第2話―4―

 花火を買いに三階へ行く途中、順平と合流した。順平の手には何やらビニール袋が提げられており、中身を尋ねると、「アリカザスの瞳」だと言う。

 アリカザスの瞳とは、最近発売されたゲームの事だ。私もよく分からないが、ドラゴン何とかや、ファイナル何とかーと同じように、主人公を操作しながら冒険していくタイプのゲームだ。

 順平はこういうゲームをやり始めると、本当に熱中してしまう為、お母さんに怒られるところをよく見かける。

 この順平の満足気な笑みは良いとして、ゲームを買ったところを、今お母さんに見つかったら、「このゲームはいくらしたのか?」だの「ちゃんと勉強はするのか?」だの軽いお説教が始まってしまう。

 と、そう考えていた矢先、由美が、持っていたショルダーバッグを広げ、順平に「ん」とあごで合図をした。それに順平はすぐに反応し、小さく「サンキュー」と言うと、持っていたゲームをバッグに放り込んだ。何食わぬ顔で歩みを続ける由美は、どこか勇者の様な風格を漂わせていた。

 まあ、私たち三人姉弟は、何かと助け合って、親 (主にお母さん) から怒られるのを回避してきた。何だかんだで仲は良い方だと思う。

 順平は小さい頃は今よりもやんちゃ坊主で、よく庇(かば)ってあげたものだ。そのせいで一緒になって怒られたのも、今となっては良い思い出かもしれない。

 特に順平が小学二年生の時、テストの点数が低かったせいで、一緒に晩御飯を抜かれたのは今でも忘れない。


――――――――――


七年前


――――――――――


「おねえちゃーん」


「何よ?」


「どうしよう、こんなてんすうとっちゃった」


「――!? ちょっと! 三八点って! 足し算引き算だけの問題で何でこんな点数悪いのよ!」


「だって……わかんなかったんだもーん!」


「……ちょっと、泣かないでよ。……分かった、お姉ちゃんに任せなさい。本当は自分用にお小遣いはたいて買ったんだけど、今使う時が来たようね」


「あ! せんせいのあかペンだ!」


「いい、順平、この事は絶対にお母さんには内緒だからね」


「うん! わかった!」


「三八点くらい私の手にかかれば簡単に八八点に……。この先生のバツの付け方、跳ねてあるペケってのがラッキーだったわね。ここをこうして、こうして、ほら! 出来た! 八八点!」


「わーい! ありがとう! おかあさんにみせてくる!」


「胸張って行って来な!」


「おかあさーん!」


「ふん、可愛いやつめ」




「沙美ー! ちょっと来なさい!」



――――――――――


 ……もう一度言うが、“テストの点数が低かったせいで”一緒に晩御飯を抜かれたのは今でも忘れない。

 だがその夜、なんとこっそり由美が冷蔵庫を物色して、魚肉ソーセージやら納豆やらを二階に持ってきてくれたのだ。口数こそ少ないものの、ちゃんと私たち馬鹿二人の事は想ってくれている妹なのだ。

 そして先程あった様に、突然無表情でお礼を述べてくる。不思議と言えば不思議な子だが、そこが“アメと鞭”と言ったところだろう。

 ……ここ数年鞭ばかりだったような気もするが。


 花火の売ってあるおもちゃ屋へ着くと、順平が何やらソワソワし始めた。さては、さっきゲームソフトを買った事がバレないか心配なのだろう。お母さんに、「あんた今日は何も買わなかったの?」と聞かれたら一貫の終わりなのだから。

 嘘をついても順平は馬鹿だから、墓穴を掘ってすぐにバレてしまう。こんなにも嘘の下手な人間がいるのだなと、感心すると言うか呆れると言うか、そのくらい嘘が下手な人間なのである。

 そのお母さんの爆弾の一言が、今にも飛び出しそうで、こちらがドキドキしてしまう。

 無理もない。だって、あの普段冷静な由美でさえ、バッグの口を不自然にも両手で握りしめているのだから。あの半分しか開いていない目の奥は、きっと崖の淵にでも追い込まれた程のプレッシャーを感じているのかもしれない。

