雨降る街の枯れた涙―②―

 サキの目の前で、建造物の屋上から“四つん這い“の群れが、ロックと名乗る紅い青年に銀色の弾雨として降り注いだ。


 ”クァトロ”。


 名前は文字通り、“四本足クァトロ“から取られた”ウィッカー・マン”だ。


 脊椎せきつい動物の四肢動物を模し、猛獣類が持つような爪と頭部の牙で獲物を食い散らかす。


 四足歩行の捕食動物特有の敏捷びんしょう性は、見るものを惑わせ、四肢から放たれる加速度と自らの重みを活かした突進も侮れない。


 だが、紅い外套コートの青年が、銀色のあぎとと爪に裂かれることはなかった。


 更に言うと、群れの高所からの落下で生じる位置熱量エネルギーの衝撃で、彼の赤い外套コートよりも“を散らすという悲観も、サキの杞憂に終わる。


“ウィッカー・マン”とは発生源の違う路上の土瀝青アスファルトを抉る衝撃が、サキの立つ地表を正面から大きく揺らした。


 遅れて、破壊の音が雨音と雨粒も震わせる。


 衝撃と爆音の中心地では、ロックの涙の形をした赤黒い籠状護拳バスケットヒルトが、疑似四肢動物の“クァトロ“の左側頭部と左下あごの接合面を砕いた。


 同じ速さで跳んだロックの拳に秘められた力によって生まれた衝撃波が、急降下を仕掛けた“四つん這い“の群れを円周上に散らす。


 だが、“クァトロ“は頭部を壊されても、四肢の動きを止めない。


“四つん這い“は、ロックの左肩越しに右前脚の爪を放った。


 右前脚の爪は、“四つん這い“の首を寸前で繋げている下あごの前で静止する。


 右前脚を前に出したまま、空中で首と上体を左右に振る“クァトロ“が、サキの眼に映った。


 “クァトロ“の奇行の原因。


 それは、右前脚の関節を、ロックの左手が掴んでいたからだ。


 ロックは左手を離すと、空中にいた“クァトロ“は左前足から落ちていく。


 頭部の潰れた“四つん這い“が、土瀝青アスファルトに溜まる水を啜る前に、籠状護拳バスケットヒルトから延びた翼の様な剣が左肺を貫いた。


 左肺から入った切れ目から青白い光が漏れ、“クァトロ“の四肢を土瀝青アスファルトの路地に散らせる。


 切り刻まれた“クァトロ“の尾部が路地に落ちる前に、地上に降り立った銀灰色の一頭がロックに飛び掛かった。


 だが、飛び掛かった“クァトロ“の左前脚が無くなり、三本足のまま宙を舞う。


 左前脚の爪の進路を阻んだのは、紅黒の翼の剣だった。


 ロックは、剣影に隠れながら、右腕と左腕を交差させて壁を作る。


 両腕の防壁を解きつつ、獰猛な笑みを浮かべるロック。


 路上で散らばった“クァトロ“から血の代わりの“青い光飛沫しぶき“が、彼の紅い外套コートを包みこむ。


 彼は、光飛沫しぶきの中から、左手で右前脚首を捕まえ、“四つん這い“を精いっぱい自分に引き寄せた。


 素早く右手の翼剣で、伸びきった右関節を斬る。


 後足を二本残し、体勢が前のめりとなった“クァトロ“の弧の腹に、紅の斬閃ざんせんが右から疾走はしった。


 二つに割れた“クァトロ“の残骸ざんがいから血の代わりに出た青い光が、ロックの眼を遮る。


 サキは、思わず立ち上がりざまに、電子励起れいき銃を構えた。


 構えた銃口の先が、ロックを捉える。


――私だって、見ているだけじゃない!


