第3話―2―

「はてさて、何ともひょんな事からこの、気の強い女の子、仲米律子と体を共有して生活する事と相成りました。わたくし、那覇軒沙美でございます」

『はい? 何言ってんのよ』

「あ、いえ。何でも無いです」

 あの一件の後、すぐに律子の家へ帰ったのだが、律子は何事も無かったかの様に、「ただいま」と、お母様(本当にお母様と言えるような美人な人だった。)に素っ気なく言うと、すぐに二階へ上がった。

 律子のお母さんは、「あら、お帰りー! ご飯すぐ出来るわよー!」と明るく接してくれたと言うのに……。この子と言ったら、何と冷めた娘なのだろう。お母さんは泣いていなくても、私の方が泣けてくる。

 もちろん、「ちょっとあんた何よ今の態度!」と怒ったのだが、律子は『いいのよ、あの人は』と本当に、お母さんに対しての感情は持ち合わせていない感じだった。

 人の家庭事情に対して、あまり首を突っ込むのも良くは無いと思うのだが、いかんせん、私がいつ表に出るやも分からない状況で、お母さんへどういった態度を取れば良いのか、何故お母さんに対して冷たいのかを知っておく必要がある。

 ちなみに、育ちが良いかと思っていたのだが、家は普通の一軒家だった。

 彼女は自室へ入ると、ベージュの可愛い布製のリュックをベッドへ投げ、自分の中学校の頃のアルバムを取り出した。

『それでは、沙美君! これより授業を始める!』

 何だ何だ? 一体何を始める気だ?

『今日から毎日少しずつ、私の事について勉強してもらうわよ』

「え、えー! 面倒くさい! てかあんたに興味無いし!」

『面倒くさいじゃないわよ。あなたが外に出てる時は、あなたが私の友達や先生と接するのよ。興味は無くても、ちゃんとマスターしてもらうからね。喋り方から立ち方までみっちり仕込んで上げるから』

 これはとんでもない事になってきた。もういっそ、表に出なければ良いのに、と、げんなりしてしまう。


――二分後


「へー! で、この人は!? 超カッコいいじゃん!」

『何よあんた、やる気有るじゃない。それより、さっきからその“超”って何よ。超○○って流行ってるの? 未来で』

「え、いや、流行ってると言うか……。別に流行ってはいないけど」

 私がそう言うと、彼女は『ふーん、変なの』と軽く流した。

 その後、律子の喋り方、弓道部に所属している事、休日の過ごし方等を教えて貰った。友人については、どうせ教えて貰っても顔が分からないので、また改めて教えてもらう事にした。

 そして、そうやっている内に気づいた事があった。お互い考えてる事は、相手には伝わらない、と言う事。相手の、嬉しかったり悲しかったり怖かったりと言うような内なる感情は、どことなく感じる事が出来るが、どうやら、実際お喋りをする様に口に出して語り掛けないと、頭だけでは会話が出来ないようだ。

 もちろん中にいる方は、相手の頭に直接声が届くので、厳密に言えば、表に出ている方だけが声に出して喋らなければいけない、と言うことだ。

「あー! 疲れたー!」

『体力無いのね』

「あんたに言われたかないわ! ねえ! ご飯そろそろ食べようよ。もう出来てる頃じゃない? 私お腹空いちゃった」

『んー、別にいいけど、私が食べたところで、沙美のお腹が満たされるかは疑問ね』

 律子はそう言いながら立ち上がった。その時、頭を抑えて『うっ!』と立ち止まってしまった。

 と、思った瞬間、

「あ、入れ替わった。わね」

体が入れ替わった様だ。

『今日のご飯何だろう。沙美、食べられて良かったわね』

「やったぁ!」

『ここで入れ替われたのはラッキーだったかも。あの人で練習するのよ。一応、何かあれば逐一教えるから安心して。まあ、あの人に喋り掛けられても、基本無視で良いんだけど』

「うん、ご飯何だろうね!」

『……』

「ん、どうしたの?」

『いや……未来と少し時差があるらしいわ』

「?」


 律子に教えて貰いながらリビングへ来ると、一呼吸置いて扉を開けた。すると、とてつもなく良い香りに包まれた。何の料理かは分からないが、とにかく初めて嗅ぐ香りだ。どんな料理が出てくるのか楽しみだ。

