第3話―3―

「――痛っ! 痛ててて!」

 突然物凄い頭痛に襲われ、私はベッドの上で体を跳ね上げた。今までに経験したことの無い程の痛みだ。

 頭を抑えて必死に耐えるが、一向に治まらない。本当に、「頭が割れる!」という程の痛みで、やりようの無い痛みにベッドの上でもがいた。

 脳の血管が切れたのかもしれない。きっとこのまま目の前が暗くなって、運が良ければ病院で目が覚めて、悪ければあの世で……ってなところだろうか。これは、本当にヤバいかも!

 転がったり手足をばたつかせたり、もう何がどうなってもいいから、早く頭の痛みを取り除いて欲しいと言う気持ちで一杯になった。


――――――――


 必死に耐えていると、徐々に頭痛は引き始め、まだ多少の痛みはあるものの、立ち上がれる程にはなった。……死なずに済んだようだ。

 頭痛で外を見る余裕が無かったが、 窓へ目をやると朝だか昼だかは分からないが、青空が見えた。

 ベッドの上はシーツまでめくれ、脇に下がっているカーテンも、いつの間にか引っ張っていたようで、フックが二つ程外れてしまっている。

 そして私はと言うと、汗びっしょりで息を切らしていた。

「はぁはぁはぁ、何なの、今の頭痛」

 その痛みは、偏頭痛などのレベルでは無い事は明らかだった。もしかしたら、私が律子の中に入ったせいかもしれない。

「律子、ねえ律子聞こえる?」

 ……。

 頭痛の事を聞きたかったが、まだ寝ているのか返事が無い。

 昨日セットした置時計は、現在十一時半を指している。恐らく、三十分程耐えていたとは思うが、実際どれだけの時間悶絶していたかは分からない。

 改めて部屋を見渡すと、昨日寝た場所から変わらず、まあ、当たり前の事だが律子の部屋のままだった。

「もしかしたら、昨日の出来事は全部夢だったのかも」と、儚い希望を持つ事さえ許されないようだ。

 念の為テーブルに置かれた小さい鏡を覗き込んでみたが、鏡の映し出した姿は、やはり律子の姿だった。交通事故に始まり、天使との出会いにタイムスリップ。挙げ句には他人の中に入ってしまうなんて、こんなあり得ない展開の連続、夢として収拾されるべきが妥当だと思うのだが。

 それにしても、律子は本当に私を「一人の人間」として受け入れているのだろうか? 一番気になっているのは、律子の言っていた、「最近増えてきた幻聴が悪化してるんじゃないか」という言葉。

 ……。

 幻聴という症状が、どういった時に出るものなのかを調べようと思ったが、携帯もパソコンも無い事に気付き、やるせなくなってベッドに倒れ込んだ。

 と、その時お腹が鳴った。

「……お腹空いたなあ」

 何か食べたいが、下に降りたらあの人が居そうで、それをあぐねいてしまう。

 ……どうしよう。

 探りを入れる為に、取り敢えず階段の所まで行ってみる事にした。そして耳を澄ませる。

 ……。

 何も聞こえない。

 よし! 降りよう!

 一階へ降りてみると、台所にあの人からの書き置きがあった。


“りっちゃんへ


冷蔵庫に昨日の残りがあるから食べてネ”


 こ、これは! く、くそう! 律子は三食あんなに美味しい物を食べて過ごしているのか!

私は律子を生恨(なまうら)めしく思いつつも「律子に飛ばしてくれてありがとう」と、どこかカナタへも感謝していた。

 ウキウキ気分で冷蔵庫を開けると、ピンクの可愛いお鍋があり、その中に昨日のビーフストロガノフが入っていた。

 見たところ、さすがに今日の晩御飯までは出ないであろう量しか残っていなかった。残念な反面、今日は今日でどんな料理が出てくるのか、という楽しみも増えた。

 ビーフストロガノフに舌鼓を打ち、満足して部屋へ戻ると、丁度その時、「ツキン」と軽い頭痛がした。



――――――――


『--美? ねえ沙美? いないの?』

「んあ? あれ、律子?」

『あー、いた! 良かったー』

 律子は安堵した声を上げた。どうやらいつの間にか寝てしまっていたようだ。と、言うより、いつの間にか入れ替わっていたらしい。

「ごめん、入れ替わってたみたいね」

『そうそう、私が目を覚ましたのが、ドアの所だったから、きっと沙美が朝から行動してたんだろうなっては思ったんだけど、呼んでも返事が無いから、昨日の事が全部夢だったのかなって、少し不安になっちゃった』

