第3話 服部史郎の朝

 赤や黄色の回転灯に照らされて、大勢の警官や報道関係者の人間でごったがえす港湾の倉庫は、音楽さえあればちょっとしたソーホーのディスコといったところである。


 そんな楽しそうな雰囲気とは裏腹に、事件現場に入って行く服部刑事主任は不機嫌だった。不機嫌な理由は、彼の娘に起因する。苦労してようやく短大を卒業させた一人娘の麻里が、先日男を我が家へ連れてきたのだ。それ以来服部は、ずっと不機嫌だった。


 男は大学出の銀行マン。まずこれに腹が立った。服部自身は最高学府にいくことなくこの世界に入り、機動隊員時代から現場でたたきあげられ、難関の昇格試験も苦労の末乗り越え、ようやくこの地位までたどり着いた。

 定年もあと数年にひかえている。これ以上の昇格を望むべくもないが、それはそれで他人に誇れる人生だ。しかし、たいして現場も踏まない大卒達がやすやすと自分を飛び越して昇格していく現実を目の当たりにして、心の奥隅に、学歴に対する理屈抜きの嫌悪感が自然と芽生えていった。彼にとって、学歴と苦労は反意語なのだ。そして苦労こそが、彼にとっては美学なのであった。


 次に気に入らないのは、何かといえば麻里の顔色を伺って、はっきりしないそのしゃべり方だ。娘に言わせれば、はにかみ屋なのだそうだが、服部に言わせればオカマにもなれないというやつだ。その依存的な対人姿勢で、よくこの社会で生き残れていると感心せざるを得ない。これもまた学歴のなせる技なのだろう。


 そして究めつきに腹が立つのは、やはり親戚以外でこの我が家へ上がり込んだ初めての男であること。しかも服部の熟練した審人眼で見る限り、その男が『男気』のかけらもない奴であったことである。

 それをどう説明しようと、女である娘は理解できるはずもない。しまいには彼の妻までが、『お父さんは娘が取られるのが淋しいから、そんな屁理屈をこねているだけなのよ』となじる始末。


 今朝家を出る時、その男が今日の夜またやって来ると妻に告げられた。話の内容は服部にも察しがついた。誰がなんと言っても、あんな奴に麻里をくれてやるわけにはいかん。彼は、そうはき捨てて家を出てきたところだ。

 事件現場の血痕を目にすると、この血があの男のもので、今頃どこかのゴミ捨て場で野たれ死んでいてくれればいいのに、と真剣に思っていた。


「あ、服部さん。お疲れッす」


 部下の石川が楽しそうに声をかけてきた。


「服部さん。ひさびさに派手な現場ですよ。まるで戦場みたいだ」

『ふん、本物の戦争が、どんなものか知らない若造のくせに…』


 服部は、石川のはしゃぎように鼻をならしながら、とりあえず荒れ放題に荒れた倉庫の中を一通り眺めた。


「ホトケはいるのか?」

「いや、いませんが、さっき昇竜組の組員がひとり救急車で搬送されました。足撃たれて、膝が粉々ですよ。結構重傷です」

「昇竜組か…」

「でもね。組同士の戦争にしてはちょっと変なんスよね。これ見て下さいよ」


 石川はポケットからハンケチに包んだ薬筒を取り出すと、これがまさに事件解決の鍵であると言わんばかりに、鼻を膨らませて言った。


「今までのヤマでは見掛けないやつです。いま鑑識に判定を急がせていますけどね」


 服部はそれに一瞥をくれると、現場を見渡した。味気ない濃紺の作業服を着た鑑識班が、床や壁に張り付いて指紋採取や銃弾摘出に精を出している。厚い眼鏡レンズの奥にある細い目を更に細めて、ピンセットを忙しく動かしている初老の男に目を止めて、声を掛けた。


「盛さん」


 初老の鑑識係は眉をしかめて顔を向けた。


「チャカは何だい」

「詳しい事は何も言えんが、弾は9ミリ。弾痕の集まり具合から言ってどうもマシンガンが混じっているな。ほら、アメリカの特殊部隊スワットが使っているやつだよ。銃種の認定はもう少し時間をくれや。なあに、お前さんが昼飯を食い終わる頃には、爪楊枝替わりに報告書をくわえさせてやるよ」


 服部は手を上げて礼を言った。


「なんだあのおやじ。俺が聞いた時には直ぐには解らんの一点張りだったのに…」


 石川のぼやきに、服部は若い頃の自分を思いだしていた。


「昇竜組がアメリカのヤクザ相手に戦争でもはじめたのかな…。他に何かあるか」

「そう、もうひとつ」


 石川はごそごそとポケットをさぐり、小さなビニール袋に入った白い粉を取り出した。服部はそれをすかして眺めた。


「シャブか」

「ええ…それもかなり質が高い…」

「俺の知る限りじゃ、昇龍組の親分はこんなやばいブツには手を染めない奴だと思っていたが…」


 服部はしばし黙ってビニール袋を見つめていた。


「この発見者は」

「俺です」

「誰かにしゃべったか」

「いいえ。今のところ服部さんだけですよ」

「わかった。ちょっと預からせてくれ…他の人間には暫く黙っててくれるか。後から俺の方で鑑識にまわしとくから」


 石川はこの申し出を暫く考えた。

 この老刑事は時に若い石川には理解できないことをした。それはことごとく警察学校で教えられたルールに反する。しかしその理解出来ない方法で、多くの難事件を解決していることも事実だった。この申し出もそのひとつにちがいない。石川は黙ってビニール袋を渡した。


「俺はちょっと親分を小突いてくる。2時間後に署で会おう。報告書をまとめておいてくれ」


 服部はそう告げると、背まるめて外へと出ていった。

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