吉凶―③―

 吹き抜けを囲む形で作られたビルの通路を歩き、ドアに突き当たる。


ナオトがドアを開け、支えている間に、サキ、ロック、ブルース、キャニス、エリザベスが入った。


その後、灰色の背広の日本人がドアを閉めると、沈黙が訪れる。


 パイプ机とパイプ椅子に囲まれた、向こう側に女性と男性が座っていた。


 女性は東洋系。肩ほどまでの髪を跳ね上げている。寝癖によるものではなく、熱を加えたのだろうか。


控えめに整った目鼻は綺麗な部類だが、能面の様な静謐さを何処か連想させる。


 もう一人は白人男性。筋骨隆々とまではいかないが、無駄な肉がそぎ落とされていた。背筋は伸び、眼鏡をかけ、短く刈り上げた金髪をしている。


 二人とも、犬耳兜を外し、黒と白の防具を付けていた。


「サキ。御足労を掛けさせましたね」


 能面の様な口から紡がれる。何処か、アニメのように口と目が動く。


日本人特有の黒瞳と黒髪だが、何処か瀝青コールタール――否、自然の沼を連想させた。


サキは、彼女から聞いた労いの言葉に視覚と聴覚が絡みつかれる感覚に襲われる。


 アヤ=クリスティーナ=カラスマ。


オラクル語学学校の校長だった。


「そんなに身構えなくても大丈夫です。むしろ、この場では肩の力を抜いて、楽にして頂きたいところです」


 サキの視線に気づくか、心の中を読んでか、針鼠の棘の様に刈り上げた金髪の男が言う。


 この語学学校の教師、カイル=ウィリアムス。


“ワールド・シェパード社”からの客員講師で、彼のクラスだけはと恐れられている。


 彼の反応が、柔和な態度を見せているのもサキを更に戸惑わせた。


 そんなサキに、ウィリアムスは幾つかの紙束をテーブルに置く。


 それは、サキとエリーが通学途中に見た、新聞である。


 しかも、その数と種類は豊富だった。


「サキ、僕は君を誇りに思うよ。生き残ってくれたことに」


 語学講師のカイルが、サキに笑顔を見せる。


 どういう反応を示すか戸惑っていると、


「そんなの、喜べば良いんだよ、サキ。ね、隊長さん?」


 キャニスがいきなり、首に手をまわしてくる。そういえば、余り言葉を交わしたことが無い。


だからか、彼女の頬伝いの熱に、恥かしさを覚えた。


その熱から離れようと、首を回すと、ナオトと目が合う。


彼の髪は長く無精な印象だが、よく見ると手入れされ、女性が羨むほどの光沢と優雅さを放っていた。


「立場の関係とはいえ、祝いの言葉が遅れたね。ごめん。日本の知り合いには、伝えておいたから」


 凛々しさを砕いた、気さくな笑み。友人と共に、勉強や色々なことを教えてくれた「せんせい」と変わりないことに、サキは安心する。


 そうして、見回すと、集団から少し離れた場所にロックはいた。


彼は窓から見える風景と新聞記事に目配せをして、溜息を出す。


 彼の無造作に放り投げた記事が、サキの目を引いた。


“|The Crimson Coat Claps!! 《深紅の外套、雷霆と化す!!》”


