第2話―3―

「沙美! いつまで寝てるの!」

「--!?」

 気持ち良く寝ていたところをお母さんに突然怒鳴られ、私は体をびくつかせて起きた。

 順平は襖から顔を覗かせおり、私の反応を見てゲラゲラと笑っている。何とも恥ずかしさやら悔しさやらがごっちゃになり、枕にしていた座布団を順平に投げつけてしまった。

 ああ、夢も半ばに覚めてしまい、とても心地の良い夢を見ていたはずが、どんな夢だったか一瞬にして忘れてしまった。

「んもー! 急に怒鳴るとビックリするでしょ!」

「急にじゃないわよ。もう何回声かけたことか。ね、由美?」

「うん。二回目には怒鳴ってた」

「……二回目って。で、私の眠りを妨げて一体何の用よ?」

 私が体を起こしながら言うと、順平が口を開いた。

「買い物行くんだと。親父とじいちゃんは留守番だけどな」

 と、後ろにいる二人を親指で指した。順平の指した先の二人は、なるほど、将棋に熱中している。

 私は、寝汗をかいたTシャツを着替える為、皆を仏間から追いやった。

 おばあちゃんの家は、敷地こそは広いものの、各部屋が広い為に部屋数が少ない。そのせいで、私が小学校高学年の頃には、この仏間が更衣室と化していた。

 仏間で着替えながら、あの手紙をお母さんに見せるか否か迷っていた。お母さんは間違いなく、差出人の仲米律子の事を知っているのだから、この人が何者なのか、何故私の名前をしっているのか、そして今何をしている人なのか、聞けば解るかもしれない。

 ……。

 いや…………開けちゃおっか。

 もう十分我慢したし、手紙を見つけて二時間も経っているのだ。時効だ。お母さんに見せても、そんな不思議な話信じてくれないに決まっている。それにこれを開けたところで、誰にバレる訳でもない。

 よし、開けよう。

 そう決意し、二つ折りにした封筒をジーンズのポケットから取り出す。寝相が悪かったのか、若干シワが寄っているが、中の手紙に支障はないだろう。

 何だか開けると決めた瞬間から、ワクワクが止まらない。こんな気持ちは久しぶりだ。ドキドキして、何というか下腹部辺りがモゾモゾしてこそばゆい。

 小さい頃は、プールや遊園地に行く日の朝等に、このモゾモゾ感をよく味わったものだが、最近ではめっきり少なくなってしまった。

 これが大人になっていくと言うことなのか? 今までのワクワクやドキドキが少なくなっていくのは、何だか損をしている様に感じる。

 それなら、大人になると他に楽しみが増えるのかと考えてみても、朝は早起きして家族のお弁当と朝ごはん作り、洗濯したら仕事へ出発。帰りにスーパーへ行き晩御飯の献立に悩まされ、帰宅すれば休む間もなく晩御飯の支度。そして旦那とつまらない事で喧嘩をして就寝。

 ……。

 もういい、考えるのはやめよう。百害あって一利無しだ。大人になればきっと、楽しい事があるはず。今はそう信じる事にしよう。

 さてさて、それでは封筒の中身でも確認するとしますか。

 と、その瞬間、突然ふすまが開いた。

「おい! まだかよ姉ちゃん!」

 順平だ。別に隠す必要も無かったのだが、体が勝手に封筒をポケットに押し込んでしまった。

 ああ、畜生。せっかく中身が見られると思ったのに。

「今行くわよ! てか勝手に入って来ないでよ!」

 今までのワクワクドキドキが一瞬にして消されてしまい、その感情はすぐに怒りへと変わった。

 暫く順平と口喧嘩を続けていると、私たちの声を聞き付けてか、お母さんが仲裁(と言うにはあまりに強引だったけど。)に入った。


 ……頭がズキズキと痛む。

 頭を擦りながら居間へ行くと、由美は私をチラッと見て、広げていた本をパタッと閉じた。私を待っていたアピールか?

 何だ何だ? お母さんには制裁を受け、順平にはイライラさせられ、由美にまでこんな態度を取られるなんて……。私が一体何をしたって言うのよ。ちょっと待たせただけじゃないのまったく。こっちは目の前にあったお楽しみを“おあずけ”喰らってるっての!