 リビングへ入ると、律子のお母さんは、「あら、今日は早いのね。お腹空いてたのかな?」と、ニコニコと語り掛けてくれた。

 帰ってから一時間弱は経っているのだが、それでも「早いのね」と言われた……。帰ってすぐに食べれば良いのに、律子はいつも何時頃ご飯を食べているのだろう。

 テーブルへ向かうと、律子の声がした。

『そこの、テレビのリモコンがある向かい側の席よ。そこが私の席』

 私は、お母さんが背中を見せている隙を見計らって、律子へ親指を立ててみせた。

 席に着くと、すぐに料理が運ばれて来た。さて、今晩の献立は……。

 ……何だこれ? やはり、初めて見る料理だ。

 私がまじまじと眺めていると、お母さんも手を拭きながら席に着いた。その手を見ると、包丁の扱いが下手なのか、左手の五本全部の指先に、絆創膏が巻かれていた。

「どうしたの、そんなに眺めて。さ、早く食べよ」

「う、うん。頂きまーす」

『ビーフストロガノフよ。食べた事ないの?』

 残念ながら律子さん、この様な乙な料理は初めてなのです。名前くらいは知っているが、この時代にこの様なお洒落な料理が出てくるところを見ると、やはりこの家の階級は、一つ二つ上なのではと、そう思わされる。

 律子の問いに、私は首だけで「無い」と答えると、その料理に手をつけた。

 お……。

 おおお!?

「お、美味しいー!」

 思わず声が大きくなってしまった。

「ど、どうしたのよ」

 お母さんは驚いた様に、だが少し嬉しそうにそう言うと、「じゃんじゃん食べていいのよ。お代わりもたくさんあるから」と付け足した。

 お代わり? もちろんしますとも!

 と、息巻いていたのだが、律子の胃袋が小さいせいか、よそわれた半分目に差し掛かった辺りで、「おや?」と、満腹具合が怪しくなり、残り四分一(しぶいち)目まで来ると、とうとう胃袋が破けそうな程になった。

 少し食べ過ぎてしまった様で、律子からも『食べ過ぎよ!』と怒られてしまった。

 お母さんは満面の笑みで、「今日はたくさん食べたわね」と言うと、鼻歌まじりに食器を下げた。

『あの人、ご機嫌ね』

 律子は少々呆れ気味にそう言ったので、私は思い切って聞いてみた。

「律子、お母さんの事嫌いなの?」

『ええ、嫌いよ。て言うか、あの人お母さんじゃないのよ』

「え、お母さんじゃないの!?」

 私が驚きを押し殺しながら小声で聞くと、律子は『うん』と小さく返事をした。そしてこう続けた。

『きっと、沙美が楽しそうにしてたから、あの人の機嫌が良かったんだと思う。私いつも冷たくしてるから』

「……私も、冷たくしたが良かったかな?」

『ううん、大丈夫。悪い人じゃないのよ。嫌いって言うか、何だか悔しいの。……詳しく話すから、部屋行こっか』

 私はその人に、どんなテンションでご馳走様を言って良いのか分からなくなってしまい、「ごめんなさい」と思いながらも、何も言わずにリビングを後にした。

 部屋へ戻ると、私はベッドへ倒れこんだ。

「ぶっはー! お腹一杯だー!」

『フフ、気持ち良さそうね』

 さっきまで少し沈んだトーンの声を出していたが、律子はどことなくご機嫌そうだ。

「気持ちいいー。あー、眠くなっちゃう」

『ちょっと、寝ないでよ。まだ歯磨きもしてないしお風呂も入ってないんだから』

「はいはい。で、さっきの続き聞かせなさいよ」

 私がそう言うと、律子は『ああ、そうだったわね』と、語り出した。

『昔は良かったんだ。お母さんがいてお父さんがいて、そして私がいて。小学生の頃はね、団地に住んでたんだ。小さい部屋が二つしかない、ボロっちい団地。幸せだった。皆笑ってた。

 でも私が中学に上がった頃、お母さんが倒れちゃってさ、病院に運ばれたんだ。家事もしながら毎日朝から夜遅くまで働いて、朝はお父さんのお弁当作る為に五時には起きてて』

 律子の話は、思っていたよりずっと重かった。

『で、そのまま目開けなかったんだ……お母さん。

 それから私が高校に入るまで、お父さんと私の二人の生活が始まったの。お母さんがいなくなって、初めは辛くて毎日泣いてたけど、お父さんが一生懸命支えてくれたんだ。

 授業参観にも、体育祭にも必ず来てくれた。一番嬉しかったのは、お父さんがお弁当作ってくれた事かな。

 いつもは給食だったんだけど、その日だけ給食室の消毒をするからって事で、皆お弁当を持参するように言われてたの。

 で、その前の日にね、お父さんがお弁当のおかず沢山買ってきてさ、私が“こんなにお弁当箱に入らないよ”って言ったんだけど、お父さんは“いいんだ”って言って聞かなかった。

 次の日の朝台所見たら、焦げて型崩れしちゃってる卵焼きがあったり、強火で焼いたのか分かんないけど、カリカリになってるベーコンなんかが沢山転がってて……。これは学校でお弁当開けるの恥ずかしいなって思って、一人で中庭に行って開けたんだけど、いざ開けてみたら、おかずの並びはちょっとぐちゃぐちゃだったけど、ちゃんと出来てて……。私それ見た時泣いちゃったんだ。

