第3話―5―
その後、一時間みっちり、引き方、射型(しゃけい)、肘入れ、そして部活の時に言っていた「捻り」についてを叩き込まれた。
……色々教わったけど、正直何(なん)にも覚えていない。
『まあ、こんなところかしら。後輩にいざ何か聞かれて答えられなかったら、私もキャプテンとして面目丸潰れだからね。それじゃあ実際、弓引いてみよっか』
「えー、ちょっと休憩しようよ。お腹空いちゃった」
私がそう言うと、律子は『はいはい、じゃあ先にご飯食べちゃおっか』と仕方なさそうな声を上げた。
『今日は食べ過ぎないようにね』と、念を押された事は言うまでもない。
リビングへ着くと、あの人と、それに加えて初めて見る男性が楽しそうにお喋りをしていた。私がリビングへ入るのを一瞬だけ躊躇(ためら)うと、律子は『お父さんよ。昨日まで出張で留守だったの』と教えてくれた。
「ちょっと、そういう事は早目に言ってよ」
『あらごめんなさい』
律子は全く申し訳なさそうに言うと、『ほら、早く行きなさい』と、言葉で背中を押した。
律子は良いが、私からすれば初対面の人に加え、更には複雑な間柄の“あの人”がいるのだ。昨日初めて会った時は“お母さん”とばかり思っていたので、何も考えずに会話をする事が出来たのだが、律子の置かれた状況を聞かされた今、上手くお喋りをする自信が無くなっていた。
名前くらい律子に聞いておけば良かったと思いつつ席に着く。そして、お父さんは私の顔を見るや「律子、ただいま」と、ニコッと微笑んだ。
「お、お帰りなさい 」
「ん? 律子、何か雰囲気変わったな」
何とも鋭い。流石に律子を見続けていただけはある。そのお父さんの言葉を受け、律子が『せいかぁ~い』と低く冷静に言ったのが妙に可笑しくて笑いそうになったが、そこは「ん、うんっ!」と咳払いをしてごまかした。
「美人になったのかな?」と、お父さんは笑いながらに言うと、「江梨子ー、ビール持ってきてくれー」と続けた。
江梨子……さん。
良かった、あの人の名前を聞くことが出来た。実のところ、彼女を何と呼べばいいのか分からなかった点も、接触を敬遠していた理由の一つなのだ。
江梨子さんは、「はい、どうぞ」とビールとコップを持って来た。そのコップを持つ左手を見ると、相変わらず全ての指先に絆創膏が巻かれていた。
そして出てきた料理は、先日の料理とは打って変わって、単純な魚料理だった。少しがっかりしたが、お腹の虫は正直な様で、料理が並べられると同時に「ぐぅー」と大きな音が鳴ってしまった。
「あらあら、今日も練習頑張ったのかな。お疲れ様」
江梨子さんは、満面の笑みで私のお腹の音をフォローしてくれたが、私はどんな顔でどんな反応をしていいのか分からず、「あ、ああ、どうも」と、妙に他人行儀な態度を取ってしまった。
『ちょっと、変な反応しないでよ』
律子さん、そんな事を言われましても、あなたがどんな風に江梨子さんと普段の会話をしているのか私は知らないのです。
お父さんは「何だ、借りてきた猫みたいな奴だな」と、笑いながらに手酌で言うと、律子が『うるさい』と、鋭い口調で反論したので、それをそのまま真似した。
「はいはい、お待たせ」
江梨子さんはそう言いながら席に座ると、三人揃って手を合わせた。
「ところで律子、決まったのか? 進路は」
『……』
お父さんの質問に、律子は黙(だんま)りだった。
「ちょっと、答えなさいよ」と、思わず口に出してしまいそうになったが、喉まで出かかったところでなんとか飲み込んだ。そして胸の奥に何やら熱いモノが込み上げてくるのを感じた。
感覚から言うと、悲しい時や怒っている時と同じ様な感じだ。こうやって客観的に人の感情を覗き見すると、悲しい時も怒っている時も、胸の熱さの種類は同じ類いのモノなんだなと実感できる。
律子が、お父さんの言葉に何を感じているのかは謎だが、とにかく早く返事をしなければいけない。何と答えようか。私の進路でも答えておくか? いや、それはまずい。だって私まだ進路決まってないもん。もしかしたら律子もまた、私と同じで進路に迷っているのか?
