吉凶―②―
21世紀、人類はコンピューターの発展による未来を約束されたかに見えた。
しかしながら、繁栄は試練を乗り越えずに現れるものではない。
半導体開発による、情報処理能力の「ムーアの法則」の限界の克服。
克服した後に、迫りくる「
人類は唐突ながら、二つの大きな試練を乗り越える銀の弾丸を見つけた。
未知の鉱物。”リア・ファイル”。
ダイヤモンドを超える熱伝導率に加え、人間の脳組織の神経伝達パターンの複製を可能とする。
また、どれだけ上書きしても、情報処理仮定の
極めつけが、遺伝子以上の情報容量の保存。
世界的なIT企業の有する情報検索サーバを上回る情報収容量を容易に超え、人間の頭脳の情報量の限界である、ベッケンシュタイン境界に到達するとも言われている。
これらの恩恵は、技術の制限と脅威の価値に対して、お釣りが来るほどだった。
しかし、人類はその発見が利益をもたらすどころか、その債務と利子の大きさを痛感する羽目になる。
”リア・ファイル”による機械生命体――”ウィッカー・マン”の襲来である。
四年前、突如としてバンクーバーの東部に発生。それを皮切りに、世界中で出現し始めた。
今のところ、先進国の首都圏には出現していない為、主要国インフラに支障はない。
だが、そうではない居住地では、住民の避難が行われ、酷い時には「立ち入り禁止」の名の下の閉鎖都市化に追い込まれた。
人類への警告なのか、進化を迎える為の試練か、はたまた、人知を超えた者の純粋な悪意の顕現なのか。
その正体について、知る者は未だいない。
だが、「既存の兵器」を悉く無効化し、人類の生活圏も侵食している事実だけが、明らかだった。
斯くして、バンクーバーはその第一種接近遭遇を遂げた地として世界にその名を知られることとなる。
バンクーバー奪還のために、環太平洋の国家の有力者は、“太平洋経済連携協定”(Trans-Pacific Partnership)を下敷きにした、“太平洋経済戦略連携協定”(TPTP: Trans-Pacific Tactical Partnership)を発足。
対”ウィッカー・マン”を念頭に置いた、戦略及び技術発展の国際協力体制を構築に意欲を示した。
TPPで叫ばれたグローバリゼーションの脅威と弊害は、有史以来直面したことのない危機の前に、霞んで消えた。
調印国カナダの都市バンクーバーは、特に住みやすさ、金融とIT産業が外国で知られている為、”ウィッカー・マン”の出現は脅威となる。
その脅威への対策が、バンクーバーの主要産業に、対”ウィッカー・マン”研究と関連技術が加えられることになった。
同時に、「人類の危機」に立ち向かわんとする者たちのメッカとなることは目に見えていた。その為に必要な言葉は、カナダでは英語(或いは仏語)である。
オラクル語学学校。対”ウィッカー・マン”戦の訓練及び実戦を習える学校として、
そこの科目は、世界的な”ウィッカー・マン”対策で知られる、”ワールド・シェパード社”の監修によるものも競争倍率の底上げに一役買っていた。
更に言うと、そこで監修されたマニュアルは英語、又は仏語である為、専門知識を本国で使わんとする渡航者の、留学査証及び労働査証の申込数も押し上げている。
内外問わず語学留学者は、この学校で英語を学べ、”ウィッカー・マン”という人類の敵と戦えた。
そこでは、”ウィッカー・マン”関連の産業という未知の領域の先駆者として名を馳せられ、そこで得た語学に専門知識は、それ以外の産業でも「行動力」や「向上心」の証明も兼ねられるので、就職活動では有利に働いた。
その中に、河上サキはいた。
サキは、昇降機を降りて、休憩所に向かう。
清涼飲料水、甘味菓子の自販機が二台。その前に、数台の円卓が佇む小さな休憩所がある。
受付で電子機器や貴重品を渡し、犬耳兜の強化装甲に手を通し、機器の点検を行う。
異常が無ければ、預けていた教材を受け取り、休憩所の窓から覗く雨模様を眺めながら、予習と復習を行う。