 休みの前日は、必ず私が友達と約束してないか聞いてきて、誰とも約束してない時は必ずどこかに連れて行ってくれたりもしたし。

 そして、去年の夏、“あの人”が来たの。何でも、お父さんの行きつけのバーで知り合ったとかで。

 さっきも言ったけど、本当に悪い人じゃないの。私が寂しくないようにって、大きなぬいぐるみを買って来てくれた事もあったし。三人でカラオケに行った事もあるのよ。その時は、あの人なかなか歌わなかったから、私が無理に歌わせたんだけど、彼女音痴だったの。あれはちょっと悪い事したかな……。

 でもね、今年に入ってから、私を家に置いて二人だけで出掛ける事が日に日に増えてきて……。

 それである日、お父さんがあの人と結婚したいって言ってきたんだけど、私猛反対したんだ。

 私があの人に冷たい理由は、子供っぽいんだけど、“あの人にお父さんを取られちゃったから”かもしれない。

 でもね、本当のところ自分でも解んないんだ。お母さんは天国に行っちゃったけど、でも、そんなお母さんの笑顔がまだ頭から離れなくて……。

 人と人が好き合う事に理由なんて要らないし、そういう人と出会うのは運命だとも思うけど、でも、お父さんの中からは、もう完全にお母さんは消えちゃったのかな? って……。そんなお父さんへの当て付けで、あの人に冷たくしてるのかもしれない、なんて、最近思うことがあるんだ』

 なるほど、あの人に対して冷たくしている理由が分かった。

「律子も苦労してるのね。私と同い年とは思えないわ」

『これ話したの、沙美が初めてだからね。二人だけの秘密よ』

 律子はそう言うと、『クフフフ』と、含み笑いをしてみせた。“二人だけの秘密”と言うのがこそばゆかったのだろう。

「話してくれてありがとう。私は、もしかしたら律子の為に送られたのかも」

 私がそう言うと、律子は『え? どういう意味?』と聞き返した。

「私がここへ来た理由よ。今度は私が話す番ね」

 私は、ここへ来るまでの経緯を話した。

 家族で買い物へ行った帰りに、バスに跳ねられそうになった事。宇宙へ飛ばされた事。カナタに出会った事。おまけに美鈴の事も、由美と順平の事も話した。

 そして、カナタに与えられた課題の事も。

『その、トキア・カナタとか言う天使に飛ばされたのね? トキア・カナタ……つい最近どこかで聞いた様な……無いような。で、課題をクリア出来れば沙美がバスに跳ねられずに済むのね。じゃあ、私もあんたを助けるために、その課題の事に関してアンテナ張っとくわ。沙美こそ、同い年とは思えない様な経験してるわね』

「そうなのよ……。で、この前律子が自殺しようとしてたから、あんたの命を助けなきゃなのかなあって」

『ふーん、それじゃあ、沙美は私の命の恩人ね。今日の一件で、もう課題は一つクリアしたの?』

「分かんないけど、多分してないと思う。紙に書いてないし……」

『そっか、それは勿体無かったわね』

 律子は、何故か少し嬉しそうに言うと、一呼吸置いて、『ねえ! 未来の事聞かせてよ!』と、テンションを高くして言った。

「未来の事? そうねえ……。未来には携帯電話ってのがあって――」

『携帯電話? 一昨年出たショルダーホンの事?』

「違う違う、それって肩から下げるでかいやつでしょ? そう言うのじゃなくて、写真が撮れたりテレビが見れたりもするやつで――」

 私の未来の話には、律子は食い入るように聞き耳を立て、何かを話す度に、『え、それどんなの? 描いて描いて!』と、凄く興味を示してくれた。


 そして時計の針が二三時を指す頃、律子の体の限界が来たのか、私は急激な眠気に襲われた。律子はと言うと、私が話している最中に相槌が怪しくなり、とうとう返事が何も来なくなってしまった。

 どうやら、中に入っていても眠気は来るようだ。

 しかしながら、明日は何時に起きればいいのやらサッパリだ。この置時計の目覚ましだけオンにしておけばいいのか? 見た感じ、目覚まし用の針は一三時半を指している。

 この時代で最初に出会ったツインテールの子とお下げの子、あの二人は「また明日!」と言っていた。夏休みの今、恐らく部活の事を言っていたのだろう。

 弓道部か……。部活をやっている時、ド素人の私が外に出ていたら大変な事になりそうだけど……大丈夫かな。まあ、その時考える事にしよう。いざとなれば律子もついてるし、大丈夫だろう。

 私はそのまま眠気に身を委ねた。


 ……あ、歯磨きしなきゃだった。




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