狂宴―⑧―

 ロックは右脚を防ぐ為、彼は右逆手に持ち替えた翼剣の腹で銃弾を弾いた。


 続いて放たれた二発目を、ロックは刀身で受ける。


 凶弾を受けた反動でバンクェットから離され、地上に降り立った。


 ロックは、翼剣から立ち昇る硝煙を見る。


 銃弾を弾いた翼剣の向こう側に女がいた。


 彼女が頭に付けたのか、それとも生やしたのか分からない雄羊の角。


 首から掛かる銀色の革帯ベルトが、ハートの形を描いて、彼女の前面を覆う。


 銀色の革帯ベルトの前掛けは、それぞれの乳房の半分を覆い、覆われていない裸身の白みを引き立てていた。


 下半身はミニスカートを纏っているが、背中と腰の括れはおろか、臀部でんぶに至る部分すら隠せていない。


 彼女の肉体の均整は、神話の女神が持つ、何人も触れがたい神聖さと、誰をも誘う魔性さの止揚しようを体現していた。


 だが、ロックはその姿に心が奪われることはなかった。


 その女の放つ、石榴ざくろ色の紅唇と象牙ぞうげ色の眼の敵意が、彼の闘争心の炎の源だから。


「ロック=ハイロウズ……いかがでしょうか、私の考えたアトラクションは?」


 ロックは、サロメの両手を覆う、一対の武器をただ黙して見ている。


 掌からはみ出る鉄の円。


 円の中には五指が嵌まる穴が幾何学的に描かれ、湖に映った月の光の様な鋭さの刃が円の縁から鋭く光る。


 中国に伝わる円形の武器――”けん”。


 主な用途は、投擲とうてきと格闘である。


 複雑に絡んだ幾何学模様は、乱戦となった際に相手の得物を絡めとり、円弧の刃は命を奪う為に作られた。


 だが、目の前の女が握る30センチほどの鉄円環を、羊の頭蓋をした籠状護拳バスケットヒルトが細い手を包み込む。


 回転式の銃が、頭蓋から延びる一対の角を表し、右手の一対の角から狼煙の如く硝煙が昇っていた。


 銃煙がサロメの裸体を囲む姿は、頭部の角も併せて羊の様に見える。


「言葉も出ませんか、あなたのコスプレ……あなたの中に潜む“魂”ですよ?」


 サロメは整った腰と豊かな乳房を両腕で隠し、広げて見せる。


 彼女の醸し出す肉感的な雰囲気を強調する動作は、薔薇の開花を彷彿させた。


 しかし、ロックはそこにある棘の鋭さを知っている。


 加えて、美と釣り合わないがあることも。


「“剣の洗礼”……あなたの力の象徴で、魂の在り方です」


「ヘーゲルには、即自そくじ向自こうじってのがある」


 ロックの持つ“ブラック・クイーン“の籠状護拳バスケットヒルトから延びる剣は、消えていた。


 だが、籠状護拳バスケットヒルトが割れて、


は、必ず、批判されるってことだ!!」


 ロックの言葉と共に、サロメの顔に穴が開いた。


 右顎、左眼窩に右の側頭の三か所である。


 頭の角と共に崩れ去るサロメ。


 辛うじて残った象牙色の右目に映るのは、半自動装填セミオートマチック式の拳銃を右手に握ったロックだった。


 拳銃型の命導巧ウェイル・ベオ、“イニュエンド”の銃口からローレンツの法則で発生する、電界と磁界の螺旋で強化された弾丸――“雷鳴の角笛アヤーク・ジャラナッフ”――が疾走。


 銃弾に、特殊なナノ加工をしている点では、”ワールド・シェパード社”から支給されている電子励起れいき銃の弾丸と同じである。


 ロックの場合は、“リア・ファイル”加工弾に加え、”命熱波アナーシュト・ベハ”の力で、”ウィッカー・マン”の自己再生能力を無効化出来る点で、前者に対する優位があった。