 その言葉を知ったのは、数か月前の「ワイルド・ハント事件」である。


 ”ウィッカー・マン”出現自体、日本では報告されていないが、北米や欧州諸国で出現が相次いだ。


特に、欧州では顕著に発生し、英国のロンドンやスコットランドを始めとした各都市が戦火に巻き込まれたと言われている。


 その終息が報告されて数日後、“深紅の外套を着た青年”が動画投稿専門の電脳空間を通して、世界を巡った。


年齢は愚か、国籍に加え、名前すらも不明だった。


 動画配信サイトでは、彼が英国の様々な”ウィッカー・マン”を倒す様子が公開された。


“ワイルド・ハント事件”の終盤に現れた、スコットランドの空を覆う謎の剣の様な飛行物体を、深紅の外套の青年が爆破した姿も。


 彼の蹂躙していく様に、感想述べた者の中で、勇気をもらった者もいれば、自らを同一化させている者もいた。


日本語の電子短文投稿空間では、リンクを見せながら日本の政権の毀誉褒貶に使う者が、後を絶たない。


 そういった日本人の場違いな熱気とは別に、サキはロックの戦う様には、何処か寂しさを感じていた。


「そう、今は喜んでください。あなたの行動は、私たちオラクル語学学校の希望となります」


「願望の間違いじゃねぇのか?」


 カラスマ校長の喜びと共に出された賞賛の言葉に、水を差すロックの言葉。


その一言に、カイルが目を細め、剣の様な鋭い眼光を紅い外套の青年に放つ。


 ブルース、キャニスの何れもロックの軽はずみな言動を注意しない。


 二人とも、カラスマとカイルに、警戒色を秘めた眼差しで牽制しているようだった。


「ロック。希望はまず願うのが重要だ。だけど、願いが思いもよらぬ軋轢を生んでいるというなら、”願望”でも誤りじゃない。それを正す為に、君たちをここに招いたんだ」


 ナオトが咳払いをしつつ、二者の間に立ち、カラスマに先を促した。


「その通りです。人類は未曽有の危機に直面していると言っても過言ではありません。そして、その無力感故に、不条理さに屈服することもあります」


 カラスマは、写真を五枚取り出す。


 画像は荒く、そこに映るのは、何人かの人間が、スカイトレインの駅に入り込む一枚。


二枚目から四枚目は、覆面をした人間の写真。


その中に、太いのと細い人間がいた。その二人が、バリケードを鍵で開け、次の写真では、電車に何かを放り投げたものだった。


 最後の一枚の写真には、電車が映っている。電車の車体は白地に青と黄色の線が入った――スカイトレイン――というB.C.ブリティッシュ・コロンビア州の交通機関で、その壁に焦げ跡を残した、大きな穴を写している。


 カイルは一呼吸おいて、


「私たちは”ウィッカー・マン”を滅ぼせない。しかし、行動は抑制できる」


「”リア・ファイル”を混ぜた電磁パルス弾(Electric Magnetic Pulse)で、”ウィッカー・マン”の行動を抑えられることがわかりました。一部区間のスカイトレインを使っていましたが、彼女たちのおかげで……」


 カラスマの言葉でサキは理解した。


 ”ウィッカー・マン”はある区画を占拠している。それは、北米最大の危険区域と言われた東部イーストバンクーバーと、バンクーバー市警のある南市街だ。


 スカイトレインの自動操縦を行う運転席は、小型EMP兵器による故障を防ぐ為、ファラデーケージと同じ仕組みの壁に囲まれていた。


スカイトレインに乗せられた電磁パルス弾を、決まった区間と時間に上空へ放たれる。


 小型EMPを受けても、血気盛んで、境界線付近に現れるものを”ワールド・シェパード社”は、射撃訓練も兼ねて追い払うのだ。


 そうして、”ウィッカー・マン”の市街地への侵入は防がれている。


 だが、その防御の要である、スカイトレインがチエとミキの凶行で破壊され、”ウィッカー・マン”が市街地になだれ込む事態になった。


 サキは、ロック達と共に”ウィッカー・マン”を破壊したが、区画にあるもの全てではない。


 スカイトレインによる、EMP散布が不可能な以上、現在、ドローンを使ったEMP爆弾を投下する方法しか残されていなかった。


 だが、ドローン自体、遠隔操作の時の電磁波対策に課題がある。


 ドローンを二回に分けて、放つ必要がある。


一台は、時限式で爆発するファラデーケージに入ったEMP弾を積み、もう一台は、音声によって風景を再構築する撮影機によるものである。


ドローンを爆破させたEMP霧の散布した地点から離れた場所に、撮影機を投下させる為、情報分析に時間を掛ける羽目になったとサキは耳にした。


 定期的に行動をスカイトレインから把握できた分、現在の”ワールド・シェパード社”の”ウィッカー・マン”の監視能力は、大幅に落ちている。


「タイミングが良すぎる。ナオトを狙ったにしても……エリザベスを狙ったにしても」


 ブルースが語を継いで、背広のナオト=ハシモトに目を配った。


 ナオトは、”ワールド・シェパード社”に就職を決め、”ウィッカー・マン”と戦っていることを聞いている。同時に、彼も”ワイルド・ハント”に居合わせたことも。


その功績から、地位を高めたと聞くが、隊長と専務の兼務をしているというのが、今でも信じられなかった。


「出世頭だしね……あんたの足元掬おうと躍起になっている奴らが、何処にいるかもわからないしね」


 キャニスが笑いながら、周囲を見回す。


オラクル語学学校の講師のカイルの目が、猛獣の様な鋭さに変わった。


「だからこそ……あなた達を呼んだのです」


 カラスマがキャニスの視線を受け止め、黒瞳をロックに向ける。


「サキ=カワカミ、ナオト=ハシモト。この二名は、語学学校はおろか”ワールド・シェパード社”内でも狙われています。そして、今回の功績でサキ=カワカミ氏に市の行事に出席してほしいとの依頼も受けました。もしものことが起きると……」


「進み始めた”ウィッカー・マン”対策がグダグダになる。ただでさえ、TPTPが波乱を呼んでいた中、不協和音を生むと、協力国や協賛企業内で不和が起き、全世界”ウィッカー・マン株安”が起きかねない」


 エリーが言葉を継いで、さらに続けた。


「だから、我が”ブライトン・ロック社”は、”ワールド・シェパード社”への協力を行おうと考えている。ロック、ブルースにキャニスは、本来は”ウィッカー・マン”調査の戦力として送られたのだが、対”ウィッカー・マン”対策の協力体制が崩れるのは歓迎できない」


 知己で支援者の少女の言葉に、サキは呼吸すらも奪われた。


 ”ブライトン・ロック社”。


英国の大手電気通信会社で、セキュリティ、商業コミュニケーションにIT情報記録管理施設など、多彩なサービスの提供で有名な国際企業である。当然、日本でも事業を展開し、IoTにおいては、同社の存在が一目置かれていた。


