けた。


 彼女の歩く姿は、何処か彫刻の様な均整を覚える。


 象牙色のパンツスーツは、色が薄く、肌色の様に錯覚させられた。


 石榴色の唇と薄いエメラルドグリーンの眼。


 服と合わせて輝く、乳白色の頭髪は、肩甲骨の部分で切りそろえられていた。


 登壇を完了し石榴色の唇から、


「皆さん。まずは、深紅の外套コートの青年。そして、よき羊飼いの少女にもう一度拍手を!」


 彼女の謝辞は、ロックとサキに向けて、拍手の標準が合わせられる。


 サキは、感情の整理が出来ていないのか、ロックの隣で視線を左右させていた。


 ロックはサキとは違い、壇上の女と向き合うことを躊躇ためらわなかった。


「“ベターデイズ”の代表として、イベントを開催できることを光栄に思います。私たちは、バンクーバーの住民でありながら、別に暮らさざるを得ない市民が、今一度、日常へ帰り、未来へ歩める戦いをしています」


 バンクーバーの悲劇が三年前に起きて以来、サウスイーストバンクーバーの住民が消息不明となっていた。


 ”ウィッカー・マン”の侵入を防ぐ“壁“を設置したことで、市街を守ることは出来たが、それによって行き来も制限された。


 それに伴い、救助活動もその煽りを受けた。


 生存者と“壁の向こう“に大事な人を残した者たちの中には、「”ウィッカー・マン”の襲来」という、戦争は愚か、に、心を痛めるものも多かった。


 それにより、精神を蝕まれる者も、当然増えた。


「”ウィッカー・マン”襲来」の傷に苦しむ人々の生活の補助を行う市民団体――それが、“ベターデイズ“であり、市や州など様々な団体が官民問わず支援している。


「そして、私たちの言う壁の向こう側に分けられた住民のケアは、市長と強いては、B.C.ブリティッシュ・コロンビア州知事とカナダ政府による助けが出来なければあり得ませんでした」


 イーストヘイスティングは、世界第二位の規模と言われる中華街があることで知られる。


中国人の移民――特に、香港返還を避けてきた者たち――が多い。


 そんな移民たちが住宅を買い上げていった。


 しかも、快適さは更なる外資を呼び、住宅価格の高沸を引き起こしているとも指摘されている。


 その結果、現地住民が住宅を得ることが出来ない事態となり、国連の人権問題の一つに「カナダの路上生活者」が挙げられる程であった。


 ましてや、チャイナタウン以東が”ウィッカー・マン”という存在が不法占拠されている。


 香港移民の富裕層が、ベターデイズに資金援助を行うのは、予想の範疇だった。


 住宅問題も合わせた次の市政選挙を始めとした政治活動では、ベターデイズは無視が出来ない票田だった。


「更には、”ワールド・シェパード社”、”ブライトン・ロック社”の勇敢な市民の手により、少しずつですが壁の向こう側の市民がこちら側へ来ることが出来るようになりました」


