第3話―1―
目の前が真っ白になった次の瞬間、頭に「ズキッ!」と、激痛が走った。
目を開けると、私は何故か制服姿で倒れており、側には、チャララララと、倒れながらも車輪を廻し続けている自転車があった。
カナタの指パッチンによって、何がどうなったのかは解らないが、どうやら自転車で転んだところらしい。頭だけではなく、左膝と左手首も少し痛む。自転車で転んだ際に痛めたのだろう。
カナタは時を操る事が出来ると言っていた。恐らく、時間を戻したのだろうが、一体どこまで戻したのだろう。高校に入ってからは、自転車で転んだ記憶が無いのだが。
ここはどこかと周りを見ると、私の通っている北浦高校の前の、田んぼに挟まれた道だった。見慣れたはずの景色だが、どことなく違和感がある。
現在の時間は分からないが、西日の感じから言って、恐らく夕方5時くらいだろう。
とにかく、尚も痛み続ける頭を抑えながら立ち上がる。
「あー、頭痛いなぁ。……!?」
あれ? 今の私の声……。
「あー、あー、頭が、あー、痛い」
……。
…………。
この声、私の声じゃない!
「あー、あー」
なんと言うか、私の声より低いと言うか、大人びた声と言うか。
と、その時、後ろから声を掛けられた。
「ちょっと大丈夫? だからやめときなって言ったのに」
そちらを見ると、ツインテールの女の子と、お下げの可愛い女の子が笑いながら近寄ってきた。同じ制服を着ているが、もちろん二人とも知らない子だ。
そして二人が側まで来ると、お下げの子が、私の乗っていたであろう自転車を起こしてくれた。
私はと言うと、二人の事が誰だか分からなかったので、何と言葉を発していいのか分からず、ただ二人の顔をキョトンと見つめて黙っていた。すると、ツインテールの子が神妙な面持ちに変わり、「ねえ、大丈夫? 先生んとこ行く?」と凄く心配そうに顔を覗き込ませてきた。
「あ、大丈夫……」
この人に対して、どの様な言葉遣いで喋れば良いのか分からず、つい小声になってしまった。
とにかく、今この場を離れたかったので、「ちょっと、ごめん、なさい」と言い放って、その場を急いで離れた。
二人は、「あ、うん。気を付けてね! また明日ー!」と、手を振ってくれた。
とりあえず家に帰ろう。この時間なら由美が帰ってるはず。
と、自転車を漕ごうとした時、普段通学路に使っている大通りが無い事に気付いた。違和感の犯人はこれだ。
いつもは、この田んぼに挟まれた道を少し進むと、真上をその大通りが通っているので、その大通りに乗って帰るのだ。
が、今現在、この道は一本道で、これを真っ直ぐ行くと、家からは凄く離れてしまう。
この道を行くよりは、学校の脇から小道に入った方が、うんと近道にはなる。だがここで自転車をUターンさせると、二人とすれ違う事になる。それはばつが悪い。「……どうしよう」と思いつつゆっくり自転車を漕ぐが、一切名案が浮かばない。
仕方がない。このまま行くとするか。
しばらく自転車を漕いでいると、周りの風景がおかしい事に気付いた。あるはずの建物が無かったり、無いはずの建物が建っていたり。または古汚かったはずの小さいラーメン屋さんが綺麗になっていたりと、何度も通った事のある道のはずなのに、初めて通る感覚に陥ってしまう。
そして、自分の髪の色が黒い事にも気付いた。高校に入ってからは、ずっと茶色で通して来たはずなのに、何故黒髪になっているのだろう。
しばらく考え、声が変わっていた事、髪の色が違う事、この二点から、「もしかして!」と、恐ろしい事が頭に過ぎった。
私は、急に脈を打ち出した心臓を落ち着かせる為、「でもまさかそんな事あるわけ無いよね」と、何度も自分に言い聞かせた。
とりあえず最寄りのコンビニへ、と思っていたのだが、なかなかコンビニが見当たらない。
そしてわざと声を出してみる。
「えー、こんなにコンビニ少なかったっけ?」
やはり少しだけ低い。
自転車を漕ぐスピードが速くなる。
太陽も沈みかかっており、まだ街並みは夕焼けの色に染まってはいるものの、陽が沈んでしまうのも時間の問題だろう。
そう思った頃、小さいスーパーに着いた。急いで自転車を停めて、トイレまで直行した。端(はた)から見ると、ただトイレが我慢出来ずに急いでいる様にしか見えないのだろうが、周りの目は一切気にならない。
トイレの前へ着くと、そこで一呼吸置いた。心を落ち着かせながらトイレへ入る。だがどうしても心臓が落ち着いてくれない。
まあいい、全ては鏡が教えてくれる。
そう、頭をよぎった恐ろしい事とは、声も髪も違うのならば、もしかしたら顔も違うのでは? という事である。
鏡に映るかどうかのギリギリのところに立つ。一気に鏡の前に出る勇気が出ない。
ゆっくり顔を覗かせる……。
「……!?」
やっぱり。
鏡に映った顔は、私の知らない顔だった。
黒髪のセミロング、優しそうな目、私より少し高い鼻、薄い唇。どことなく高江さんに似ており、「育ちが良くて勉強が出来そう」という印象が強かった。
「あなたは、誰?」
鏡に向かって言うが、勿論答えを知っている人間なんていない。
――この顔では帰れない。どうすればいいのだろう。
そう思った瞬間、また頭に激痛が走った。
「――痛!」
と、同時に何だか変な気分になった。何とも言い様のない気分だ。
『あれ? ここ……トイレ?』
「――!?」
何だ何だ? 頭の中で直接誰かの声がした。と言うか、この頭の中の声、さっきまで私が出してた声と同じ声だ。
『え? 身体が勝手に動く』
また喋った! 何なんだろう?