 どうやら、律子は私の事を「一人の人格」としてではなく、「一人の人間」として受け入れてくれているようだ。

 それにしても、中の人間が寝ている時も入れ替わるなんて、思ってもみなかった。しかも、寝ている人間が外へ出ると、体自体も寝てしまうのは勿論、中に入った方も寝てしまうようだ。これは、外の人間だけが起きている場合は、行動は控えた方がよさそうだ。

「私がいて嬉しい?」

 私がからかう様に聞くと、律子は、『もちろん!』と、顎を持ち上げて微笑みながら答えた。

 初めは、付き合いにくそうな堅物(かたぶつ)なイメージがあったのだが、根は自分の気持ちに素直な良い子なのかもしれない。

 律子はきっと、あの人にお父さんを取られてずっと寂しかったのだろう。律子の気持ちは、痛いくらいに分かる。

「課題をクリアするまで還る訳にはいかないし、律子だって、私がずっといてくれたらって思ってるんじゃないの?」

 私がそう聞くと律子は、『よくご存知で』と、満足げな声で返事をした。

 昨日の「カナタからの課題」についての会話で、私が「分かんないけど、多分してないと思う。紙に書いてないし……」と言った時の、律子の嬉しそうな声は、やはりそういう意味だったようだ。

 それにしてもさっきから素直な返事だ。私の予想からすれば、前者の「嬉しい?」の返事は『……別に』だし、後者の返事は『一人でも寂しくないし』だ。

 昔の人は、自分の気持ちを隠したりする事が無かったのかもしれない。今の、と言うか未来の人間は、気持ちとは裏腹の行動を起こしたり、発言をする傾向にあるような気がする。相手が意中の人間であるなら尚更だ。

 ネット界隈でよく目にする“ツンデレ”や“ヤンデレ”といった類いのものも、女の子のステータスの一種と化しているのかもしれない。よくは分からないけど、男女の好き好むタイプと言うものも、時代と共に、常に変化しつつあるのだろう。

 私は未来人だが、素直に気持ちを伝える派に一票を投じる。

「ところでさ、今朝めっちゃ頭痛かったんだけど、律子って偏頭痛とか持ってるの?」

『あ! 薬の事言うの忘れてた!』

「薬あるんかい!」

 私がそう言うと、律子は『ごめんごめん』と言いながらバッと立ち上がり、机の引き出しを漁り始めた。

 一段目、二段目、三段目と、『あれー? どこにしまったかなー?』と開けては閉めを繰り返し、とうとう引き出しからは出てこなかった。

「一昨日は飲んだの?」

『うん、確か引き出しに入れたような気がするんだけど』

 一昨日飲んだばかりの薬を、どこにしまったかも覚えてないのか! と声を大にして言いたかったが、私に至っては、使ったばかりの携帯ですら、どこに置いたか忘れてしまう始末だ。ここは彼女を見守るとしよう。

『あ、あった!』

 と、結局テーブルの上の、小さい箱の中に入っていた。

『これを、えーと、何錠だっけ? あ、二錠ずつを寝る前に飲まなきゃいけないから、覚えててね』

 まだあまり飲んだ事が無いのか、律子は薬の入った袋を見ながら言った。

 私は「了解。じゃあ私が外に出てる時は飲んで寝るわ。もう二度とあんなのごめんだから」と、わざと呆れ気味に言ってみせると、律子は『ごめんなさい』と、鏡越しに私へ頭を下げた。


 ……昔の人って、付き合いやすいかも!



