第28話 それぞれの事情②

「麻里ちゃん。少し顔色悪いけど、大丈夫」


 修が握っている手を緩めて麻里にいった。


「大丈夫よ。ちょっと気分が悪いだけ」

「もう少しの辛抱だよ。外で僕らを助けようと、麻里のお父さんも必死になってると思う。きっと、助けてくれるよ」

「そうね…」


 麻里は気分が悪いのは、人質になっている緊張感からだけでないことを修に告げようか迷っていた。


「お姉ちゃん大丈夫?」


 太一が麻里に近づいて言った。


「だいじょうぶよ」


 麻里は、優しく太一の頭をなぜながらひざの上に座らせた。そんな二人を眺めていると、修は心が和むのを感じていた。麻里は、修の視線を感じて少し照れながら言った。


「なによ、修ちゃん」

「麻里ちゃんは、きっと良いお母さんになると思うよ」

「…実は修ちゃん。こんな時になんだけど、2カ月前から生理が止まってるの」


 意外な言葉に、修は凍りついた。麻里は修の目の中に、喜びとか、期待とか、不安とか、諦めとか、何かいろいろな感情が混ざった光を見た。


「とうちゃん。生理が止まったって何?おねえちゃん病気なの?」


 太一の声にロビー内は騒然となった。全員が、麻里と修を取り囲むと、好奇の目でふたりの説明の言葉を待った。しかたなく、修が身繕いしながら立ち上がった。


「僕たちは結婚の約束をしてるんです。今夜彼女の父親に言いに行くはずだったんです。もっとも彼女のお父さんには絶対反対されると思いますけどね…。結婚式もまだの二人ですけど、たった今僕たちに赤ちゃんができたようなんです。死ぬほどうれしいです」


 修のカミングアウトに、顔を真っ赤にして片をすぼめる麻里。周りのみんなは唖然として二人を交互に見比べた。


「なんだ。お前たちはできてたのか。どうりでそばを離れないと思ったよ」


 津山のことばに続き、人質たちは口々にお祝いの言葉を述べた。


「なによ、おとなしい顔していて、やることはやってるのね」


 下卑た笑いで言ったのは野崎である。彼は、マシンガンで頭を小突かれて黙らされた。


「お前ら、そういうことなら、無理は禁物だ。ふたりでここを出て体を休めろよ。そして、とにもかくにもご両親に報告しなきゃ」


 津山のいたって常識的な言葉に、麻里も修も驚かされた。


「いや…、解放していただくのは麻里だけで結構です」

「修ちゃん、なんてこと言うの」


 麻里が驚いて修に詰め寄った。津山が不思議に思って修に問いかける。


「折角解放してやるって言ってるのに…どうしてだ?」

「まだ、結婚の許しも得ていないのに、赤ちゃんができたなんて言ったら麻里のお父さんにその場で射殺されちゃいます。あ、言い遅れましたがお父さんはここの所轄の刑事さんなんです。だから、たぶん動員されてこの銀行の前にも居ると思うんですよ」


 それまで話を聞いていた中川が話に割って入ってきた。


「とりあえず彼女を送っていったらどうですか。とにかくお父様に会って、赤ちゃんができた事を伝えてさ。まさかこの群衆の中ですぐ射殺はしないだろうから。そして、銀行に戻ってくれば事が終わるころには少しは冷静になって話を聞いてくれるかもしれませんよ」

「こんな事を自分が言うのもなんだけど。父親の先輩として言わせてもらえば、やっぱり赤ちゃんの事は父親になったあなたの口から直接伝える。それが父親になる男のけじめってやつじゃないかな」


 ロビーの皆は、福島が銀行強盗であったことも忘れ、彼のもっともな意見に頷いた。


「わかりました。そうします」


 修は麻里の肩を抱いて、立ち上がる彼女を優しく支えた。

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