第二章 Beggar's Banquet

狂宴―①―

3月18日 午後1時30分 グランヴィル・アイランド


 ロック=ハイロウズは、サキ=カワカミの扱いに違和感しか持てなかった。


 紙面や受視機テレビで流されるほどの人物なのか。


 古代ローマ提督の通貨の様に、印象に残る横顔なのか。


 噂も含め、被写体かと問われれば、ロックは断言するだろう。


「馬鹿か、テメェ」


 ロックは聴衆に内心、毒気づいて眺めていた。


 小演台の前に立つサキの恰好に、聴衆の目は奪われている。


 紺をベースにしたブレザーと膝上で揺れる、暗色のチェック地のスカート。


 サキの通う、日本の高校の制服であることは、聞いていた。


 彼女の制服と共に、バンクーバーの冬梅雨のとも言える陽光を受けて輝く黒髪に、見るものは黒真珠と称するかもしれない。


 光を受けたサキの相貌に浮かぶ柔らかくも整った凹凸は、東洋人の中でも目を引いた。


 つまり、美人の部類にあたることは、ロックの疑う余地もない。


 聴衆の描くという日本人は、ロックの懸念を他所に、会場から電子と紙、媒介を問わず発信されている。


 “深紅の外套の守護者クリムゾン・コート・クルセイド“の呼び名を持つ少年の、サキについての評価は観衆や聴衆と大きく異なっていた。


 ”ウィッカー・マン”という未知の恐怖に、逃げるべきか立ち向かうべきかの相克に悩みながらも、恐怖を踏みとどめた彼女。


 ロックの前で安心の余りに腰が抜け、彼の異質な力に恐怖し、息を呑む。


 そうかと思えば、ほんの少しだけ寿命が延びたことに驚きの余り呆けた顔を、彼女はロックに見せた。


 だが、我に返るのも早い。


 足元を震わせながらも、彼の痛みを伴った警告を物ともせず異形に立ち向かった。


 ただ、を胸に泥臭く足掻き、最後の一秒まで無為に死ぬことを望まない。


 それが、ロックの見た「サキ=カワカミ」という一人の少女にして、一人のだった。


 彼の視界に映る、緊張した面持ちで、地面から膝丈ほどの高さの舞台に立つサキ。


 彼女は、小演台を挟む人物を臨んだ。


 四十代の小奇麗な男性。


 彼がサキに向ける笑みは、学校行事でメダルを渡す、子供向けのものではない。


 凛々しさを感じさせ、人心を得られる風貌の持ち主はB.C.ブリティッシュ・コロンビア州首相のデヴィッド=スプリングショーだ。


 彼は自由主義と中道、少数党からなる大連立内閣の手綱を引く現実派と知られている。


 最低賃金を上げることを約束し、党による政争を控える実利的姿勢を世論に示していることをロックは耳にした。


 宙ぶらりん内閣ハング・パーラメントや多党制内閣による停滞を打破し、法案可決の勢いを今回のサキへの表彰で得たいのだろう。


 そう考えながら、ロックはサキの周囲に目を向ける。


 B.C.ブリティッシュ・コロンビア州知事の背後に聳える、白炭色の覆い布。


 それに包まれたは、二階建ての魚市場よりも高いが、会場を挟む様にして建つバラード橋とグランヴィル橋の橋梁に達するほどでもない。


 されど、雲より垣間見える晴天とフォルス川の水面からの反射光も受け取りながら、人々の目を捉えている。


 グランヴィル・アイランド。


 かつては、カナダの先住民族――ファースト・ネイション――の釣り場だった場所は20世紀初頭に産業地区とするフォルス川周辺開発の拠点となった。


 1970年代、跡地は大型商業地区として再出発をすることになる。


 北のバラード橋を臨める、半島の北端。


 サキのいる小舞台は、回覧船の到着場兼駐車場として使われている場所だった。


 回覧船は、フォルス川の対岸を回りながら、西ウエストバンクーバーを往復及び巡航している。


 対岸には、新築のコンドミニアム、高級洋服店や高級喫茶店、美容関係の店舗まで立ち並ぶ“イェール・タウンがある。


 対岸の区画の安全性は、高収入のがいることで、証明されていると言っていいだろう。