 しかし、事業内容は新聞である程度読んでいたので、驚嘆に値しない。


問題は、彼女の言った言葉――特に「」というである。


「エリー。もしかして……って、言っていたけど……」


「ああ、だ」


 サキが驚きで呂律の回らない口から、辛うじて出した問いに、エリーは謙遜と言うよりは、無関心な風に答える。


と言っても、通じる企業だ。覚えやすいしアイツ見てれば分かるだろ?」


 ロックが親指でエリーを指すと、


「なら、テレフォンオペレーターに配属しよう。今でも所謂、ブラック企業対策やキャリア開発を率先しているが、お前が入ってくれると心強い……心身のケアで、抜けた人員分の仕事が期待できそうだ」


 エリザベスの応酬が、彼の顔を顰めさせた。


「俺は清掃員かと思った」


「ブルースが先輩でね。のも確実にでしょうから」


 ブルースとキャニスが茶々を入れる。


 彼らのやり取りに、サキの頭の中の熱流が早まった。


 自分の価値、親友のいる理由。


周囲を取り巻く事態が、余りにも、性急に運びすぎることに。


「サキさん……あなたの活躍にバンクーバー市は勇気づけられています。内通者が出ることは愚か、”ウィッカー・マン”に傾倒しようとする者たちに考えを改めさせることもできる。そして、あなたの姿に感化され、救われるものも増えてきます。その為には、あなたの力が必要なのです」


 カラスマの真摯な視線が、サキの眼を捉えて離さなかった。


 彼女の言う様に、“ウィッカー・マン”の様な、は人の数ほどある。


その中には、“ウィッカー・マン”をと取る者もいれば、「」と考え、文明世界の破壊をもいた。


 同時に、当事者たちのを行い、政権批判や政権擁護を行う者たちもいる始末である。


 サキは、母国で受けた扱いを思いだしながら、


「具体的にはどういうことでしょうか?」


「週末のグランヴィル・アイランドで、ベターデイズの開催する“市民の集い”に出て下さい」


 ”ウィッカー・マン”による襲来は、人々の心に爪痕を大きく刻んだ。


身近な人の存在の喪失や、その存在そのものに、悲しみや恐怖を植え付けられた者は後を絶たない。


“ベターデイズ”は、そういった市民の精神的補助や生活支援を行う民間団体である。


元々、社会的少数派を保護する、社会福祉活動に務めていた為、それに協賛する地元企業や政財界も少なくない。


“ウィッカー・マン”の活動と同時に、団体は活動する範囲を広げ、報道の眼にも留まる様になってきた。


「市長から、盾と賞状を受け取ってください。期間が期間ですから、あなたはスピーチの原稿を考える必要はありません」


「要は、お人形さんだ」


 ロックがカラスマの言葉を乱暴に解釈する。


「ロックさん。初めての海外で注目を集めて、大勢の前で話させることに原稿を考えることは多大なストレスになります。無論、サキの意志に委ねます。バンクーバー市民は、ですからね?」


 カラスマの言葉に、ロックの口から言葉は紡がれなくなる。


 サキは、彼女の「バンクーバー市民」という言い回しが強調されていることに違和感を覚えた。


ロックも、彼女同じものを感じ取ったのか、カイルだけでなくカラスマにも鋭い視線を向ける。


カイルの返した視線は、まるで、自分たちの場合は教鞭だが、ロックに見せているのは細見の軍刀の様に思えた。


 その意図に関して、サキは言葉が見つからない。


 だが、は理解していた。


「いえ、出させていただきます。私の姿が、人のためになると言われることに戸惑いますが、もし、そうなるなら、私は受けます」


 は、自分に力が無かったから、隠れるしかなかった。


 今は出られる。


 それが、彼女を支えてくれた人への恩返しにもなる筈だから。


 その言葉に、カラスマが満足そうに頷く。


「そして、サキの警護はロックが行う」


 エリザベスの冷たい言葉。ロックは、その言葉に異議を挟まない。ただ、深く頷いた。彼の瞳が何処か、揺れる湖面を連想させる。


「ロック=ハイロウズ氏は、”ワールド・シェパード社”の強硬派への牽制にもなります。同時に、この地にもある程度、精通されています。所謂、適材適所です」


 カイルが言葉を紡ぐ。だが、何処か敵意を秘めた視線を投げかけている。


「サキ、お前が門を潜る。俺は、それを守る。それだけだ」


「そして、ロックは燭台の油を用意し灯す、ということだ」


 ロックは、カイルの視線を無視して言うと、そして、彼の語をエリザベスが続けた。


 聖書の言い回しをよく使うのは、エリザベスの癖である。


 十人の乙女が、救い主を迎える門の燭台に油を注げと言われた。


半分はに救い主が来ると考え、残りは未来をとして、油を準備した。


この結末を聞くのは、彼女のやり取りの後では、恥の上塗りにしかならない。


 そうして、会合を終えると、サキはふと視線を感じた。


 カイルとカラスマ。


 ロックたちの気付かないところで、彼らの眼光がサキに突き刺さる。


 一つは疑念。


 もう一つは、猛禽や猛獣、そこに濁った何かどす黒いものをカラスマからだった。

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