 しかしながら、その優位はサロメ相手に意味を成さない。


 電磁力によって抉られて、残った頭部の右目尻、左の口端の象牙色と石榴色が、それぞれ鋭さを含んだ輝きをロックに放った。


 煽情的なサロメの体は、受信状態の悪い受視機テレビの様に揺れ、銀白色の“フル・フロンタル”に変わる。


 ロックは、咄嗟とっさに右脚を七時の方向に運び、反動で右拳槌を放つ。


「女性の顔になんて、酷いですね」


 ロックの放った右拳槌の先で、石榴色と象牙色の半月を浮かべるサロメ。


 三発の弾丸で抉られたサロメの頭部は、痛みも感じさせない獰猛な猫科動物の笑みで、ロックの拳槌を前傾姿勢でやり過ごす。


「すまなかったな……次は、で終わらせてやる!」


 彼は、屈んで肉薄するサロメの右肩に銃口を、突き付けるどころか捩じり込む。


 だが、入れ違いに彼女の右手の圏の刃光が、ロックの側頭部を照らした。


 銃声と共に、サロメの右腕の羊頭髑髏どくろが鎌首を擡げさせながら、落ちる。


 しかし、サロメは崩れながらも、イニュエンドから吐き出た硝煙を潜る。


 白磁の左手を覆う羊の角が、ロックの心臓に狙いを定めた。


 深紅の外套コートよりも、鮮やかな血が、ロックの左肩から放物線を描く。


 サロメは左側羊の頭蓋を赤く染まりながら、後退するロックの左胸への刺突の勢いを緩めない。


 しかし、寸前でサロメの圏の角の刺突が防がれる。


 防いだのは、ロックの左拳を覆う翼剣“ブラック・クイーン”の弾丸の様な籠状護拳バスケットヒルトの表面だった。


 彼の左護拳から延びる大きなつばに、銃――イニュエンド――を組み込む。


 光なく、熱が帯びるのを感じつつ、護拳から出た赤黒い刃がロックの前方を覆った。


 物質構成を行った熱力エネルギーの波が、サロメの右手の圏の羊の角から、肘までを吹き飛ばす。


 刹那、羊の角からの銃撃の鋭い光が、赤黒い刃の隣で奔った。


 胴から切り離される寸前、サロメは右腕に力を入れ、ロックに発砲。


 彼女の右腕も土瀝青アスファルトの路地に落とされ、羊の角から放たれた閃光はロックの護拳を撫でる。


 収束された死の指向性光線の衝撃に、ロックは歯を食いしばった。


「一発で終わりたいんだろ……協力しろ、サロメ!」


で、考えモノですよ、ロック=ハイロ――!!」


 ロックは、サロメの言葉遊びを遮る様に、大きく右脚で踏み込む。


 右半身から上体を沈め、刃を背に置いた。


 刃をサロメに圧しつけながら、ロックは上体を激しく起こす。


 彼の右背中を守る様に突き上げられた“ブラック・クイーン”。


 翼剣が光を纏いながら、腕のない美神像と化したサロメを、正面から宙へ打ち上げた。


 艶のある豊満な胸像と化したサロメが、足を消しながら空を舞う。


 パブリック・マーケットの木造壁と硝子ガラスを壊しながら肉体は海面に飛ばされ、水柱を上げた。


 同時に、ロックの背後でも爆発が起きる。


「爆発するぞー!!」


 ブルースの声と共に、女神像の端正な顔がひび割れる。


 ひびから出た、電気の蛇が、豊満で均整な胸から噛み砕いた。


 両肩のひびからも、紫電の蛇がのたうちまわり、腰の部分へ緑の雷光を刻む。


 ひび割れた頭部の破片が、二階建ての美術館の窓をぶち破った。


 電気の柱が胴体の彫像を焼き尽くし、脚線美だけがきず一つなく佇んでいる。


「脚への偏愛を見せるなよ、ブルース。そこの美術学校で、今すぐ願書を書いて、芸術を一から学び直してこい」


 ロックは口を歪めながら言う。


 先ほどの雷による爆発は、ブルースの“ヘヴンズ・ドライブ”によるものだった。


