3
月はまた少しずつ太ってゆき、館への冒険は僕たちの話題から、少しずつほどけるように消えていった。味わった恐怖に懲りたのか、ウルシュの気まぐれがふたたび現れることはなく、僕は内心ほっとしていた。
一方で窓は夢のように、脳裡に浮かんでは僕を考え込ませた。後ろ姿だけを見せた住人は、どんな容姿をしていたのだろうか、館の人々は今でもずっと、闖入者を捜し続けているのだろうか。
幾晩も繰りかえした逡巡ではいつも、恐れとためらいが最後に勝ったが、やがて喉元は熱さを忘れた。警備が増やされているのかどうか、近くまで行って確かめるだけなら平気だろう。そう言い聞かせながら僕はふたたび、夜更けにそっと寝床を抜けだした。
ひとりで歩く夜中の森は前にも増して不気味にざわめいたが、先に待っている定まらぬ状況を思うと、獣や鳥にその都度怯えるのも馬鹿らしかった。
木々が途切れる場所の間近で、じっくりと巡回の様子を探る。鼓動を数え、光を目で追って、彼らが通り過ぎる頻度を確かめようとするうち、衛卒ごとに少しずつ歩き方が違うのに気づいた。持ち場を替えつつ、全部で四人が、一定の間隔で歩き回っている。
前回来たときにも同じように、きちんと調べをつけておくべきだったと、しても仕方のない後悔をしつつ、記憶と現状とをなんとか照らし合わせる。角灯の数や通る頻度には、さほど違いがないように思えた。
衛兵が角を曲がった隙を捉え、意を決して例の茂みにもぐり込む。駆け寄って来る者がいないのを確認すれば、侵入はもう成功したも同然だ。塀の向こうに張られた罠が、僕を待ち構えていなければの話だけど。
地表から少し顔を出し、誰もいないことを確かめてから這い出る。開放感を味わえぬまま、広がる芝生を眺め渡した。
あいも変わらず庭は静まり返っていて、窓に明かりは見当たらない。敷地の中まで入った者がいることは、結局気取られなかったのだろうか? 見かけの安全に油断は禁物で、早々に木々の立つ裏手へと向かった。
窓はもう光を洩らしてはいなかった。信じられない思いで二階を見上げ、閉ざされた窓掛を睨みつけた。まるでそうしていれば現実が覆り、ふたたび室内が垣間見えると信じているかのようだった。
張り詰めていた警戒心はいつのまにか緩んで、幹に歩み寄って樹皮に手をかけた。いともたやすく枝の上までたどりつき、窓を正面に見る位置につく。一部始終を再現することで、同じ結果が得られるのではないかと、密かに期待していたのかもしれない。
だから明かりが灯った時も、さほど驚くことはなかった。閉じていた窓掛が微かに開いて、小さな顔が隙間から覗いた。
青褪めていたであろう僕とは違って、住人の顔色はしごく穏やかなものだった。微笑みにも見えるその表情は、敵意のないことを知らせるように思えたから、僕は逃げようとするのをやめた。
見えていなかった腕がすっと上がって、厚く織られた窓掛を引き開けた。
日光どころか月の光も、直に浴びてはいないのだろう。華奢な右腕を覆う素肌は、透き通るほどに白くなめらかだった。
窓は壁面の窪みにおさまっていて、枝の先から深い桟へは、その気になれば簡単に飛び移ることができた。腰掛けるには充分な広さがあって、木の上にいるより楽なほどだった。
光を歪める分厚いガラスには、そこここに細かい気泡が散っているのが見えた。それでも顔を見合わせるには充分で、しばしの間物珍しげな観察が続いた。
沈黙を破ろうとしたのは彼女の方だった。人形のように小さな口が、おずおずとわずかに開けられたが、発せられる声が耳に届くことはなかった。窓はあまりにも厚く確かに、僕らのあいだを隔てていた。
もしかして、
尋ねると彼女はこくりと頷いた。表情を読み取ることは依然できなかったけども、仕草には悲しみが滲むようにも見えた。
身体が弱いためなのか、それとも子爵が出そうとしないのか、両方というのもありそうなことだった。いずれにしたってそんな境遇が、子供にとっていいものであるわけはなかった。
「どうして人を呼ばなかった?」
身元の知れない者が窓のすぐ外に、ガラス板一枚を隔てて迫っている。今すぐに大声をあげたっていい状況のはずだった。
赤い唇がまた開きかけ、戸惑うようにして閉じられた。困ったような表情のまま、彼女はふたたび僕を見上げた。
沈黙もまた回答だと、努めて考えるようにしようと思った。また来てもいいのか聞くのはこわくて、じゃあ、とだけ口にして地面へと降りる。垣間見た最後の表情は、早急な告別にいくぶん傷ついているように見えないこともなかった。
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