「……」

 あ、由美、ごめん。私今、「あー、今日バッグ持って来てなくて良かった!」って思っちゃった。


「沙美、花火こんなもんで良いかな?」

「んえ? う、うん! それだけあるなら良いんじゃないかな?」

 お母さんに突然喋り掛けられて、ビックリしてしまった。

 皆でぞろぞろとレジへ向かい会計を済ませると、私たち三人はそそくさとおもちゃ屋から遠のいた。お母さんとおばあちゃんは、お喋りをしながらゆっくりと歩いている。

 と、由美が後ろから声を掛けてきた。

「あれ? お姉ちゃん、財布は?」

「…………あっ!」

 いつもはバッグを持ち歩いている為、いざこうしてバッグ無しで出掛けると、ついつい財布の存在を忘れてしまう。

「ケーキ屋のテーブルに置きっぱだ。ちょっと取って来る! 先に行ってて!」

 急いでケーキ屋へ向かったが、先程座っていたテーブルには既に財布は無かった。念のためテーブルの下や椅子の下も覗いてみたが、やはりどこにも見当たらない。

 諦めてケーキ屋を出ようとした時、入り口でキョロキョロと誰かを捜す素振りを見せている女性が目に入った。

 知らない人に声を掛けるのは苦手だったが、すぐ後ろを通る為、素通りするのも気まずい。ちょっと、一声掛けてみるとするか。

「あの、どうかされましたか?」

 声を掛けると、女性はこちらを振り向いた。

「あ! あなた! あなたを捜してたのよ、那覇軒さん。これ、あなたのお財布でしょ?」

 その女性は、そう言いながら私の財布を渡してくれた。親切に拾ってくれたのだろう。

「あ、ありがとうございます。あの、どちらかでお会いしましたっけ?」

 その女性は、見たところ50歳前後で、美鈴と同じく右目の下に泣きボクロがあった。髪型は、ある程度長いであろう髪を、後ろでくるっと二つ折りにしてヘアクリップで簡単にまとめていた。さらにパンツスーツに腕捲りさせたワイシャツが、何だか出来る大人を演出している。

 一見して、「あ、カッコいい」と思えるような女性だ。

 それにしても似ている。そう、先程も泣きボクロを指摘したが、美鈴にソックリなのだ。美鈴をそのまま大人にした感じだ。

 私がジーっとその女性の顔を眺めていると、女性は少し慌てて口を開いた。

「あ、ああ、私まだ名乗ってなかったわね。失礼しました。こういう者です」

 そう言いながら私に名刺を差し出した。名刺には“熊本県警会計課「谷 凛音」”とあった。

「たに……りん……」

「たにりんね、よ」

「……は、はあ」

 名刺を見て硬直している私に、谷さんは読み方を教えてくれた。

 それにしてもやけに古い名刺だ。新しい物は無かったのだろうか。

「さっきこちらのお店から連絡頂いてね。落とし物の財布があるから、って事で来たのよ。それに、あの丘の上の“水面野(みなもの)研究所”にも用事があったから」

 みなもの? 確かに丘の上に大きな工場染みた物は建設中だが、あれは確か“崩野(くずしの)研究所”となっていたような気がする。まあ、どちらでもいいけど。

 それにしてもすぐに見つかってラッキーだった。お店の人にも後でお礼を言っておこう。

「あ、ありがとうございました。本当に助かりました」

「いいえ、もう置き忘れなんてしないように気を付けるのよ。それじゃあ、またね」

 谷さんはそう言うと、地面に置いていた大きめのバッグを肩に掛けると、かっこよく去って行った。角を曲がる直前、こちらを見て手を振ってくれたので、私も小さく手を振り返した。

 それにしても本当に似ていた。もしかしたら美鈴のお母さんか? とも思ったが、苗字が違う為すぐにその線は消された。

 それより、どうして谷さんは、一目見るなり私が落とし主だと判ったのだろう。確かに名前くらいなら財布の中に何かしら……って、財布にそんな物入れてたっけ? そう思い直し、財布の中を確認してみたが名前の判る物なんて一つも入っていなかった。“那覇軒”なんて当てずっぽうで当たるわけないし。

 さらに谷さんはこう言った。


――こちらのお店から落とし物があると連絡があった。


 もう、“置き忘れなんてしないように”気を付けるのよ。――と。


 お店から「落とし物」と言って届け出があったのに、どうして「置き忘れていた」と知っていたのか。

 ……。

 謎が謎を呼ぶばかりだ。

 とりあえず、なぞなぞは後で解くとして、私は急いで、皆の待っている駐車場へ向かった。

 外へ出ると、うんざりする様な暑さに包まれた。すぐ近くの駐車場が混んでいた為、車は少し離れた駐車場に停めている。いくつか敷地内の車道も横切らなくてはならない。

 早くしないと、またあの馬鹿順平にどやされてしまう。

 走っていると、すぐに汗が出てくるのが分かった。帰ったら直ぐにシャワーを浴びるとしよう。

 ああ、もう本当に汗がベトベトす――

「――!」

 車道を横切ろうとしたその時、すぐ真横に何か大きな物が視界に入った。

 「しまった!」と思い、すぐそちらに顔を向けると、バスが目の前に迫っていた。

 この距離、もう絶対に避けられない!

 瞬間、何を考えるでも無く、家族や友達の顔が一気に浮かび、目からドバっと涙が溢れ出したのが分かった。

 そしてこう感じた。


 ――ああ、死ぬ。


 と。




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