 ロックは、移民と現地住民の立場の逆転したスコットランドを思い浮かべながら、会場に視線を戻した。


 両脇に割り振られた椅子の列が六席ずつ並んでいる。


 演台に立ち、空席となったB.C.ブリティッシュ・コロンビア州首相の椅子。


 カナダ総督の女性。


 太陽に照らされた沼の様な黒髪をした、語学学校校長、カラスマ。


 続いて、語学学校の実戦技術の監修を行う”ワールド・シェパード社”の専務、ナオト。


 中華系のバンクーバー市長の座る椅子の隣は、今回の行事のとも言える女性の席である。


 その背後には、バンクーバーの多様性の証でもある、移民共同体の代表者が控えていた。


 彼女に目を凝らそうとするが、拍手に遮られる。


 サキと握手を交わしたB.C.ブリティッシュ・コロンビア州首相が空席に戻る。


 観衆の最前線が、カメラを構えた。


 サキが遅れて壇上を後にすると、カメラの閃光が、祝砲の様に放たれる。


 舞台の袖にいたロックは、騎馬警官、”ワールド・シェパード社”の私服警備員と共にサキを囲み、光を遮った。


「サキ、見失うな」


 ロックはふと、言葉を漏らす。


 その言葉に虚を突かれたのか、サキは言葉ではなく眼差しを返した。


 見開かれたサキの目は、ロックの姿を大きく捉える。


 余りにも、自分を隅々まで映していたので、彼は彼女から目を逸らし、


――見なくていい……。


 言葉には絶対出さないようにした。


 ロックの様子を見て、ふざけるがすぐさま思い浮ぶ。


 そんな動揺を隠すように、ロックは周囲を凝視。


 川の向こうのコンドミニアムでは、こちらに情報通信端末タブレット携帯通信端末スマートフォンを傾けるもの者がいた。


 録画でもしているのかもしれない。


 目の前では、物珍しさに割り込もうとするものもいた。


 ロックは、その強すぎる好奇心に敵意をありったけぶちまけようと考えたが止める。


 サキのうつむく顔に照らされた、カメラの閃光。


 無数の光で照らされた顔には、感情は無かった。


 ただ、一文字に結ぶ彼女の口の端が、微かに震えている。


 思わぬものを見せられて、ロックの中の敵意は、いつしかサキの内で噛み締める何かに気を取られて霧散した。


「大丈夫だ。サキの周囲には誰も、ない」


 ロックは左耳に付けた中距離無線通信機を叩いて、小声で伝える。


 ”ウィッカー・マン”は機械兵器と言われていた。


 だが、現在の技術では説明がつかない機敏性や活動が報告されているため、と言えるかについて、反論や考察の余地は大いにある。


 どちらにも括られない、生物的疑似的動作を行う故に、”ウィッカー・マン”は地球の生態系と違う、独特の熱源を持っていた。


「何も無いの?」


 いきなり、背後からキャニスの声がする。


 ロックの双肩が、キャニスの両手に固定させられた。


 左肩越しに彼女が顔を覗き込むので、松明の様なお下げがロックの首筋をくすぐる。


「離れろよ……動力となる光は何もない。もしかしたら、隠されているのかもしれない」


 溜息を吐いて、紅い外套コートの戦士は、キャニスの両手を振り払った。


 ロックは右手を、紅い外套コートの腰の革帯ベルトに付けた、籠状護拳バスケットヒルトだけの“ブラック・クイーン“を右手で掴み、周囲を見渡す。


 ”ウィッカー・マン”は、肉体の水分を電気分解し、蒸発させた水分からの熱を取り込む。


 取り込まれた熱は、活動の為に貯蔵され、消費を抑える為に新たな熱運動を行う。


 つまり、冷蔵庫の断熱圧縮の原理に近い。


 冷気をもたらす、活発な熱変換機の熱源――それが、弱点とも言えた。


 ロックは、から”ウィッカー・マン”の急所とも言える熱源が見える。


 だが、その経緯は彼が他者に誇って語れるものではなかった。


「それすらも隠せる新型……聞いたことある?」


 背後からのキャニスの言葉に、ロックはうなる。


 深く落ち着くようにしているが、内心穏やかではない。


