第四章 A Night For The Knives

刃夜―①―

午後8:02ロブソン通りストリート 

バンクーバー市内 


ロブソン通りストリート


国際的に有名な被服店、装飾品店に飲食店などが集中し、地元民ばかりでなく、観光客や留学生の絶えない、バンクーバー市内で最も活気に溢れている場所である。


グランヴィル・アイランドがとすれば、ロブソン通りストリートは、に重点を置いていると言えるだろう。


加えて、観光地へ向かう経路としても都合がよい。


北には北米で上位10位の中に入り、世界で16番目に良い公園という栄誉も獲得した自然公園のスタンレー・パーク。


南へ行けば、美術館や歓楽街のあるグランヴィル通りストリートの入り口。


 どれだけ、“ウィッカー・マン”という非日常が牙を突き立てても、享楽を求める喧騒が無くなることは無い。たとえ、警察が外出を自粛しても。


享楽の街道に集う群衆の間を縫うように、ロックは歩いた。


傘を持っていなかったので、外套の下に着た灰色のトレーナーのフードで、雨をしのいでいる。


紅い外套という目立つ外装をしているロックにも関わらず、目を留めるものは誰もいない。


白と黒のSUV車が車道をけたたましく疾走する様に、すれ違う人々の目が奪われている。


夜のネオンと、程よい喧騒をも、かき消す煩わしさへの不快感に濡れた視線の槍が、”ワールド・シェパード社”の社章――犬が地球儀を一回りしている――の付いた巡回車両に向けられていた。


だが、彼らは直ぐに目を背け、嫌悪感を隠しつつ喧騒に戻る。


“バンクーバーの悲劇”以来、”ワールド・シェパード社”の社員が市街で見かける頻度が増えた。


“ウィッカー・マン”の活動域は、ガスタウンも含めたイーストヘイスティング通りストリート以東と市街南部。


これらの地域を担当する為に滞在する社員もいる。


そんな彼らを目にすることは、それほど珍しいことではない。


だが、数日前にシーモア通りやグランヴィル・アイランドで起きた出来事は、境界を越え、市民の生活圏への侵食を確実なものにした。


警察や軍隊も同社を監督する目的で巡回に同行しているが、”ワールド・シェパード社”の活動範囲の拡大を望む声は、日に日に大きくなっていった。


要望は主に、TPTP加盟国に所属する外資系企業、投資移民に高所得者の護衛が大半である。


 しかし、中東で悪名を轟かせた傭兵たちが、夜の街へ繰り出すことに、不快感を示す者も、現地住民の中にいたのも事実だった。


ロックは、そういった者たちに視線を軽く流して、先へ進む。


 スプリングプレイス・ホテルで、サキと会話を終えた後で、ロックの携帯通話端末に着信が入った。


 相席していたプレストンとサキに、短く断りを入れ、弟との待合せ場所に向かうことにした。


ロックは、そこに一度も行ったことが無い。


海外で、あるバンクーバー出身者を助け、その謝礼に教えてもらった場所だ。


もしもの時に使ってほしいと、彼女に教えられたが、カナダに立ち寄る機会が巡って来ず、今日まで使うことが無かった。


 場所は知っていたので、足が軽く動く。


”が主要因かもしれないが、それだけではなかった。


 サキに、何も言えなかった自分への腹立たしさが大きい。


解消できずにいたもどかしさは、彼の足に無意識の速さという形で現れた。


――俺に……出来るのか?


 サキは、あの時、知っている。


だから、覚悟を決めてロックに説いたのだ。


 リリスに見初められた者の運命。


その終焉が、ことも。


 ロックは苦々しさを噛み締め、足を止める。


 目の前にあるのは、一階建ての平らな建築物。


大きさというよりは、傘付きの屋外席が、建築物の広さを際立たせていた。


丘陵の勾配に立っている所為か、建物はどこか階段を連想させる。


――ジェニーが教えてくれた場所は……ここか?