 サキは、声を大にしたい言葉を心に秘めながら、引き金を引いた。


 音もなく、光が銃口からまっすぐ飛び出し、青い光と雨に濡れる空気を振るわせる。


 特殊な超微細機械ナノマシンで加工された弾丸が、最大限にまで励起れいきさせられた電子の熱力エネルギーに運ばれ、ロックのそばを抜けた。


 接近戦に持ち込んだロックの隙を狙って、持ち前の敏捷びんしょう性で彼の背後に回る“クァトロ”。


 しかし、ロックの背後への刺突と共に、右肺から紫電と火花が飛び出る。


 ロックへの不意打ちに失敗した“クァトロ“が放電でよろけながらも、電子励起銃を放ったサキに二等辺三角形の剣型の頭部を向けた。


 頭部と体幹を揺らせ、体をねじった反動で跳躍。


 “四つん這い“は彼女の頭から、食い散らかさんとした。


「分かっているぜ。感謝はしておく」


 ロックが、サキへ呆れてはいるが、感謝を加えた口調で反応。


 揺らめく炎が、逆手に構えた翼剣の刀身を染める。


 サキに、向けて体中をバネにして飛びかかった“クァトロ“の背から“捩じれた炎“が躍り出た。


 左胸から背中を食い破った炎が、後続で来た二、三体の“クァトロ“も呑み込む。


 サキの目の前で、“四つん這い“を肥やしに、炎の花が雨天の下で百花繚乱ひゃっかりょうらん――否、百繚乱となった。


「しかし、じゃ倒せない。倒せる。死にたくなければ、それを弁えて、とっとと逃げろ!」


 “クァトロ“から噴き出した青い光に振り払うロックに、サキは、


――何、あの態度!?


