5

 その日を最後にして唐突に、毎晩の密会は中断された。いつ訪れても窓掛は引かれたままで、一度とならず窓を小突いたのに、いつものような応えはなかった。館の人々にこのことが知れたのだろうか、彼女の身に異変が生じたのだろうか、あるいはまさか僕自身があの日、言ってはならぬことを口走ったのか。

 考えたところで結果は変わらなかった。無駄だとわかって館を訪ねるのにも嫌気がさして、ついに僕は外出をとりやめた。

 放心のうちに数日が過ぎてゆき、ある日の夜更けに異変は起こった。

 熟睡していたにもかかわらず、外の騒ぎに目を醒まされたせいで、僕は虫の居所が悪かった。鼻をつく煙を吸い込み悲鳴を聞いて、冷水を浴びたように意識がはっきりした。

 目覚めはじめた家族よりも一足先に、僕は素早く戸口を出ていた。明らかに何かふつうではない、良からぬことが起こっている予感があった。

 家から一歩外に出ると、見慣れた村の変わり果てた姿が迎えた。干し草の山には火が放たれ、村人たちは次々に逃げ出しつつあった。家畜の鳴き声、毛髪が焦げる臭い、舞い上がる火の粉が、いたるところに充満していた。

 逃げ去る人々とは逆の方角、森の方へと僕は走った。村と離れた場所からも、火の手が投じる強い光が、一面の煙幕を浮かび上がらせるのが見えた。

 これらはすべて、自らの過ちが引き起こした事態なのだと直感が告げていた。館の方角の喧騒が、いまだ戦闘が終わっていないことを知らせた。


 梢を越えて燃え盛る炎が、まだ暗い曇天を赤々と染め上げていた。

 森を抜け坂道を駆け上がって、平原を見渡す丘の上に着くまでに、僕は多くの怒声を耳にした。吹きすさぶ風が煤煙を運び、喉と鼻腔の粘膜を傷つけた。

 何を期待してここまで来たのか、自分でもよくわからなかった。しかしそれでも何かがあるはずだった。こんなふうにして終わっていいはずがないのだと、終わらせはしないのだと心が告げていた。

 混ざり合う煙火の向こう側で、空はゆっくりとその色を変えはじめた。照らし出された河の畔に、僕は幾つかの影を認めた。奇妙に捻くれて見える人影が、すでに接岸している小舟を取り囲んでいることが次第にみてとれ、中でもひときわ小柄な者が、仲間の手を借りて乗り込もうとしているのがわかった。

 それは見紛いようもなく、従者に守られた彼女の姿だった。

 視線に気がついたのだろうか、小柄な影は振り返ったように見えた。森を舐め尽くす火影を照り返して、双眸は焔のごとく煌めいた。

 どうしてと僕は叫ぼうとしたが、痛めた喉からは息が洩れるだけだった。返答はしかし確実に、尋常ならざる手段によって投げてよこされた。

「でも、わたしは」

 砲声と火煙が渦巻く中を、声ならざる声は真っ直ぐに横切って届いた。放たれた信号は明瞭な響きとして、僕の頭蓋を内側から震わせ、多くのことをひと時に伝えた。

 彼女が何者であったのか。どうしてこうなる運命にあったのかを、このとき僕ははじめて理解したが、いまだ言葉は不足していた。

 身を硬くして待ち構えようとも、心の弦が揺れたのはそれが最後だった。小さな影が大人たちに囲まれ、小舟が緩流に掴まれて去っても、その場から動くことはできなかった。

 どこかここからは見えない場所で、乗り捨てられた馬がいななくのが聞こえた。

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