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 出先の担当者たちとの会食もあって、帰宅がずいぶんと遅くなった。若い使用人に外套コートを預けて居室へ向かうと、明かりはすでに灯されていた。

 あれもずいぶん気が回るようになってきたと大佐は思い、皮肉を感じて少しだけ笑った。万事が衰え後退してゆくように見える昨今にも、向上が認められる部分もあるというわけだ。

 設えられた椅子に沈み込むと、彼は抽斗から一式を取り出した。専用の鋏と燐寸マッチ箱、それから上物の葉巻き煙草。儀式のように小机に並べて、先端を切り落として火を近づける。煙とともに立ち昇る芳香に、強張っていた頬を緩めた。

 もう手に入ることはないとわかっている、生産を終了した銘柄だった。農園を含む南の島が、〈口なし〉の手に落ちてから随分経って、煙草自体が希少品になっていた。最悪な話だと大佐は思い、目の前の一本に意識を向けようとした。

 廠洞に立ち込めていた土のにおいが、まだ少し鼻の奥に残っているようだった。退官を前にして少しずつ減ってはきていたが、断れない業務はついてまわった。不快なにおいを追いやるようにして、ようやくひと心地ついたところで、少し別のことを考えてみる余裕ができた。

 三十余年の奉職は、同じだけの喜びと失望を彼にもたらした。かつて与えられた過大な栄誉を、敗北で贖っていくような生き方だったと彼は思った。

 儀礼服に輝くいくつもの勲章が、ひとつとしてまだなかったころ、あの日天幕の下に呼び出されるまで、彼は凡庸な騎兵に過ぎなかった。

 家柄も人品もまずまずで、経歴にも傷がないのが取り柄ではあったが、それ以上のものは何もなかった。引き抜きを受けた時の困惑は、あまりに大胆な計画を前にして塗り潰された。

 成功すれば劣勢を覆すに足りるであろうその作戦は、しかし実現可能性に欠けると言わざるを得ない代物だった。

 〈口なし〉群体の王女の拉致、王女を交渉材料とした停戦条約の締結。目指すところは単純であり、効果的であることもまた明らかだった。

 〈口なし〉の伝心能には個体差があり、情報伝達網の要点には女王がいること、その娘である第三王女が、王位継承権を持つ姉妹を鏖殺し終えたことが、血の滲むような内偵の成果として報告されていた。しかし作戦を実行に移すには、必要な能力があまりにも不足していた。

 一度しくじれば次はない。一方でこれ以上の猶予も残されてはいないのだと上官は言った。若者のみで組織された決死隊は、悲壮な覚悟を胸に出立した。

 彼にとっても思いがけないことに、作戦は奇跡のように成功した。情報の漏洩には細心の注意が払われ、褒賞も昇進もごく控えめに済まされたものの、祖国が手にした平和は何ものにも代えがたかった。最も輝かしい何年かが、そうして嘘のように過ぎていった。

 実のところ嘘だったのだと彼は思い返す。はじまりと同様に唐突な招集によって、彼らは努力の一切が灰燼に帰したことを知らされ、再び前線へと呼び戻されたのだ。

 交渉の切り札を失って、状況は以前に逆戻りした。打開の可能性が完全に消えただけ、以前より悪いというのが正確かもしれず、無力感に打ちのめされながらも彼は戦わねばならなかった。

 あれから長い年月を経て、そんな絶望とも折り合いがついた今、ただひとつ腑に落ちないのが、王女が幽閉されていた施設の所在を、いかにして敵が知り得たかということだ。

 伝心の遮断はいかなる手段によっても不可能で、唯一の策は秘密を知る人間を出来るだけ減らすことだった。関係者である彼や、施設を警護する兵士たち、館の主である子爵にすら、幽閉の事実は伏せられていた。ひとたび居場所が割れれば停戦は瓦解し、けれど目立つ警備を置くわけにもいかない。当局はそんなジレンマに対して、妥当な解答を導き出していたはずだった。

 考えても仕方のないことではあった。現に王女は失われ、仮初の平和は蹂躙された。新女王による効果的な運用のもと、〈口なし〉の群体は領土を蚕食し続けている。秘匿された隧道の掘削という、極めて泥臭い対抗策により、祖国は前線を維持していたが、それももう長くは持たないだろう。

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