 無論、正規の手段ではない。


 中東の動乱で、良くも悪くも名を広めてしまった傭兵企業の”ワールド・シェパード社”の介入のお陰である。


 カナダの正規軍、警察や特殊部隊は、未知の存在に立ち向かったが返り討ちに合ってしまった。


 国際条約や情勢にない存在は、必然的に「」に鉢が回される。


 ブルース、キャニス、そして、ロックもその中の一人だった。


 最も、後者の“勇敢なる市民”と言う方が正しいが。


 しかし、人間には帰属意識がある。


 文化、人種、宗教に国籍がそれだろう。


 ”ワールド・シェパード社”やブライトン・ロック社は、それぞれアメリカと英国の企業だ。


 当然、外国企業が地元のインフラを担っている現状に良い印象を抱いていない市民は多数いる。


 ”ワールド・シェパード社”は、”ウィッカー・マン”を弱らせる技術を有し、ロックたち、”ブライトン・ロック社”はまで可能にしている。


 その方法を外資が独占し、出し惜しみしているという世論の批判も少なからず存在する。


 穿うがった見方をすると、バンクーバーはそういった連中のとして扱われていると受け取る市民も多かった。


「日常への回帰。それを求めます。私たちは市の協力も得て、作りました。ご覧ください。“バンクェット”を!」


 会場の後ろで揺れていた、白い幕が下ろされる。


 白幕から出てきたのは女神像だった。


 生まれたままの服で、女性の魅力を強調している外観。


 振り上げる両手と相貌が、雲から垣間見える光を目一杯浴びている。


 裸婦像に卑猥さはなく、どこか無垢な神々しさを放っていた。


「壁から帰ってきた人たち……その中でも、歩みを決心した人たちも。かつての日常との再会を楽しんでください。そして、手を取り、歩み出せることを祈って」


 スピーチが終わると、ロックは東ヘイスティングと南市街から戻ってきた人たちの座る丸テーブルに視線を映した。


 壁の向こう側にいた人々には、老人や子供も大勢いる。


 壁に阻まれた人たちの感情の中には、まるで夜行性の動物が日光に戸惑いながらも、生きている親族に駆けださんとする老婆の喜び。


 喪服を纏った淑女は、悲しみに満ちた横顔に影を落としていた。


 対して、壁の向こう側からの帰還者たちは、女神像と共に日光を楽しんでいるような顔。


 彼らのまぶたに映る、「うごめく白銀」と「炎」に覆われながらも生き残った者たちは、今生きている喜びを味わっている様だった。


 ロックは、その中でを思い出し目を閉じる。


 しかし、彼にあったのは、悲しさでもなければ喜びでもなかった。


――俺は、違う。


 ロックの中に浮かぶ、白銀の群れの背後で笑う人影。


 倒すべき敵へ向けた怒りが、彼をここまで生き延びさせた。


 ロックを動かす内なる炎は、この地に導いたのだ。


「ロック、終わりだ」


 帰還者とその親族に気を取られていて、ブルースの言葉に驚いた。


 いきなりと言うのもあるが、語られた内容の驚きの方が大きい。


 ロックはブルースに、言葉ではなく、訝しげな顔を作るが、


「”ウィッカー・マン”が見えない。だろ?」


 ブルースの質問の内容に、ロックは思わず頷いた。


「なら、突っ立っていても意味は無い。サキにグランヴィル・アイランドを案内しろ」


 ブルースの返事に渋面を作るロックに、エリザベスの命令が下された。


「エリー、どういうこと?」


 ロックの前で、サキの驚愕の声が響いた。


「サキ、ここに留学に来た目的があるだろ?」


「”ウィッカー・マン”を倒すこと、でしょ?」


 エリザベスが、首をサキへ横に振る。


その仕草は、子供に駄目なことを指摘する親の姿と重なった。


だ。一応、”ウィッカー・マン”を倒しながら英語を学べる留学だ。同年代の英語圏の友人は、私を除いて学校でもそういないだろう?」


 彼女に顎で示されたロック。


 上司である少女の瞳に映る自分の顔は、唖然あぜんとしていたのか口が少し空いている。


「待て、俺は英語を教えられんぞ?」


「それに、ロックさん、他にも仕事があるんじゃ?」


 ロックと同時に、サキも驚きのあまりに声が上ずっていた。


「話すだけでいいんだ。ロックの場合は、少し言葉遣いを意識させた方が良い。話し方に気を配ると、言葉遣いも治る。サキも、英語の言い回しを学べる。利害は一致している」


 ロックとサキの懸念は、エリザベスの客観的意見の下に、見事切り捨てられた。


「それは同意。少しは、話せる英語を学んだ方が良い……ロックは女の子との接し方を学べ」


 ブルースは笑顔で賛成する。


 口角が、少し緩い笑顔。


 感情を察知されない故に、作られた笑み。


 ロックは、ブルースのこの笑顔が苦手だった。


「私も賛成。ロック、その皺の寄った眉間を直せば、少しは女の子にもてるようになるわよ?」


 キャニスの提案に、思わず言葉にならない声を上げてしまう。 


 そもそも考えてもないことを断定されて、感情がたかぶらない訳がない。


 更に言うと、言われた本人へのれた弱みを持っていて、それを抑えろと言うのも無理な話だった。


 だが、それでもロックは、感情の波をしずめようと、深呼吸。


 こういう時に感情を吐き出すと、エリザベス、ブルースとキャニスに付け入れられる。


 現に、三人の顔には、ロックのなけなしの誇りと尊厳を、見下す笑みを見せていた。


 抗弁こうべんをしてくれる当事者が必要だと考え、


「サキ、テメェも疲れているだろ? こんなに人が多い中で、変なもの受け取ったんだ。帰った方が良い。いや、帰れ」


 ロックも焦っていたのか、口調と内容が駆け足気味となっている。


 だが、話題を振られたサキの言葉に唖然とさせられた。


「ロックの目つき、悪くないよ? 眉間もどっちかと言うと……格好いい方だよ」


 余りにも周回遅れの話題を出され、ロックは思わず脱力してしまう。


「……もう、勝手にしてくれ……」


 その言葉を聞いたハイエナども――もとい、ブルースたちの嘲笑にも似た視線が、ロックの背後から突き刺さる。


「決まりだな。取り敢えず、私の友人だ。変なことをしたら、少なくとも今の給料で逃げ切れると思わないことだ」


 エリザベスの無慈悲な言葉で、ロックの退路は完全に断たれた。

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