 サキもを見ているからだ。


 しかも、ロックの予想もつかない、切掛けと過程によって。


「警戒を怠るな」


 ロックは、キャニスから、サキに注意を切り替える。


 彼の視線に気づいたサキは、臆せず、笑顔を返した。


――暢気のんきなのか、強情なのか……。


 サキに、ロックの胸中が見えているのかは測りかねる。


 ロックを不安にさせていると、考えたのかもしれない。


 サキも含めてだが、もう一人の心配ごとの比重がロックの頭の中を占めていた。


 “首無し騎士デュラハン”駆除の時に、出てきた男のことである。


――アンティパス……俺は、そう呼んだ。どうして?


 ロックは、記憶を辿った。


 無論、交友関係ではなく、敵か味方で括られる人間関係に焦点を当てても、アンティパスという男との因縁は全くなかった。


 だが、まるで、失った何かを取り戻せたような、安心感を覚えている。


 これをどう受け取るかにもよるが、ロックは、感情の起伏が一気に駆け巡る経験は苦手だった。


 それに加えて、目の前のサキと言う少女も、彼を悩ませる。


――見る度に、アイツを思い出す……アンティパスと会ってから。


 喪失感と同時に、励起れいきされる大切な存在。


 それを自分の所為で、手放すことになった。


 何故か知らないが、あの雨の夜の出会い以来、ロックの思考はその記憶に支配されていた。


 サキと出会った日の夜、ブルースとキャニスにアンティパスのことについて伝えている。


 エリザベスから、アンティパスという男について、調べるという確約を頂いた。


 しかし、今日まで回答を得ていない。


 ある疑問への戸惑いも覚えた。


――いや……何で、アンティパスとを繋げる。接点は――。


 苦い感情を紛らわせるために、ロックは壇上に立つ男性の言葉に耳を傾ける。


 柔和な笑みを浮かべながらも、背筋を伸ばす五十代の東洋系男性は、バンクーバー市長のアンドレ・リーだ。


 香港が中国返還を迎える前に、家族と亡命。


 バンクーバーにおける、“沈黙なる多数派サイレント・マジョリティー”を代表すると言われている。


 彼の紡ぐ言葉は、中国語訛りの英語チングリッシュだが、垢抜けていない本土人のそれよりも洗練されていた。


 かつて宣教師をしていた過去からか、言葉の一字一字の発音はおろか、余計な緩急かんきゅうもない。


 されど、彼の明朗めいろうな話し方は、教養の深さを声の節々からうかがわせた。


「長き雨は、人の営みを妨げます。しかし、天は今回、妨げの時間を無くしてくれたことに感謝しております」


 市長の一言に、扇形の丸テーブルに座る観衆の拍手が湧く。


 天気としては、今まで続いていた長雨と変わり、晴天である。


 しかし、それも長くは続かない。これから、また冬梅雨の時期に戻る。


 を含めて、みんな知っていることだった。


「そして、今回、バンクーバー市の悲劇を考えると、尊い犠牲、我々市民が生活するための代償を払わなくてはなりませんでした」


 最終的な死者は25人である。一小隊を10人として、十小隊が投入された。


 軍隊では三割以内で済めば、全滅とは言えない。


 だが、ロックたちの活躍も重なり、それで鎮圧できたことは奇跡に近い。


 少なくとも、テロでもなく、宣戦布告状態で本土決戦でない前提ではあるが。


「しかし、今日の天気の様に希望もありました。そんな犠牲の中、民間人の中で先頭を切った一人の少女。そして、欧州の解放に導いてくれた少年。雨は私たちに立ち止まることを教えます。しかし、それは天による実りの発芽の段階だからです」


――発芽ね……雨だからかび類の方か?


 ロックは、内心で吐き捨てた。


 彼の思考は、市長の考えはおろか、サキをまつり上げることへの疑義とその周囲で起きていたも含んでいる。

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