……。
――もしかしたら私、今この人の中に入ってる? いや、この人の体を借りてる。と言った方が正しいか?
そう思い、怖かったが、この体の住人であろう中の人に、鏡越しに喋りかけてみた。
「あの、あなた、この体の人?」
『え、ええ!?』
勿論ではあるが、何が起きているのか分からないのだろう。
私としては、中の声が私のモノではない為、他人と喋っている感覚にはなるが、この人からすれば、体が勝手に動き、その口から自分の声で、意思とは全く違った事を喋っているのだ。もし私だったら、「頭がおかしくなったのでは?」と思うだろう。
そう思った瞬間、頭に「ツキン!」と軽い痛みが走り、同時に、体が動かなくなってしまった。
かと思うと足が勝手に動き、トイレから出ると、もの凄い勢いで走り始めた。どうやら体の主導権がこの人に戻ったようだ。
「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!?」
『うるさいわね!』
妙だ。凄く変な感じ。実際目は見えているのに、体が動かない。いや、体が勝手に動く、と言った方がイメージ的には近いか。そして、今は私の声に戻っている。中に入っている時は自分の声で喋られるようだ。
『はぁはぁはぁ』
まだそんなに走ってはいないのだが、この子の体力が無いのか、すぐに息が上がり始めた。だがその足は止まらない。
「ねえってば! どこ行くのよ!?」
『はぁはぁ、うるさい、わね、はぁはぁ』
完全に息が上がり、肩で息をしている。だが、不思議な事に、中にいる私には、全然疲労感が伝わって来ない。中に入っているだけで、完全にリンクしている訳ではないようだ。
走る速度も遅くなり始めたころ、少し高いビルへ入り、階段をのぼり始めた。辺りは完全に夕焼け色が消え去ってはいるが、夏のせいか、まだ少し明るい。
「ねえ、大丈夫? 少し休んだら?」
『うるさい! うるさい! うるさい!』
――!?
何だ何だ? パニックになっているのか?
『もうちょっと、だから、はぁはぁ、少し、黙っててくれないかしら』
もう少しでどこかに着くのか? と、思った頃、バタン! と、ある扉を勢いよく開いた。屋上だ。五階建ての小さいビルの屋上。ここら一体の土地自体が少し高くなっている為、景色はなかなか良い。
息を上げながら、ゆっくりと歩く。
そして柵に手を掛けると、何を思ったのかその柵を跨(また)がり始めた。
「ちょっとちょっと! 何してんのよあんた!」
『何って、飛ぶのよ』
「は、はぁ!? バカじゃないの!」
後ろ両手に柵を握り締めてはいるものの、その体は、ぐいっとビルの下を覗き込んだ。すると、少し落ち着き始めていた心臓が、またドキドキと脈を打ち始めた。
私が感じている恐怖とは別の、もう一つの「恐怖」を感じる。もしかしたら、この子も怖いのかもしれない。
「ちょ、ちょっとやめなさいって!」
私はまだ死にたくない! と言うか、何故この子が恐怖を感じてまで尚、死のうとしているのかが解らない。
『まったく、今日の幻聴は特にうるさいわね』
「幻聴? これは幻聴なんかじゃないわよ! 私はちゃんとした人間よ!」
幻聴と勘違いし、それが怖くて混乱しているのか? とりあえず、今はこの子を落ち着かせなければ。自分の命が掛かっているのだ。この説得は失敗できない。
「落ち着いて聞いて。私はあなたではない、まったく別の人間よ。何が起きてるのか理解出来ないかもしれないけど、幻聴でもないし、多重人格だとか、そんな事でもないから安心して」
『安心してって言われても。……あなたが幻聴でも、私の他の人格でもないのなら、あなた誰よ』
「那覇軒沙美。あなたと同じ北浦に通ってる二年生よ。あなたは?」
『なはのき? そんな変わった名前の子いたかしら? 私は仲米律子。私も二年よ』
――!?