その後、週末は晴れることを祈る。
それが、サキの学んだ、理想的なバンクーバーの冬の過ごし方だった。
だが、彼女は、その日常を断念せざるを得ない。
休憩所に、人だかりが出来ていたからだ。
東洋系、中東系に白人や、薄い褐色から濃い褐色の男女は愚か、世代も関係ない。
そんな、多様な視線がサキを捉えた。
悲しみ、嘆息など様々な反応を示す。
そうでないものたちは、
「凄いじゃないか!!」
「ケガはない、大丈夫!?」
一気に、人混みが彼女に押しかけてくる。
サキは、大丈夫と絞り出すように答えた。
過剰な反応すぎて面を食らったが、本当に心配をかけてくれた声に、少しだけ心が晴れたように思う。
周りに目を配らせると、二人の女性がサキの目を引いた。
一人は脂肪太りが目立ち、その隣の女性は、背の高さと細さに目が行く。
サキは、二人の内の一人は、シーモア
あの時は、犬耳兜で顔が分からなかったが、彼女の隣の痩せている女性を見て、サキは名前を思い出す。
体格の横幅が目立つのがミキで、細いのは、チエと言った。二人は何時も一緒に行動している。
サキは、ミキが助かったことに安堵するべきだったが、出来なかった。
他の人たちと違い、黒い犬耳兜を外し、白の外骨格を身に纏ったままである。
そんな状況の不一致に、サキは思わず首を傾げた。
彼女の頭の中で、あの時のミキの言葉が唐突に蘇る。
『こんな筈じゃなかったのに!!』
サキの視線の注がれる先に周囲の人だかりの向ける、白の外骨格を纏った二人の日本人への眼差しに、差異が生まれる。
サキの場合、心配、感謝と歓喜だ。
彼女たちに向けられたのは、疑念、敵意と確執である。
その中から、溢れる言葉がサキに届いた。
「あいつらの所為で、みんなここで立ちんぼだ」
「スマホを取り上げられ、パスコードも吐かされたんだ!」
「SNSにメールアカウントも全て聞かれたわ!」
”ウィッカー・マン”にとっては掠り傷でも、サキたちの使う武器――電子励起銃――は対人向けの殺傷能力は健在――つまり、危険物を扱う為、情報管理が厳しい。
TPTPは、ある程度報道も許すが、それでも活動内容の公開については厳正な審査が設けていた。
作業標準書とも言える、オラクル語学学校の教科書は、施設の外へ持ち出すことも禁止されている。
更に言うと、SNSは授業内容及び仕事内容の投稿にも、厳しい制限を加えていた。
そういった制限で、勉強、訓練に研修をサキ達は重ねている。
だが、今その場にいる人物たちの電子端末類や交友関係が、全て審査の対象となるのは、サキの留学生活の経験上、あり得なかった。
「ミキさんとチエさん……何かしたの?」
サキは同じクラスの南米系の白人男性に尋ねる。
彼は、
「二人の問題は二つだ……やるべきことをやらなかったし、やらざるべきこともやった。そいつらに、待っているのは一つだけだ」
その言葉の意味を知り、サキはミキとチエに視線を向けた。
彼女たちの纏う、黒いタイツと白の鎧は劣化知らずと言わんばかりに、照明を反射し煌いている。
しかし、彼女たちの憔悴しきった顔との対比が激しかった。
聞いた話だが、東洋人は湿度のある気候で生まれる為、肌は白人や黒人に比べ、多く水分を含む。
彼女たちの顔は、体から水と言う水が出て、まるで絞り切るどころか、捩じれ切れそうな雑巾の様であった。
二人の顔からは生気が抜け、大柄なミキは海豹、チエは痩せこけた野犬の様な動物顔と化している。
情報漏洩や利敵行為をしたものには、尋問が行われる。
だが、その内容を知る者はいない。
同時に、その過程すらも。
少なくとも、ミキとチエ以前に、サキは見たことが無かった。
二人の日本人の隣の半開きの扉が、手招きをしているように開閉。
往復するたびに、不健康的な細さと肥満の東洋人女性が扉の音に震える様は、何処か周囲の失笑を誘う。
「サキ、凄い人だかりだな」
手続きを終わらせてきた、エリーが話題に入って来た。
首から掲げられた訪問者を表す入門札が、胸の弧を際立たせ、サキも同性ながら艶めかしさを覚える。