 彼はロックに向けて、辟易としながら、


「足には何も無かったんだろ? 俺の攻撃だと、熱量を増やして雷撃に変換するから、その分巻き添えを食う。これでも、調なんだぞ?」


 命導巧ウェイル・ベオの攻撃は基本的に分子をナノ制御して、神羅万象を操る。


 だが、精密に制御をする為に、倍の熱力エネルギー量が求められる。


 ブルースの雷撃は、イオン交換の過程で出る雷撃を使う。


 攻撃を調整する為に更なる熱力エネルギー量を必要とするので、結果として、攻撃の範囲を広げてしまう。


 発電と同じで、火力や水力、原子力など、膨大な電気を使えるようにするには、それを維持しつつ運ばなければならない。


 使えるようにするために、大きな力がいる。


 混戦時ほど、被害を最小限に抑える、繊細な技能が求められた。


「それに、本来、壊すのは、お前の仕事だけど、サロメが神出鬼没に加えて、この人だかりだからな」


 ロックもブルースに言い返せない。


 ロックの力は大きな命導巧ウェイル・ベオを使っているが、制御は今一つである。それに、、サロメへの敵愾心が強過ぎる為、加減の利かない時も多い。


 ブルースにそこを見越して、囮として利用されたのだ。


 ブルースの制御の賜物たまものか防災意識の表れか、避難者は窓から距離を置いていたので、バンクェットの頭部の爆発に巻き込まれた負傷者はいない。


 ブルースへの反論を考えていると、もう一つの爆炎の音がロックの耳朶じだを震わせる。


 フォルス湾の河口を臨める、レストランの屋外席の隣に聳え立つバンクェット。


 その脚線美が爆炎に包まれ、消えていった。


「あっちも終わったみたいだな……ロック、キャニス達と合流しろ。気になるんだろ?」


 ブルースは、携帯通信端末スマートフォンを右手に通話を始める。


 相手は、”ワールド・シェパード社”のナオトだろうか。


 それとも、エリザベスか。


 ロックはブルースへの皮肉を呑み込み、サキ達のいる場所に走った。


 ふと、ロックは空を見上げる。


 冬梅雨の中休めの晴れ空に、雲が覆われ始めた。



 ※※※



「一丁上がり、と」


 キャニスが、サキの前で背伸びをした。


 彼女の声は、というよりは、と言う様で、疲れを微塵も感じさせない。


「キャニス、早く助けよう」


 バンクェット像が崩れるのを見届けて、サキは電子励起れいき銃の引き金から指を離した。


 “ウィッカー・マン:フル・フロンタル”の攻撃は、思わぬ衝撃をもたらしたようで、死者の数よりも負傷者の方が多い。


 殆どが、それから逃げようとした為、誰かとぶつかるか躓かされたかによるものだった。


「でも、サキ。”ウィッカー・マン”に気を付けて」


 サキは言われて、キャニスの口調から、楽観の色が無いことに気付く。


――これからだよね。


“ウィッカー・マン”を倒すことは重要だ。


 しかし、この場合、生存者がいることを喜ぶべきだろう。


 だからこそ、これ以上不幸な人を増やしてはいけない。


 電子励起れいき銃から伸びた肩紐を、サキは左肩に掛けた。


 彼女は、檄を飛ばしたキャニスに短く礼を言って、倒れた人たちに声を掛けていく。


 声を出せる負傷者より、声を出せない方が、痛みは愚か生死の判定も難しい。


 意識を失っていれば、猶更で早めに見つけ出す必要があった。


「サキ、それと」


 キャニスの声に振り替えると、水の入ったペットボトルが投げられた。


 思わず受け取ると、


「消毒も忘れずに。後、この辺りはレストランだから、奇麗な布やナプキンは使っちゃって」


