第31話 野崎の妄想の顛末

 野崎は、警察や報道関係者に囲まれる麻里と修の姿を見ながら、また妄想の世界へ迷い込む。


『野崎さん。人質解放について一言お願いします』


 彼は、報道陣に囲まれヒーローインタビューされる自分の姿が目に浮かんだ。彼の強烈な自己顕示欲は、いよいよ彼を酔わせた。


『野崎さん。あなたの偉業に、いま総理大臣から電話が入っています』


 あるはずもないマスコミの声が聞こえた。


 やがて、修が戻ってきた。顔を上気させて外の様子を語る修を見ながら、野崎の妄想もついにクライマックスに達した。彼は立ち上がると、ゆっくりと津山の方へ進んでいった。もちろん津山と他の人質たちは、修の話に聞き入って、そんな野崎の動きに気づかない。


 津山まで後一歩のところまできた。あとは、銃口を津山の後頭部に突きつけて、こう言うだけだ。


『お遊びは、これまでよ』


 しかし、酒に酔っている人間にありがちなことだが、足元に転がるちょっとした突起物に気がつかず、とんでもなく大げさにぶっ倒れることがある。

 妄想に酔っている野崎もこの例に漏れず、津山まで後一歩の所で、小さな瓦礫につまずいて前につんのめった。津山と人質たちの上にかぶさるように大げさに倒れ込んだのだ。それは、銃声がしたのとほぼ同時の事だった。

 放たれた銃弾は、津山のこめかみをかすって銀行の壁にめり込んだ。野崎が、倒れこまなかったら、この銃弾は津山の額の真中を通過していた事は間違いない。


 銃声は、銀行を取り巻く半径500mの範囲を氷つかせた。しかし、静止する屋外とは対照的に、銀行内は壮絶な戦いが繰り広げられていた。


 かろうじて初弾は避けられたものの、野崎の倒れこみで、津山は銃を床に取りこぼし、反撃に転じるのに少々時間が必要になった。津山に銃弾を放ったのは、服部の手引きで、銀行内に忍び込んだ牧田だ。

 彼は、初弾のしくじりを後悔する間もなく、反撃に手間取る津山の様子を見て取ると、第二弾を打ち込むべく、カウンターの上に飛び乗って、津山に照準を合わせる。

 しかし、ここからだと、テーブルに隠れてうまく狙えない。彼は床に飛び降りた。


「とうちゃん。あいつだよ。家に来てかあちゃんを苛めてるのは、あいつだよ」


 太一はそう叫ぶと、果敢にも牧田に襲いかかった。たかが子供の攻撃だったが、それは津山の反撃を準備するのに十分な時間を提供した。津山の銃口が牧田を捕らえた時、津山と牧田はお互い相手の目を見据えたまま動けずにいた。津山がその引き金を引けなかったのは、牧田の左手が、太一の襟を捕らえており、右手の銃口が、太一の額に定められていたからだ。


「なんでこのガキがここにいるのか知らないが、この際どうでも良い。その銃を置かないとこのガキの頭が吹っ飛ぶぞ」


 牧田の脅しに、福島はパニックになった。銃を向けられているのは、彼の息子で津山とは何の関係もない。津山は自分の命を守るために躊躇なく銃を撃つだろう。そうなれば、自分の息子は…。福島は、利かない足を引きずってもがいた。


 しかし、津山は一度福島の顔を見ると、ゆっくりと銃を床に置いたのだった。福島が驚いて彼の目を見た。


『あんたの息子の命を、俺ごときの代償にはできない』


 彼の眼はそう言っていた。


 福島は、自分を恥じた。赤の他人でさえ自分の息子を守ろうと命を張っている。自分はいったい何をしているんだ。自分への怒りがそのまま息子の命を脅かしている牧田へ向けられた。

 片足が思うように動かない。じゃ、残りのもう一本の足はどうだ。両手はどうだ。首は、胴体は。今自分の体で動くところでできる事はないのか。

 勝利を確信した牧田は津山に言った。


「やっと観念したか。ここまでお前には振り回されていたが、これで終わりだ。お前のようなチンピラが組を相手に舐めた真似したら、どう言う結末になるかわからせてやるぜ」


 牧田のミスは、何も言わずに引き金を引かなかった事だ。牧田の勝利宣言が終わった瞬間、彼は意外な方向から攻撃を受ける事になる。にじり寄っていた福島が牧田に踊りかかったのだ。片足は利かないものの、そこは長年重い荷物の上げ下ろしで鍛えた上半身。福島は、太一と銃を持つ牧田の両手首を押さえるとねじ上げた。


「うおっつ」


 牧田の叫びと、彼の肘が外れる音が一緒に聞こえた。牧田はあまりの痛さに、失神した。勝負は一瞬でついた。


 マシンガンを取り上げた津山が、福島の力技に見入ってしまった。


「おっさん、すごいな」


 おもわず彼の口から出たが、太一にいたっては、恍惚としたまなざしで自分の父親を見つめていた。


『とうちゃんは宿題を終えたんだ。やっぱり、とうちゃんは強い。強いとうちゃんが、もっと強くなって戻ってきた』


 太一は、津山が願いをかなえてくれた。そう思って疑わなかった。実は、福島自身もこんな芸当ができたことが信じられなかった。自分にはまだこんなことができる力が残っていたのか…。失った、たったひとつのものに心を痛めるばかりで、まだ残っているものの力を見失っていたのか。


 牧田の銃声で、いよいよ対策本部も腹を決めたようだ。外の動きがあわただしくなった。じわじわと包囲網が狭まっている。今にも、特殊部隊が飛び込んできそうな気配だ。


「教官、助けてくれてありがとよ。よし、いくぞ」

「えっ、まだ一緒に行かなくちゃだめなの」


 野崎の声は裏返っていた。


「仮免。今度は北埠頭だ。思いっきりいこうぜ。教官、道案内頼むぜ。それじゃみんな、元気でな」


 中川の思いっきりよく踏み込んだアクセルに反応して、教習車はまたタイヤの焼ける匂いを残し、銀行の入り口から弾け飛んでいった。続いてパトカー三台が、教習車の追走に飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る