 暫く律子について勉強をすると、目覚ましのベルが鳴ったので、律子は『よし、そろそろ行きますか』と立ち上がり、部活へ向かう準備を始めた。

 律子が外にいる時で良かった。取り敢えず、部活での動きを勉強するとしよう。明日以降は、それをお手本にすれば問題無いだろう。

 律子は着替えを済ませると、玄関を開け、『……暑いなあ』と、タオル地のハンカチで顔を扇(あお)ぎながら自転車に跨がった。

 中に入っていると、暑さも全く感じないようだ。目の前に広がる光景は、思いっきり夏本番のものではあるが、それでも暑さを感じないとなると、かえって頭が混乱してしまう。

 律子の家は、私の住んでいる所とは学校を挟んで正反対で、学校からは自転車で20分と言ったところだ。

 自転車を暫く漕ぎ、律子の口から十六回目の『暑いよー』が飛び出した頃、学校へ着いた。

 学校へ入ると、いたるところが新しい事に違和感を感じる。確か北浦の開校が一九八三年とかだったような気がする。この時代では、まだ四年しか経っていないので新しくて当然だが、どうもしっくりこない。

 弓道場へ着くと、既に十五人程の部員がおり、内二人が弓を引いていた。昨日の、ツインテールの子とお下げの子だ。

 そして、道場にいたうちの男女十人が表へ出てくると、律子に「こんにちは!」と元気よく挨拶をしてきた。後輩だろうか?

 私は「随分飼い慣らしてるわね」と言うと、律子は『一応キャプテンですから』と、後輩たちが離れていく際、得意気に鼻を鳴らしてみせた。「三年生は?」と聞くと、律子の代から始まった部活との事。律子が一年生の頃にメンバーを集め、先生に直訴して作って貰ったらしい。

 確かに、律子はしっかりしていて、部員をぐいぐい引っ張っていってくれそうな人間だ。キャプテンとして相応しい。まだ付き合い始めて二日目ではあるが、それは分かる。

 きっと律子は、歩むべき道のレールを、部員たちに敷いてあげているのだろう。私はどちらかと言うと、そういう人が敷いてくれたレールに、ただ乗っかって生きてきただけのような気がする。

 小学校も中学校も、部活に入る際は友達に流されて入ったし、塾だって親に言われて通いだした。高校こそは自分の意思で入ったものの、結局これも先生に煽(あお)られ、悔しくて北浦に入っただけだし、さらにはその先の「やりたい事」は未だ不透明なままだ。

 私が表に出ている時は、私がこの弓道部員たちにそれなりの立ち振舞いをしなければいけないと思うと、気が滅入ってくる。果たして、私に律子の代理が務まるだろうか。

 それにしても、部員たちは道着を着ているのかと思いきや、上はティーシャツに、下はジャージでも体操着でもなく、制服のスカートやズボンのまま練習をしている。

「ねえ律子、道着とか着ないの?」

『道着? 袴の事? 袴は試合一週間前しか着ないわよ。夏は暑いし冬は寒いのよ、アレ』

 意外だ。常に袴を着て練習しているものとばかり思っていた。

 律子が、道場脇の道の様な所から二人へ手を振ると、二人は弓を立て掛けてこちらへ手を振りながら来た。そしてツインテールの子が、先に口を開いた。

「律子、昨日大丈夫だった? 様子はおかしいし、突然帰っちゃうし。今日も部活休むかと思ってたよ」

『え? う、うん、まあね。大丈夫だよ』

『……』

 律子の、『沙美、昨日余計な事してないわよね?』と言わんとする不穏なオーラが、ひしひしと伝わってくる。

 お下げの子は、ツインテールの子をチラチラ見ながら、「あの後この子ったら、あんたの事心配しすぎて、公衆電話見掛ける度に律子の家に電話しようとしてたんだから。ねー、は、る、こ、ちゃん」とからかう様に言うと、律子もそれに続き、『へえ、春がねえ。いざと言う時は優しいのね』と、お下げの子と同じ仕草を取ってみせた。

 ツインテールの子は「春子」と言うようだ。

「そりゃ突然帰られたら心配するでしょうよー」

 春子は反論する様に、腰に両手を当て、頬を膨らませながら答えると、一瞬だけ間が空き、次の瞬間、三人は同時に「アハハハハ!」と声を揃えて笑った。

 何だか、私も混ざりたくなったが、この時代の人たちに、私の存在がばれて良いのかも分からない状況だ。カナタから、特に何か言われた訳でもなければ、課題にルールがあると聞いている訳でもない。が、ここは念の為慎重に行こう。