 キャニスの悪戯っ子の様な口調に、サキは苦笑した。


 最も、非常時に他者の所有物を応急処置に使うのは認められている。


 法治国家なら大体同じだろう。


 そう考えていると、サキは頬を伝うものから、ふと冷たさを覚えた。


 空を見上げると、雲が行事の時よりも増している。


 雨音が湾の見えるカフェの屋外スペースを叩き、外に立つもの全てを流しかねない勢いの雨粒が、グランヴィル・アイランド全体を間もなく覆った。


 雨に濡れながらもサキは、怪我人の応急処置を進める。


 意識のない人は、頭を動かさない様に固定し屋内に運んだ。


 体を冷やせば、悪化しかないので、重傷者で意識のないものはレストランの中で休ませよう。


 そうでないのは軒差しで待機してもらう。


「誰か手を貸してくれ!!」


 男性の声が、サキの耳に入った。


 サキがつられて行くと、うずくまっている男性が見える。


 東洋系で、年は約二十代。


 鍛え上げられた中肉中背だが、押し寄せる人並みには、手も足も出なかったらしい。


 逃げている最中にうつ伏せで、地面に叩きつけられた様だ。


 藍色を基調にして、黄色の線の入った制服の救急隊員が、三人駆け付ける。


 何人かの軽傷の避難者を呼び、東洋人の若者を抱えさせた。


 二人の救急隊員が、負傷した東洋人の意識の確認に取り掛かる。


「道を開けてくれ!!」


 三人目の隊員が、担架の傍で声を上げる。


 二人の隊員が男性を抱えて、載せる。


「サキ、何かあったの?」


 背後からいきなり、キャニスの声。


 サキは振り返って、意識の無い者を見つけたことを伝えようとした。


 だが、サキの口から出ようとした言葉は、かき消される。


 キャニスの蒼白な顔が、彼女の言葉の出どころを挫いたのだ。


 戸惑いながら担架の方に振り返ると、


「そこをどけ!!」


 ロックの怒声が、響く。


 彼の声で、サキは意識を戻し、目を疑った。


 運ばれようとした、東洋系の男性の頭に“恒星”が見え始める。


 サキは、左の肩から掛けた電子励起れいき銃を構えた。


 だが、周囲が彼女の行動に戸惑い、混乱。


 救急隊員の二人が、サキの前に立ちはだかった。


「馬鹿野郎、は……”ウィッカー・マン”だ!!」


 ロックの剣幕に、担架の傍にいた救急隊員が戸惑いの声を上げる。


 サキの目の前で、手伝っていた怪我人も怪訝の色を顔に見せ始めた。


――私とロック以外には、見えない……!!


 しかし、サキは背後の方向から、思いもしなかった声を聞いた。


「ケンジ……何で?」


 サキの右肩にいたキャニスのか細い、問い。


 ロックとは違い、ただ、姿吟味しながら震えている。


「あの世から会いに来たのさ」


 喜々とした場違いな声が、背後から雨と共に降りる。


 キャニスがその声に振り向いた。


 しかし、キャニスの口から出たのは、言葉ではなく“”。


 雨でぬれ始めたサキの体を、その温かさと湯気に染まった赤い血が熱を与えた。


「お前と永久に過ごすためにね」


 冷たい喜色の声が、サキの隣にいるキャニスの生の残滓である熱を奪っていく。


 象牙色の眼の女――サロメの右手の羊の角が、キャニスの心臓を正面から貫いていた。


 心臓を貫かれた褐色の女戦士の肉体が、雨粒と共に崩れ落ちる。


 強くなった雨と睨め付ける象牙眼の冷たさが、橙色を纏った戦士を浸していった。

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