南米系のクラスメイトを始め、場違いな訪問者に何人かが息を呑んだ。
サキの持つものとは違う異質な雰囲気を放つエリーに、彼らはその場で立ち尽くす。
「サキちゃんが戸惑っているでしょ!?」
細身のチエが大声と長い両手を使って、サキの間に割り込んだ。
彼女たちの間にミキも入る。彼女は、サキに念仏を唱えるように大丈夫と繰り返しながら、近づいてきた。
しかし、サキには、その反対に二人が自分を守っているというよりは、周りから突き放そうとしているように見える。
現に、二人の顔は脂汗で湿り、曇っていた。それに、周囲の視線から目を離そうと、浮足立っている。
大丈夫と口々に言うが、二対の視線にサキは入っていない。ただ、ミキとチエを互いに映すだけだった。
皆の視界が疑念の海と化し、二人の日本人は、渦のど真ん中にサキを巻き込もうとしている。
「結構です、やめてください!」
サキは凛として拒絶の意思を示した。彼女は愚か、クラスメイトの殆どが、ミキとチエを信用していない。
自分たちの不都合で不愉快なものは、不謹慎と切り捨てる。
ただ、年齢によって肥大化した誇りが服を着ているだけだった。
人によっては、年齢が国籍、はたまた性別の何れかに変わる程度の人間である。
自分のことしかないので、当事者意識は皆無で、同族意識の高さしか持ち得ないのも始末が悪かった。
当然、嫌悪感の表情を浮かべているサキの意図を理解していないのか、海豹顔と狐顔は、突如喚き散らし始める。
その変貌に、当のサキも戸惑うことしか出来ない。
だが、彼女たちの喚きの中にあった言葉が、自分に向いた時、次に取るべき動作を決定づけた。
『何よ―――の癖に!!』
その言葉は聞き取れない。
だが、不思議と聞き返す必要が無かった。
その禁句が、直に彼女の脳に伝わる。
まるで、爆弾が爆発したが、爆炎は無く、その衝撃だけが伝わるかのように。
<大丈夫だよ。サキ>
<あなたには力がある、深呼吸して>
サキは、ふと身体の内から”二つの鼓動”を感じた。それらを鎮めるかのように、両拳を握りしめる。
力強く、後一握りすれば、血が滲み出るように思えた。だが、怒りが、彼女の鋭敏さを研ぎ澄ます。
静かな怒りは、サキの視界を広げた。
目の前の、巨女――ミキ――が荒々しく、駆ける。
サキは、鼓動を抑えつつ呼吸を肺に送った。
まるで、熱された製鉄の純度を高める鞴を意識。
それから、ミキは、サキの間合いに踏み込んでこなかった。
いや、踏み込めなかった。
苦悶の表情を浮かべる、不健康な脂肪腹の日本人女性は、左脚の膝上を両手で抑え、蹲っている。
両手の間から、黒いタイツと白の膝当て、その間に刻まれた、サキの右足跡が覗いた。
サキの放った、フランスの格闘術、サバットの
力は重量と速さの乗法で生み出される。訓練を積めば、体から約300kgの力を生み、相手の膝の皿を砕くことも容易だ。
オラクル語学学校では、銃器が無い時の対処法で、古今東西の護身術を習う。
サキは、日本で空手を習っていたが、実戦で使えそうな格闘技を一つ加えた。
しかし、”ウィッカー・マン”ではなく、人間に使う事態に、サキは悔恨で口を引き締める。
チエは、サキの行動に茫然とした。
周囲も息を呑む音が、余りの唐突な事態で静まった部屋に木霊する。
その静寂は、ミキの苦悶の呻き声で途切れた。
余りのことに理解が追い付かないのか、言葉ではなく息が口より漏れる。
しかし、口から出たのは言葉ではなく、ミキがサキへ飛び掛かろうとする行為の唸り声だった。
不摂生の脂肪海豹女の巨体は、少女に届かない。
サキの目の前で、二つの影がチエとミキを覆う。
ミキの恰幅を越えた肥満体は、紅い影の放った左回し蹴りの衝撃を、脂肪が受け止めながら宙を舞った。
チエの方は、腹部に放たれた橙色の右回し蹴りで、全身で直角三角形の頭頂角を作る。
二人の日本人を襲った、紅と橙の影は、それぞれ、ロックとキャニスだった。
サキが二人の姿を視認した後、一際大きな衝撃音が休憩所を襲う。