名前は、Perch止まり木


弟との待合せ場所だが、ロックは一歩先に進むことが出来ない。


白と黒の一団。白い犬の耳を兜の”ワールド・シェパード社”の隊員たちが、円陣を作り、建築物の前でロックの道を塞いでいた。


 フードを脱いで、円陣の中心にいた二人の少年と少女に目を向ける。


 少年の方は、長い金髪を一房に纏めていた。髪に合わせた、其々濃淡の異なる飴色のジャケットとパンツを身に纏い、右肩からナイロン製の袋を掛けている。


 もう一人の少女は、水色と白色の二色縞の毛糸帽。胴体から腿の三分の一が、一回り大きな桃色のトレーナーの裾に覆われていた。


 通りに集う人だかりは、円陣に好奇心を擽られているのだろうか。


しかし、白い装甲を纏った一団に囲まれる男女に関わることのと、というのが正しいだろう。


円陣の兵士たちは、黒の犬耳兜と白の装甲に合わせた突撃銃――電子励起銃――を両手に構えている。


銃口は、円陣の中心の男女に向けられていた。


ロックの目の前で、”ワールド・シェパード社”を凝視する市民の中には、視線を逸らして早々と立ち去る者がいれば、事の推移を注意深く見守る者もいる。


立ち止まる者の中には、白い装甲の兵士たちへ敵意の視線も向けていた者もいた。隣にいた人物は、携帯通信端末の通話口越しに、警察の不在を罵声で爆発させている。


 ロックは、円陣を組む者たちに注意を向けると、彼らから聞こえてくる言語が、英語ではないことに気付いた。


男女と人種が雑多で構成された白黒の集団の一人が、小さく英語で、非英語圏の者を諫める。


 英語が耳に入ったのか、円陣の中心にいた少年は、


「……同じ、……仲良く出来ないかな?」


 何処か気の抜けた声を上げる。


 その人物が言ったように、円陣を作る白と黒二色の集団は“”と括られるようだ。


バンクーバーは、経済、政治に社会情勢などの色々な背景を負う者たちの終着点としても知られている。


しかし、20世紀末から21世紀の転換点で、“”という””に目を付けた投資移民の数が増えてきた。


彼らは、有形無形の資産を問わず、買い漁った。


彼らの購買意欲は、当然、家屋にも向き、現地住民側の住宅需要を必然的に圧迫させる。


価格は天井を突き破り、家を手に入れられず、現地住民を追い出す事態にまで発展していた。


 そこで疑問が生じる。


は、


また、


 その煽りを受けた前世代の移民たちは、生計を得る手段が限られてくる。


インフラが商品となるなら、という基本的人権は、須らく幻に終わるからだ。


移民たちも独自の生活および文化圏に籠るので、移民先の文化圏への行き来も減少する。


 だが、彼らから生まれた移民起源の子供たち――二世、三世――は、と言うよりは、考え方がになる。


現地社会の居場所づくりとして、言葉の壁を越えるのに必要な文化的資本は、必然的に彼らの親世代が枷となる場合が多かった。


同時に、その中へ押し込める両親世代への反発が、出生国家への帰属意識を高め、“排他主義”をで表面化させてしまう。


 内面、知識と評価の不一致に喘ぐ、市民たちの意見がが求められた。


その一つが、“ワールド・シェパード社”である。


 ”ワールド・シェパード社”は、そういった経済的に困窮し福祉への道を限られた者への支援として、雇用していた。


しかし、”ウィッカー・マン”を専用の銃で、追い払うばかりが仕事ではない。


“ワールド・シェパード社”と、その協力関係にある軍需産業の、新兵器の試験場と化している現状にも任されていた。


彼らの矛先に立ち、警邏活動の先陣を切らされている。


夜の仕事程、給料や手当は高い。


同時に言うと、収入の高さは志願者の社会的背景も選ばなかった。


特に、21世紀初頭のギャング戦争で騒がせた、西アジア圏のパンジャブ系、東南アジア系という血気盛んな非英語圏の二世の若者――元犯罪組織構成者が多い。


加えて、教育資本の低い帰化移民に、現地の生活困窮者――カナダ先住民族の”ファースト・ネイション”も含める――と続いた。


 ロックはそう考えながら、円陣の中心の男女と目が合う。


「兄さん、久しぶり……とは言っても、一か月近くぶり?」


「ねぇ、ロックお願いだから……カナダ人同士で、話し合いとかハグとかなんとかして説得してよ。つうか、しろ。コラ」


 円陣に囲まれた男女が口々に言った。


後者の少女は、観光地で騒ぎを起こした酩酊中の外国人の姿と重なり、ロックの目が回りそうになる。


 しかし、賑やかな二人組とは対照的に、白と黒の兵士たちから、戸惑いのざわめきが広がる。


戸惑いが銃口に表れ、照準が揺らぎ始めた。


「”深紅の外套の守護者クリムゾン・コート・クルセイド”、なぜこんなところに……!?」


 円陣の中の一人が、ロックを見て戸惑う。


男性の声は、野太いスペイン語訛りの英語だった。


男の声に続いて、ヒンドゥー語、中国語、中東の方の言語に韓国語も聞こえてくる。


「サミュエル、シャロン……大人しくしろとは言わんから、言葉をもう少し考えてくれ……。それが出来たら次の段階は『黙れ!』だ」


 ロックは、スペイン語訛りの男はおろか、白黒の兵士たちの雑踏を無視して応える。


 電子励起銃を向けられても尚、途切れないロックの溜息に対して、男女――サミュエルとシャロン――は、


「用心していたんだけどね……」


「街入ってから、尾行。外したと思って、店に入ろうとしたらこれよ!? そいつ等と共に死んで詫びろ、ロック!」

 

疑問を何処吹く風と、気の無い返事のサミュエルと、剣呑で威圧的な態度のシャロン。


後者は、追いかけられた恨みと鬱憤を、白い装甲を纏う兵士どころか、ロックにも発散しようとしていた。


現に、装甲に覆われた非英語圏の傭兵たちに、シャロンは「撃つならあっちの紅いコートよ!」と、左人差し指を向けている。


 ロックは、目の前の二人が、追われる立場にあることは理解していた。


 しかし、それでも今まで生きられてきたのは、を受けつつ、それを無碍にしない心得もあってのことである。


 それが出来なくなった理由をロックは考えていたが、中断。


<我々はTPTP基本法により、活動を保障された“ワールド・シェパード社”である。その抵抗には、逮捕権及び拘束、場合によれば殺傷も辞さない>


ロックも驚くほどの流暢で明朗とした発音の英語が、白い装甲の兵士の一人から流れた。


声帯を介した空間の振動もなければ、唾を飲む音などの余計な抑揚のない声。


 カナダ、特にバンクーバーで英語を母語とするものは、全住民の約4割前後と言われている。


言葉が不自由な彼らが、職務に集中できるように、予め録音し、加工した音声を用意したのだろう。


「『売られた喧嘩は、言い値で買う!』って、訳して!」


 を、と感じ取ったシャロンが目の前から消えた。

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