第2話―5―

 死にたくない! でも、もう――

「――え!?」

 諦めかけた時、何かに首根っこをちょこっとつままれるような感触があり、次の瞬間、そこを一気に引っ張られ、物凄い勢いで私の体は上空に昇っていった。

「な、何なのこれ!?」

 いや、違う。昇っているのは体ではなく、意識そのものだった。

 今目の前に広がっている光景は、信じ難いが、バスに轢かれる直前で時間が止まっており、そこにいる私は両手で頭を覆い、咄嗟にしゃがもうとしているところだった。

 さっきは急いでいたので気付かなかったが、周りには人もいたようだ。轢かれそうになっている私に気付いて口を抑えている女性、子供の目を覆っている男性、そして私を助けようとしてくれているのか、バスの方へ駆け寄っている、ピンクのシャツを着た女性と、その反対側からも私と同い年くらいの子が駆け寄って来ている。

 本当に、全てがピタッと止まってしまっている。

 もしかしたら、私はもうとっくに轢かれて死んでいるのかもしれない。魂が抜ける、なんて話、別に信じていない訳でもないが、取り留めて信じている訳でもない。今私に起こっている現象、説明しろと言われても難しいが、死ぬ間際に見ている夢? と言った感じなのだろうか。

 そして、その光景をゆっくりと眺めている間もなく、見る見る地面が遠ざかり、五階建てビルと同じ高さになった辺りから急加速し、あっという間に雲までたどり着き、更に昇り続け、遂に私の体は、地球を飛び出し宇宙にまで達した。

「ちょっ、ちょっとちょっとー!」

 手足をばたつかせても体を捻っても、何をどうしてもその不思議な力は私を引っ張り続けた。

 大小様々な星たちを幾つも追い抜き、尚もその勢いは止まらない。何が起きているのかは全く分からない。とにかく私の心は、「怖い!」と言う気持ちにのみ支配されていた。

 まだまだ宇宙の暗闇を突き進む。いや、引っ張られる。進行方向が背面の為、進む先が全く見えない。更には距離感を掴むものが一切無いので、自分がどのくらいの距離を進んだのかも分からない。ただ、その速度が徐々に速くなっている事だけは分かる。

 見える物と言えば、遥か遠くに小さく、だがしっかりと強い光を放つ太陽と、後は遠くにある星ばかり。近くにある星は、あまりに私のスピードが速すぎるせいか、殆ど目視出来ない。

 私をその大きさで圧巻した地球も、今では他の星と区別がつかないほどに小さくなっている。

 どこからどこまでが太陽系なのか銀河系なのか、宇宙に興味を持たなかった私にはサッパリ解らないが、恐らく、到底人類では足を踏み入れる事の出来ない所にいるのだろうと言うことは簡単に想像できた。

 遥か遠くに星が固まって雲の様に見えるが、今では地球や太陽もその中に埋もれてしまっている。

 太陽が遠ざかり、徐々に暗闇が増してくる。周りが完全に暗闇に覆われ、暫くすると、また徐々に明かるくなってくる。それを何度か繰り返した。

 どうやら私たちの見えていない宇宙にも、太陽の様な、光の元となる星が幾つもあるようだ。

 やがて、また暗闇が支配し始める頃、徐々に後方が明るくなってきている事に気づいた。進行方向に首を回してみると、なんと驚いた事に、そちらは太陽を始め、他の星とは比べ物にならない程の光を発していた。

 遠くに見えていたはずのその光には、物の数秒で辿り着き、不思議と「ここで暗闇が終わる」という境界がハッキリとしていた。その境界は壁の様に物理的な感触があり、その光の壁に、ピタッと私の背中が貼り付いた。

 ここが、宇宙の果てだろうか。

 ここから、今まで昇ってきた宇宙を改めて見てみると、全ての星たちが物凄いスピードで遠ざかっているのが分かった。

 宇宙が光速よりも速いスピードで膨張している事は知っていたが、今現在時間は止まっているはず。なのにどうしてここから見る星たちは遠ざかっているのだろうか。

 と、考えていると、私の体は、ポンっとその壁の外へ放り出された。

 そしてまた有り得ないほどのスピードで引っ張られた。

「う、うわぁー!」

 と、叫んだ矢先、今度はすぐに止まった。そして目の前に広がる光景に唖然とした。

 遥か遠く、私の眼下で幾数もの宇宙が、泡の様にひしめき合っていたのだ。

「これって……あれだよね? 何かした時に体験するって言う。えと、何だっけ?」

 そう思った瞬間、今度は今まで来た宇宙を、一瞬のうちに戻され、「きゃー!」と悲鳴を上げている間に地球に戻ってきた。

「はぁ、はぁ」

 ここは……雲の上? 下を覗くと、どうやらショッピングモールの真上のようだ。

 時は、未だに止まっている。


「おい」

「――ひぃ!」

 聞き覚えのない声に驚き、ハッと振り向くと、そこには喪服に身を包んだ中学生くらいの少年が立っていた。髪の毛は水色で、端正な顔立ちをしている。

「あなた、誰?」

「俺は、カナタだ。トキア・カナタ。時を操る事が出来る天使ってところだ」

 時を操る事が出来るから、「トキ」と言う単語を含んでいるのだろうか?

 カナタと名乗るその少年は、それだけ言うと、私の頭に手をかざした。そしてまた口を開いた。

「お前は、このままでは死んでしまう」

「え? まだ死んでなかったの?」

「お前が死ぬ直前に時間を止めたのだ。何の為かは聞くな。俺にも色々と事情があるからな」

 カナタはかざしていた手を下ろし、二、三歩あるくと、また喋り始めた。

「那覇軒沙美、助かりたければ俺の言うことを守れ」

「はい、助かるのならば何でもします」

「これからお前に二つの課題を与える。それを為すことが出来れば、お前の命を助けてやる」

「課題?」

「誰か一人の命を救い、そして、誰か一人を幸せな気持ちに満たす事だ。命が欲しくばこの二つを為す事だ」

「え、何? 一人の命を……? それってどういう意味?」

 私がそう聞いたが、カナタはチラッとこちらを見ただけで答える素振りすら見せなかった。そしてまた口を開いた。

「前者は、この紙に“誰の命を救いたいか”を書かなければいけない。書くと言っても、念じるだけで記入はされるが。それと、この紙に書いたからと言って、そいつの命を救った事にはならないから勘違いしないようにな」

 そう言うと、カナタは指二本で胸から取り出した半透明な紙を、私の胸に当てがった。すると不思議な事に、その紙は私の体内へ、スッと吸い込まれていった。

「それから、どちらか一方でも課題をクリア出来れば、一時的ではあるが時空を移動する事が出来る。遥か離れた場所にだって一瞬で飛ばしてやる。まあ、特に必要の無いモノだと思うが、どこか国外等行きたい所があれば行ってみるといい。課題をクリア出来た際の、俺からのささやかなご褒美だ」

 そしてカナタは、「よし、じゃあいくぞ」と指をパチっと鳴らした。

「え! 説明それだけ!? 全然意味解んないんだけど!」

 私の訴えも虚しく、カナタの冷たい表情を最後に、目の前は一瞬にして真っ白になった。



第2話-完-

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