第26話 服部と井沢の密約
急に外が騒がしくなった。
『銀行にいる。あなたと話がしたい』
拡声器を手に、港北署の対策本部長が今度は銀行内の津山に語りかけた。
『あなたは、もうお解かりだと思うが、この銀行はもうアリの隙間もないほど警察官で包囲されている。しかし、あなたは銀行強盗犯を含む幾人かの人質を確保している。その人質が無事でいる限り、あなたの方が優位であることは、ここに集まっている全警察官が認めている事実だ。だから、まず冷静になって欲しい』
周りの者が一度耳にしたコメント。警視庁のマニュアルには、交渉時のコメント例が、これ以外なかったのだろうか。
『お腹がすいては、これから大切な話もできないだろう。これから、ピザの宅配便をそちらに送る』
「ピザはもう十分だ。他のものにしてくれよ!」
冷めたピザを全部平らげ、硬いチーズにうんざりしていた津山は、外へ向かって大声で叫んだ。
対策本部は、明かに狼狽していた。津山がピザを断ってきたからだ。では寿司にするのか、カツ丼にした方がいいのか…本庁へ確認を取るのに、右往左往している。
『だからキャリヤはだめなんだ…』
服部は、進まぬ人質解放に明らかに苛立っていた。彼のストレスは、ピークに達していた。
「服部さん」
呼び止める声の主が伊沢とわかると、服部は一瞬身構えた。彼は、腰のガンベルトのホックを外すと、銃に手を置いた。
「だんな、そう力まないでくださいよ。どうしても、話したいことがあるんですよ」
「俺にはお前と話す用はない」
「まあ、そんなこと言わずに…」
伊沢は、服部を人目のない所に導いた。
「伊沢。港の倉庫では派手な宴会をやってくれたな」
服部は会話の主導権を握るべく、さらに高飛車になって続けた。
「お前のところの親分もだいぶ困ってたぞ。なにか大切なものを失くしたみたいだな。それを取り戻すために子分たちが目を血走らせて飛び出していった」
服部が言葉を切って、銀行に向かって顎を差し出す。
「でも、どうやらお前たちが組を上げて追っかけているものはあの銀行の中にあるようだな」
「服部さん。さすが察しが良いですね。ならば話が早い、お願いがあるんですけどね。鉄砲玉一人出すんで、警察の包囲網に穴をあけてあの銀行の中に行かせてくれませんかね。なに、あのチンピラを動けなくして、預けているアタッシュケースを取り戻すだけですから」
服部は、伊沢の本心を測るように、じっとその目を覗き込んだ。実際、服部にしても、あの銀行の中で大切な娘が人質に取られている。よりによってなんで彼の娘が取り残されたのか…。父親としては、心配で食事も喉を通らない。ところがお偉いさんたちは、相談してるばかりで、いっこうに動こうとしない。思わず服部の口から言葉が漏れた。
「中で、娘が人質に取られていてな…」
井沢がずる賢い笑顔で服部の言葉尻をとらえる。
「ええ、お嬢さんは必ず無事に助け出します。約束しますよ」
服部は、しばし押し黙って伊沢の申し出を思案しているようだった。やがて彼はわかったと口に出す代わりに、俺について来いとばかりに銀行へ歩みを進めた。
伊沢は、そばの舎弟の一人に目を移した。
「牧田、行って来い」
「えっ、俺ですか?」
「二、三年くさい飯食ったら、あとはお前も金バッチだぜ」
脅しとも、励ましともつかない伊沢の言葉に送られて、鉄砲玉は電気椅子に誘導される死刑囚のように、硬い表情で服部のあとについていった。
「言っておくが、犯人をどうするのかはお前の勝手だが、娘が怪我しないようにたのむぞ」
服部は歩きながら牧田に言った。
「それからメガネを掛けた男の銀行員が居るはずだか…」
『ついでにそいつも殺してくれ』という言葉を、危ういところで飲み込んだ。
伊沢は銀行へ向かう二人の後姿を目で追いながら、さっきの服部の言葉を繰り返してつぶやいた。
『娘…。そうか、妹だ…』
津山と会って以来今まで、ずっと気にはなっていたことが、何であったかやっと思いあたった。彼は、もう一人の舎弟に耳打ちすると、舎弟は頷きながら銀行から離れていった。
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