 私は律子に「ねえ、お下げの子は何て名前なの?」と聞くと、律子は『八重子よ』と、ボソッと教えてくれた。

「八重子」とはまた、お母さん世代にいそうな名前だ。

 春子に八重子か。あ、春子はさっき律子が「春」とか呼んでたから、これがニックネームかな。

 律子は着替えを済ませると、「巻き藁」とかいう大きな藁筒の様な物の前に立って、矢をつがえた。そのまま弓を頭上まで持ち上げると、そこから弓を降ろしつつ、弦(つる)をゆっくりと引き絞った。

「ちょちょちょ、怖い怖い! やめてやめて!」

『……うるさいわね』

 そして、矢が口の高さまで降りると、そこでピタッと止まり、律子の動きは静止した。矢は頬に押し付けられ、このまま放すと、間違いなく弦(つる)が、顔や腕をえぐっていくであろう事が予想された。

「……え? 嘘、ここから放すの? 危なくない? てか痛みって中の人間も感じるのかな? ね、ねえ聞いてる? おーい」

 と、律子に語りかけた瞬間、矢が巻き藁に「ドスッ!」と刺さった。不思議と、弦は顔のどの部位にも当たらなかった。

「……た、助かった」

 私がそう言うと、『捻(ねじ)りが効いてるから大丈夫よ』と、律子は巻き藁に刺さった矢を呆れ気味に抜いた。

「……ねじり?」

 ……部活の時は、私は無理かもしれない。

 そして巻き藁を十本程引くと、春子と八重子の三人でチームとして入る事になった。後輩君の「始め!」という合図で、横一列に並んだ三人は、同時に歩みを三歩進めた。

 律子は、チームの三人目を務める様だ。特にどこのポジション(と言うのかは謎だが)に入るかの話し合いが無かったところを見ると、いつもこのポジションでやっているのだろう。

 律子の三人目のポジションは、「落(おち)」と言う名称らしい。

 最初に引くのは春子、その次に八重子、それぞれ、「御前(おんまえ)」、「中(なか)」と呼ぶらしく、この専門用語が飛び交う中、私は、「やはり律子が外に出ていて良かった」と痛感させられていた。

 四時頃に練習が一通り終わると、律子は先に部員たちを道場から追いやった。そして道場の壁に掛けてある、

「初代主将 仲米律子」

 と書いてある木の札を取り、律子の名前の脇に「那覇軒沙美」という私の名前を、筆ペンで付け足してくれた。

「ちょっと、そんな事していいの?」

『いいのよ。どうせ私が勝手に作ったやつだし。……ねえ沙美、私たちは二人で一人よ。私がピンチの時は助けてよね』

「もちろん。気合い入れてあげる事くらいしか出来ないけど」

『十分よ』

 律子はそう言うと、ニコッと微笑みながら木札を戻した。

 表へ出ると、春子と八重子が待っていてくれた。春子がいたずらに、「何してたのよー?」と聞くと、律子は『へへ、ちょっとねー』と返した。

 結局、私が外へ出る事は一度も無く部活を乗り切ったわけだが、必ずしも律子が外へ出ている訳ではない。自分でも、「あー、こりゃ私も練習しなきゃなのかなあ」と思っていた矢先、律子に『沙美にも練習してもらうからね』と、部活中にボソッと言われてしまった。

 律子は私の為に、弓と、矢、それから手に着ける変な形の皮の手袋「かけ」を持って帰るようだ。

 私が「律子、何だか練習するの怖いんですけど……」とため息を漏らすと、律子は『しっかりしてなきゃ誰かにバレるでしょ。てか今喋り掛けないでよ』と小声で怒られてしまった。すると、すぐ傍にいた春子が「え? 何か言った?」と振り向いた。

『あー、何でもない。独り言よ』

「最近多いね、独り言」

『え、そうかな? アハハハ……』

『……沙美』

 ……律子の怒りが伝わる。

「ごめんなさい」



第3話-4-へ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る