それなら適当に、進学したいとか答えておくか? いやいや、もし律子の希望と違っていたら怒られてしまう。
そもそも、何で黙っているのかが解らない。それが解らない事には、この質問には答えてはいけないような気がする。律子が答えないという事は、答えなくてもいいという事なのか? それならそれで、『ここはスルーで良いわよ』だとか教えてもらいたいところなのだが。
……適当に答えておくか。
「うん、まあ、ちゃんと考えてるから心配しないで」
「そうか。律子は父さんと違ってしっかり者だからな。出来る事があれば、何でも言ってくれ」
「うん、ありがとう」
……わったっし、上出来!
律子をイメージして、ちょっと不機嫌そうに単調に答えたのが正解だったのか、全くお父さんに怪しまれず、かつ律子にダメ出しを食らう事もなく乗り切った。
その後、一週間の出張は意外と長く感じた事、毎日天気が悪くて、中日(なかび)の休日はどこにも行けなかった事など、お父さんは出張での土産話というか愚痴というかを、うんたらかんたらと語りだした。
口まで運んだご飯を食べずに喋り出すものだから、私が食べ終わっても尚、お父さんの料理は半分ほど残っていた。
途中、律子が『沙美、お父さんの顎見て。ご飯つぶつけて必死に喋ってるわ』と、わざと感情を込めずに言ったので、可笑しくてご飯を吹き出しそうになってしまった。
会話にはもちろん江梨子さんも加わっていたのだが、「ね、りっちゃん」と同意を求められても、やはり他人行儀な反応しか出来なかった。
「そうですね!」と返事をしてあげたいところだったのだが、それが律子の意と反しているのならば、私としてもそれは嫌だった。
もしかしたら律子なら、『あの人への反応? そんなの好きにしていいわよ』と言うのかもしれないが、律子が内なる気持ちを打ち明けてくれたその行為を、私は尊重したかったのだ。
律子本人が自分の気持ちに整理がついていない今、どうして私が適当に返事をする事が出来ようか。弓道場の木札に書かれた私たちの名前は、伊達ではない。私たちは、一心同体なのだ。
「あー、美味しかったー!」
お腹一杯のまま部屋へ戻ると、私はいつもの様にベッドに飛び込んだ。
『ご飯食べた後の沙美って、本当に満足そうでこっちが嬉しくなっちゃうわ。そういえば……私最近ご飯食べれてないなあ』
律子は、前半こそ楽しげな雰囲気だったものの、後半、少し寂しそうに言った。……確かに。言われてみると、昨日の晩御飯も今朝のビーフストロガノフも私が食べたし、ご飯と言うにはアレだが、かき氷も私が食べた。
律子にお腹の具合を聞いたが、お腹は全然減っていないとの事。かと言って、私のお腹の具合が影響している訳でもないようで、現時点でも満腹感は全く無いらしい。
『ま、別にいいんだけど。さ、それより弓引いてみよう……ってこの音、雨強くなってる?』
律子に言われてカーテンを開けると、外灯に雨が映し出された。家に着く頃に降りだした雨が、少し強くなっているようだ。
『これじゃあ弓引けないわね』
その言葉に私は心の中でガッツポーズを決めた。
『明日、ちょっと早目に行って練習しよっか』
「……はい」
どちらにしても、練習は避けられないようだ。
「ねえねえ、それよりさ、今度のお泊まり会の事なんだけど」
『お泊まり会? ああ、春に誘われてたやつね。あれがどうかしたの?』
「いや、私大丈夫かな? って思って」
『大丈夫よ。私がついてるんだもん。それに、もしかしたらお泊まり会の時は、ずっと私が外にいるかもしれないし』
「……“私がついてるんだもん。”ねぇ」
律子は、先程の事は忘れているのか、『何よ?』と怪訝そうに聞いてきた。「ついさっき、その状況で黙(だんま)りを決め込んでおいてよく言うわね」と言いたかったが、「……はぁ」と、ため息に消えてしまった。
私としては、新しい友達が出来た感覚で、今現在とてもワクワクはしている。が、春子にしても八重子にしても、私の外見が律子な為、新しい友達が出来た時の定例の会話、「どこに住んでいるのか」や、「中学の頃は何の部活をしていたのか」等々、込み入った事が聞けないのである。お泊まり会は楽しみでもあるが、友達が出来た時はそういった事を聞きつつ仲良くなるので、あの二人へ対してどう切り込んでいけばいいのか全く解らないでいた。