 不快感をサキの内で爆発したが、間もなく、自分の無力感にそれを鎮められる。


 心の中の燻りが、水溜りを弾く音と共に消えた。


 ロックの目の前に、“クァトロ“の群れが、土瀝青アスファルトの大地で水飛沫しぶきを上げながら、迫る。


 灰色の曇天と死者を照らしていた銀灰色の皮膚が、同じ“四つん這い“の燃える炎に照らされた。


 それが意味するのは、恐怖か怒りか。


 ”ウィッカー・マン”に感情の有無を考えることに意味があるのか。


 サキはそれを考えたが止める。


 そのが無くなったからだ。


 右手首を左腕で守る様に額を覆いながら、懐に潜り込むロック。


 一体目の“クァトロ“のあぎとが、ロックの左の首筋を捉えた。


 彼は、“四つん這い“の首筋と下顎の中心に、左拳槌を振り下ろす。


 左手首に守られた右拳の翼の剣を、紅い外套コートで守られた背筋で支え、突き上げた。


 “四つん這い“の左半身と左前足が、彼の体幹の発条バネに乗せた、赤黒い斬撃で両断。


 その残骸ざんがいを背に、彼は翼剣を左手に持ち替え、一歩下がる。


 背後から来た、もう一体の“クァトロ“に、ロックの背にある残骸ざんがいもろとも、時計回りの斬撃を食らわせた。


 右から左への袈裟斬りの渦に、“四つん這い“を盛大に呑み込む。


 ロックの周囲で解体された、“クァトロ“は雨粒を啜りながら、路上を埋める瓦礫がれきと化した。


 サキの目の前で、更に三体の“クァトロ“が、跳躍。


 三体の“四つん這い“は、上体を屈め、跳躍した反動に乗せた爪の一撃を、ロック目掛けて振りかぶる。


 炎の街並みを、映す銀鏡肌の“四つん這い“。


 その一体が映したロックの顔の吊り上がった目と口角が炎と共にきらめいた様を、サキは見逃さなかった。


 ロックは、土瀝青アスファルトに溜まる雨水を盛大に被って伏せる“クァトロ“の背中を、右足で突き刺す。


 紅い外套コートの戦士は、“クァトロ“の背中を踏みつけた反動で飛んだ。


 反動を以て振りかぶる三体の“クァトロ“は、既にロックより高い位置にいる。


 だが、それは“四つん這い“の優位とはならなかった。


 紅い外套コートを纏ったロックの籠状護拳バスケットヒルトから伸びた赤色の翼が煌いた。


 剣の周りに雨粒が集まり、蒸気が覆い始める。


 蒸気が冷やされて出来た水滴が、のこぎりとなり刀身の周りで鳴動。


 水滴ののこぎりが、一体目の“クァトロ“の右前脚から切り込み、刃の先端が左の肺を雨空の下に晒す。


 反時計回りに、ロックは翼の剣を振り切った。


 剣に貫かれて、大槌と化した“クァトロ“は渦潮か旋風つむじかぜの様に他の二体に激突しながら巻き込む。


 二体目の胸部を左から潰し、三体目は串刺しにされた“クァトロ“の大槌に打ち飛ばされた。


 ロックは、眼を更に猛禽もうきんの爪の様に鋭く吊り上げる。宙で足掻く三体目の“クァトロ“の左胸に、彼は右足を撃ち込んだ。


 足の甲には、紅い革帯ベルトが巻かれ、全体的に赤と黒の対比が映える、ロックの運動靴。


 それが、強風で混凝土コンクリート材の壁を突き破った木材の様な鋭さで、銀鏡色の胸を深く抉る。


 サキは、ロックと言う青年の獰猛どうもうな戦い方に、心を奪われていた。


 実力差から生まれた、彼女の心のわだかまりの炎は既に消えている。


 彼が、サキを不要と言うだけの実力は、神話の英雄の荒々しさを修飾させる価値――いや、その言葉も正しくなかった。


――そもそも、彼の力は……何なの?


 ”ウィッカー・マン”を倒せる力を得る自分が、目の前の青年を見て恐怖を覚えている。


 自分の望んだ力と、青年の示す力。


 サキの中でが、変わりつつあることに戸惑いを隠せなかった。


 空中にいるロックを無視した四体が、心の中で葛藤するサキに迫る。


 思えば、当然だった。


 ”ウィッカー・マン”は、動物を模している。


 強いものを無視して、を狙わない理由がない。


「何、目移りしてんだよ!?」


 電子励起銃を構えるサキが、驚かされた。


 迫りくる四体の”ウィッカー・マン”が、一発ずつ、頭、肩、脚に胸部と弾ける。


 ロックが半自動装填セミオートマチック式の拳銃を上空で撃ったのだ。


 銃撃で、若干脚力を失った四体の“クァトロ“。


 その上空で、彼は赤黒い剣を振りかざし、刀身に紫電を走らせる。  


 刹那、雷鳴が雨天を"いた"。


 電気熱力エネルギー土瀝青アスファルトを抉り、硝子ガラスを散らせ、轟音が続く。


 電気熱力エネルギーは球電となり、竜巻を作った。


 四体の“四つん這い“が、空に昇る電界の蛇に貪られながら、四肢を爆散させる。


 サキの目の前に“四つん這い“の残骸ざんがいが、焦げた土瀝青アスファルト舗装ほそうがむき出しの土の上に降り注ぐ。


 灰天の空から降り注いだ雨は、そこに立つ紅い外套コートの青年――ロックの体を伝う。


 彼の涙滴の籠状護拳バスケットヒルトも、雨化粧を受けた。


 だが、先程のロックからにじみ出る獰猛どうもうさとは違うが、サキに去来する。


 彼女はその正体を考えたが、見当もつかない。


 しかし、サキは思考そのものを中断。


 ロックの視線で、彼女は現実に引き戻されたからだ。


 彼女の感情を揺さぶった横顔から一転、彼の目が見開いている。


 放たれる眼光の正体に、サキは気づいた。


 青年の眼に映る、自分を覆う、全高約3メートルの大猩々ゴリラ――“ガンビー”。


 サキが振り向いた時に、“ガンビー“の右の剛腕が振り下ろされようとしていた。

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