第39話 飛翔への準備
野崎が、ボートが残した水紋を指し示しながら言った。
そう言いながらも、実際彼は、伊沢の指が吹き飛んだのを目の当たりにして、あの銃を使わないで本当によかったと切実に感じていた。もともと健二の改造銃とは知らない彼は、落ち着いたら福島にその出所を問い詰めようかとさえ思っていた。
「そうだな。もう終わりだ」
津山は、次第に小さくなる船影を細い目で眺めながら、初めて気弱な言葉を吐いた。
「兄貴、じゃ俺と一緒に逃げようよ」
「いや、逃げたところで顔が割れてる俺だ。かえってお前に迷惑がかかる。お前は一人で行け」
「じゃ、兄貴は…」
パトカーのサイレンの音が、かすかに耳に聞こえてきた。津山は、弱い笑みを顔に浮かべながら健二に言い聞かせた。
「ひとまず警察のお世話になって、刑務所内のリンチにどれだけ耐えられるか、がんばるだけがんばってみるさ」
昇龍組とそれにかかわる暴力団が、刑務所の中にも影響力があることを彼は知っていた。
津山は、野崎と中川に向き直った。
「本当に、ふたりには世話になったな。このケースの金は、もう必要無くなった。別に銀行強盗した金でもないから、お前らで自由に使ってくれ」
「ちょっと待って」
中川が、急いで金を受け取ろうとする野崎を遮った。
「お義兄さん」
「まて、俺はお前からそう呼ばれる筋合いは…」
「そんなことどうでもいいでしょ。お義兄さんにさっきの気力と運が残っていれば、最後の方法がありますよ」
全員が中川の周りに集まった。
準備は迅速に進んだ。中川と健二はパジェロの荷台から何本かのパイプを取り出すと、丈夫なシートとともに組み立て始めた。野崎は、パジェロを埠頭の端に移動すると、車からロープを取り出し、一端を車に固定しもう一方を長く引き出していった。
「なあ、これどうやって組み立てるんだ」
いくら手先が器用とは言え、初めての機材の組み立てにぼやく健二。
「僕だって、ハンググライダーなんて組み立てた事無いからわかんないですよ。とにかくやってみましょう」
中川は、この車に乗り換えた際に、荷台にハンググライダーの機材があることに気づいていたのだ。
「お兄ちゃん。無理しないで。こんなもの乗った事無いんでしょ」
心配する恵美子。
「いいかエミ。前に地獄があろうと、後ろの地獄に比べれば行く価値がある。どちみち、後戻りはできないんだ」
最後に、健二がどこからかリヤカーを調達してきて、すべての準備は整った。
いや、誰もがハンググライダーなんて飛ばしたことが無いので、これですべての準備が整っているかどうかわかるはずも無い。
とにかく、思いついた事はすべてやったということだ。サイレンの音は目立って耳に届くようになった。もう、時間の猶予も無い。
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