と、言いつつも、律子とはそういった会話は全く無かったのだが、不思議とすぐに仲良く(?)なれた。彼女には気を遣わず、ずけずけと踏み込んで会話が出来る。それは、もしかしたら律子が私に対しても、そう接してくれているからかもしれない。
妙な気遣いや、上辺だけの会話が無い分、本音で喋る為にストレスも無い。そのせいでイラっとする事もあるが、後腐れ無く付き合う事が出来ている。
……気はする。
思った事を口にする時代だからこそ、人と人の繋がりも強いのかもしれない。お母さんもこの時代を生きていたからこそ、あんなにズバズバ私たちを叱る事が出来ていたのだろう。って、そう言えばお母さんもこの時代の北浦にいるんだった。自分の事ばかりで、すっかり忘れていた。
この年のお母さんは高三。もちろんお父さんもいる。しかも、お父さんがお母さんに告白するのもこの年。あのお父さんがどんな告白をするのか、見届けたい気もする。
告白はクリスマスイブだが、私はそれまでここに居るのか、もしくは、もっと早くに帰る事になるのか。そう考えてみると、カナタからは特にタイムリミットは聞かされていない。
もし、意図的に課題をクリアしないのであれば、私はここにずっと留まる事が出来るのか?私としては、未来の家族もあるし、自分の人生そのものもあるので、今は何とも言えないが、律子は私が帰ったら寂しがるのだろう。私が課題をクリアしないのであれば、二〇一四年の律子の中には、まだ私がいる事になる。そうなると、事故に遭う日は分かっている。律子にお願いするか、もしくは律子の中にいる私が、事故に遭う私を助ける、なんて事も可能となるわけだ。
もしかしたら、もう会ってたりして。
……一番怪しいのは、デパートで財布を拾ってくれた「谷 凛音」さんだ。顔や出で立ちこそ律子とは違っていたが、あの人の言動にはおかしな点がいくつかあった。
私の名前も、財布がどこにあったかも、何故か知っていた。はっきりと決まった訳ではないが、そうでなければ谷さんの言動の説明がつかない。
だが私としてはやはり、カナタの課題を終え、一件を落着させたところで律子と再会したいものだ。例えば、このありえない展開の物語の主人公が私だったら、結末はこんな感じ。
――――――――――
過去から帰ってきて一週間が過ぎた頃、私はリビングのソファーに横になりながら、過去での生活を思い出していた。春子の事、八重子の事、江梨子さんの事、そして、律子の事。
「律子は今ごろ四四歳か。おばさんになった律子、見たいな。会って、あの時はどうだったとか話したいなあ。……うちの住所、教えとけば良かったかなあ」
と、考えていた矢先、玄関のチャイムが鳴った。急いで玄関を開けると、そこには一人の女性が立っていた。
そして、私の口からは自然と
「……律子」
という言葉が飛び出した。すると、その女性は神妙な面持ちで、
「沙美……やっと会えたわ。初めましてだけど--」
と答えると、次の瞬間、
「久しぶり!」
と、涙を浮かべながらも、満面の笑みを浮かべた。
fin
――――――――――
うん、これで決まりね。住所は教えておこう。
『ちょっと、何ニヤニヤしてるのよ。気持ち悪い』
「あ、いや、何でもないです」
『どうせお泊まり会とは全く違うこと考えてたんでしょ』
「えと、えーと、この時代の人は、名前に“子”が付いてる人が多いなあ、と考えてました」
咄嗟に絞り出した返答がそれだったが、
『え? 何でそれでニヤニヤしてたのよ。まあ、いいけど。
ねえ沙美知ってる? 「子」という文字は「一」と「了」を合わせた文字で出来てるのよ。「一から了」、「始まりから終わり」つまり、「一生涯」という意味があるそうよ。
だから例えば、「優子」という名前なら、一生涯人に優しく、または優れた人生を歩めるように、といった具合ね』
と、律子からは、何とも豆知識的な事を教わる事ができた。
なるほど。律子、八重子、江梨子、については解らないが、春子はおおかた、春の様に朗(ほが)らかな、という意味を込められた名前なのだろう。
お母さんは冬美。冬の様に冷徹な人間に……か? まあ、あながち間違ってはいないような気はする。
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