名前を聞いて驚いた。この人が、仲米律子? あの……仲米律子? 私に手紙を書いた、あの?
『まあ確かに、幻聴にしては私の悪口言わないし、飛び降りるのも必死で止めてるし。でもね、もういいの。だって――』
仲米さんがあの手紙を書いたのは確か昭和六二年十月二十日。仲米さんが私と同級生ならば、そんな昔に手紙を書くことは愚か、まだ生まれてすらいなかったはず。
そしてまた嫌な予感が頭をよぎった。
『私は――』
「ねえ仲米さん! 今、何年の何月!? 教えて」
『――え、え? ちょっとあなた、人の話は最後まで聞きなさいよ。今日は昭和六二年の八月三日だけど。……もういい? 飛ぶわよ?』
六二年!? やっぱりそうだ。大通りが無かった事といい、街並みが全然違った事といい。どうやら私は、昭和六二年に飛ばされたようだ。
仲米さんは、その後も何か喋っていたが、まったく耳に入らなかった。
カナタは何故、この時代に私を飛ばしたのだろう? 何か意味があるはずだ。何せ課題まで出しているのだから。
――誰かの命を救う事、誰か一人を幸せな気持ちで満たす事――
さっぱり何の事やら分からないが、この課題をクリアしなければいけな――
『――みんな、ありがとう』
仲米さんはそう言うと、柵を握りしめていた手を放そうとした。
「ちょっと待って!」
『――!?』
私が思いきり怒鳴ると、彼女の柵を握る手に力が戻った。
もしかして課題の一つ「誰かの命を救う」って、仲米さんの事か? と思い念じてみたが、特に何も変化はなかった。
『何? もういいでしょ。死なせてよ』
やばい、念じてる場合じゃない。
「あなたが何故死にたがってるのかは解らないけど、あなたに死なれちゃ私が困るのよ」
彼女は、階下へ覗かせていた体を戻し、柵にお尻をつけて空を見上げると、『何でよ?』と、ため息混じりに聞いてきた。
「何でって、何ででもよ。信じられないかもしれないけど、私未来から飛ばされて来てるの」
私がそう答えると、仲米さんは、『プフフフ』と口を上品に抑えて吹き出した。かと思うと、『アハハハハ!』と、思いきり笑い出した。
「な、何よ! 笑うことないでしょ! 私は真面目よ!」
『アハハハ! ごめんごめん。じゃあ、証明してみせてよ。未来から来たって。私としては、最近増えてきた幻聴が悪化してるんじゃないかって、まだそう思ってもいるんだから。 もし証明できなかったら、私―― 』
笑いながら、ご機嫌そうにそう言うと、彼女はすぐにシリアスな表情に戻り、こう続けた。
『――やっぱり死ぬわ』
「そ、そんな事突然言われても、昭和六二年に何が起きたかなんて、そんな昔の事知らないし、これから先の出来事を言ったって証明出来る物もないし」
そこまで言うと、あの手紙の一節を不意に思い出した。
「あ、仲米さん、昨日足の小指ぶつけたでしょ? し、知ってるんだから!」
『え!? まだ……誰にも話してないのに』
「あなたが私に手紙書いてて、それを読んだのよ。私に会ったら、足の小指をぶつけた事を言いなさいって。私が生活してる、今から二七年後の二〇一四年にね。 これって未来から来たって証明にならない?」
『それだけじゃならないわよ。二〇一四年だなんて、また夢みたいな話ね。で、どうして私があなたに手紙書くのよ?』
「し、知らないわよ! 自分に聞きなさいよ! て言うか、あの手紙の『だって私は――』の後に何て書こうとしたのか教えなさいよ!」
『は、はい!? 何の事よ?』
そこまで言った所で、誕生日と趣味の事を思い出した。
「あ、それから、あなたの誕生日九月五日で、世界の硬貨集めが趣味でしょ!」
『――!? ……な、何で知ってるのよ?』
これは、かなり動揺しているようだ。もしかして隠していた趣味なのか? 顔が熱くなっていくのが私にも伝わる。どうやら恥ずかしかったようだ。
「だから、あなたに教えて貰ったって言ってるでしょ。あなたが私宛に書くのよ。今年の十月二十日に」