ロックの蹴りで、ミキは飛ばされた蹴球の様に弧を描き、自販機に激突した音だった。
無音状態の休憩所に、炭酸飲料から漏れ出た二酸化炭素の音が包み込む。
「ロック、こいつらから自白を吐かせたいの。泡を吹かせたいんじゃないよ?」
「キャニス。お前こそ、蹴りの衝撃で、口の使い方を忘れさせんなよ?」
キャニスの制する声に、ロックは鼻を鳴らしながら言い返した。
自販機のボトルに埋もれた、ミキの腹部の白装甲は蹴りの衝撃で、罅割れている。
ミキの舌の位置が通常よりずらされたのか、容器から流れ出ている炭酸飲料の色取り取りの液体を浴びながら、口腔内に溜まった唾液と空気による”泡化粧”を晒していた。
対して、キャニスの方を向くと、喘ぐ暇もなく体を前に折り曲げたチエがいる。
攻撃された痛みと恨みを言葉に乗せられず、陸に放り出された魚よりも脂汗で湿らせた顔で、呼吸――否、正確には、呼吸と言う言葉と動作すら、忘れたかのように、全身を震わせていた。
「それ、ブルースかエリザベスの前で言ってみなよ?」
キャニスが振り返りざまに、チエを横に蹴飛ばす。
痩せこけた野良犬の様な女の体は、壁にぶつかって発作を止めた。
すると、男性がサキの傍に現れる。
それは、苔緑の外套の男――ブルース――だった。
ロックとキャニスの行ったことを交互に見て、溜息をつく。
ロックは後頭部を掻きながら、ブルースとエリザベスに向いて、
「エリザベス……取り敢えず、こいつら裏切り者で、外骨格の強度試験の刑。殺してねぇから安心しろ」
――聞いてもいないのに、裏切り者認定!?
ロックの深く考えていないと言わんばかりの言い訳に、サキは心の中で叫んだ。
「……次の業務に、”ワールド・シェパード社”との合同訓練でも考えておく。ただし、徒手空拳で30人組手だが?」
エリザベスが切り捨て、ロックは苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべる。
「キャニス……お前も、調子に乗るな。お前たちは唯でさえ、この場所にいることが微妙な立場だ。私のかばえる範囲で行動してくれ」
キャニスは分かったのか分かってないのか、腹を抱えて笑い続けた。
二人の反応に、ブルースは苦笑する。
彼らをよそに、”ワールド・シェパード社”の隊員が四人、人混みを掻き分けてきた。
隊員たちは、チエとミキを抱え、互いに頷く。頭部の無線で連絡を取り合っているのだろうか。
一人が顎でエレベーターを指すと、足早に彼女たちを運び出した。
「日本人的と言われるのは覚悟して言うけど、ある程度の手順は弁えて欲しいところだね……」
ブルースの背後から、達観しすぎて疲れたような日本人の声がした。
サキの知己である、ナオトである。
以前の銀色の犬耳兜と鎧ではなく、上下灰色の背広だった。
灰色を纏った日本人のボヤキに、苔色のコートを着た欧米人ブルースは、
「俺たちは、行動力と速さが必要事項。ハンコ貰う時には、迅速に仕事を終えられる人材育成がモットーでね」
「ならブルース……稟議制よりも、お前に全部一任しても良いようだな。上司としてふさわしい、監督者素質を期待しているぞ?」
苔色の外套で、溜息で凹凸する背中の山を作るブルースに、エリーが言い放つと、
「済まない。こんなやり取りをしてしまって」
サキに謝罪の言葉が来る。
だが、昨日の今日で、彼女は状況が呑み込めなかった。
昨日の”ウィッカー・マン”を倒せる人間を自分の親友が制して、その上、今回の雇い主の知り合いと言われる。
本当に疑問を感じたら叫ぶというよりは、黙ってしまうものだなとサキは自覚させられた。
「これは、僕の方から説明した方が良いかもしれない」
ナオトはそう言うと、奥の通路へ歩き出した。
ここでは説明できないことらしい。
ロックたちが、互いに頷きあう。
サキが歩き出すと、ナオトたちは彼女に歩調を合わせた。
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