『そう……分かったわ。まだ信じられないけど、あなたが多重人格だとしても、とりあえずは退屈しなさそうだから死ぬのは止めるわ。家族や友達にも迷惑かけちゃうし。他にも思うところはあるのだけど』
彼女はそう言うと、柵から体を戻そうと向きを変えた。
と、その時、仲米さんの『きゃあ!』という悲鳴が聞こえたかと思った瞬間、私の目に空が映り、直ぐにその目線はガクッと低くなった。
今目の前に映っている物は、先ほどまで彼女が握りしめていた柵の、一番下の部分。
どうやら足を滑らせてしまったようだ。今はかろうじて、縁(へり)に両腕を乗せた状態でしがみついてはいるが、何せ「落ちたら死んでしまう」と言う状況が、何でもない状況を余計に焦らせてしまう。
「ちょ、ちょっと何してんのよ!」
『ご、ごめん。……どうしよう』
「登ればいいじゃない! 早く登ってよ」
『……どうやって?』
本当に育ちが良いのか、それとも運動神経が極端に悪いのか、私は「取り合えず片足を縁に乗せなさいよ!」だとか「目の前の柵を握るのよ!」だとか教えてあげたのだが、『そんなの無理よ! どうしたらいいの!』と叫ぶばかりだった。
私だったらここに足を乗せて柵を握って、と言うような流れが頭の中で出来ているのだが……。
「小さい頃に木登りとかしたこと無いの!?」
『そんな事した事無いわよ!』
やはり育ちが良いらしい。だから運動神経が悪いのか。
「いい? 落ち着いて聞くのよ。私の言う通りにすれば登れるから」
私がそう言うと、彼女の心拍数が少し下がるのが分かった。
『……う、うん。どうすれば良い?』
「まず、縁に片足を乗せるのよ。右でも左でもいいわ」
『そ、そんな事したらパンツ見えちゃうじゃない!』
「じゃあパンツ脱いで来れば良かったわね! 早くやりなさい!」
すると彼女は『はぁはぁはぁ』と、息を切らせながら、何とか足を乗せた。
『腕が、はぁはぁ、そろそろ限界かも。次は?』
本当に体力の無い子だ。まだ足を滑らせて1分程度しか経っていないと言うのに……。だがそうも言っていられない。
「次は柵を握るのよ」
『う、うん』
本当に腕が限界の様で、肩が笑い始めている。これはやばいかもしれない。
「気合い入れなさいよ!」
私が檄を飛ばすと、彼女は『うっるさいわね!』と怒鳴りながら柵を握った。そして『くぅー!』と目を瞑(つぶ)りながら最後の力を振り絞った。
――ドサッ。
どこかに倒れこんだ感覚があり、次に目が開かれた時、そこには空が映っていた。
『はぁはぁはぁ』
「よくやったわね」
『はぁはぁ、余裕よ。はぁはぁ、死ぬかと思った』
「アハハ! さっきまで死にたがってた人が何言ってんのよ」
『私だって、はぁはぁ、死にたくはないわよ。私にも色々あるのよ』
何だ? 失恋でもしたのか? と思ったが、黙っておく事にした。しばらく彼女の息が整うのを待っていると、彼女が口を開いた。
『それにしても、タイムスリップだなんて発想、私の多重人格の割にはSFめいた人格ね』
「だから多重人格じゃないって。多重人格だったら、人格が二人一緒に起きてる訳ないじゃん。……多分」
『あ、そっか……。じゃあ、幻聴ね。きっと』
「だから幻聴でもないって!」
『アハハ、冗談よ。あなた弄り甲斐があるわね』
「……」
『まあいいわ。それじゃあ、どうやってこの時代に飛ばされたのかとか、教えなさいよね』
「……はいはい」
手紙からは、凄く優しい感じの子が書いたイメージがあったのだが、何とも気の強そうな子だ。
そして少しだけ沈黙が続き、また仲米さんの顔が熱くなっていくのを感じた。
『宜しくね……沙美』
……悪い子ではない様だ。
「こちらこそ、律子」
空は完全に暗くなっており、半分だけの月がやけに明るく見えた。
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