--------

 玄関を出ると、高く上がった太陽からの陽射しが、ジリジリと肌を焼く。何という暑さだろうか。温暖化が進んだせいもあるのだろう。

 「あー、暑いねぇ。沙美ちゃんも由美ちゃんも日焼けしないようにねぇ」

 お婆ちゃんは陽射しを避けようと、片手で顔を隠した。私はまだ良いが、もしかしたらお婆ちゃんは、私よりも余計に暑く感じているのかもしれない。


 お婆ちゃんの今年の誕生日プレゼントは、日傘にすればよかったかな。四月の誕生日には、赤ベースのオシャレな和柄の手拭いに、今まさに手に持っている小さな巾着をプレゼントした。こちらも和柄で、手拭いとお揃いになっている。お婆ちゃんにとてもお似合いだ。

 私も自分用に買ったのだが、どこに置いたのか、いつの間にか無くなってしまっていた。そんな簡単に無くなるような物でもないと思うのだが……。

 買う時、「くれぐれも無くさないようにね」とお母さんに念を押されたのだが、一月(ひとつき)もせずに無くなってしまった。無くしたら絶対に怒られると思ったので、しまう場所は、本棚の一角の本たちを別の場所に移し、わざわざソレ専用の場所まで確保したにもかかわらず無くなってしまった。

 これはもはや事故である。

 先日順平が言い放った、「こっちが気を付けてても事故るなら、気を付けるだけ損」という言葉は、今思うとまんざらでも無かったようだ。

 確かに、こんなに気を付けててもどうせ無くなるんだったら、わざわざ本を移動させる必要も無かった訳だ。それどころか、そこには置かず、どこか別の場所に適当に置いていれば、無くさずに済んだのかもしれない。

 あの巾着は凄くお気に入りで、美鈴も見た瞬間に「可愛いー!」の連発だった。あの否定派の彼女が褒めちぎったのだ。その為、無くなった時は本当にショックだった。この悲しみ、七代先とは言わないが、私に娘ができ、さらにその娘ができても語り継がせよう。


 車に近づくと、まだ誰も乗っていないのにエンジンがかかっている事に気付いた。私が、「あれ?」という表情をしていると、順平は得意気に、「殿! 車内を冷やして御座候(ござそうろう)」と、 跪(ひざまづ)いて見せた。

 さっきまで喧嘩をしていた仲だが、頭に激痛を打ち込まれた仲でもある。私が、「うむ、よくやった猿よ」と拳を順平に向けると、順平も拳を突き出して軽くあてて来た。

 謎の姉弟(きょうだい)愛が生まれたところで、車のドアを閉める音が聞こえた。由美が先に乗り込んだようだ。相変わらず冷めている。私たちも車に乗り込むと、順平のお陰で冷やされた空気に体を包まれた。

「はーいじゃあ行くわよー」

 お母さんがバックミラー越しに、後部座席に座った私と由美とお婆ちゃんを確認すると、車を出した。


 ああ、また流れゆく町並み。

 どうするかなー、進路。夏休みの宿題の一つで、第二希望までの進路を、貰った紙に書いて提出しなければいけないのだ。

 大学に行くか、それとも就職するか……。

 どっちでもいいけど、失敗はしたくない。と、言うと勝手ではあるが、それが本音である。

 私のやりたい事って……何だろう?

 しばらく考えていると、徐々に目的のショッピングモールへ近付いてきた。そう、あの忌々しいショッピングモールだ。 この自転車を押した道を見るだけで、ネックレスの事を思い出し、またあのお腹の中で何かが煮えたぎる感覚が甦ってきた。だがその反面、もしかしたら今日はあのネックレスがあるかもしれない、という希望も生まれていた。

 ただ、無二と思われていたネックレスなのだ、誰かとお揃いというところが解せない。もしあったとしても、買うかどうか悩まされるところだ。いや、むしろ売られてあったとしたら、その誰かのせいで買いあぐねている自分に苛々させられそうだ。その点、やはり売られていない方が、気持ちのやりようもある気がする。

 ……どうか売られていませんように!


 ショッピングモールに着き、一通り買い物を済ませると、一階のケーキ屋さんで休憩を挟んだ。由美はトイレに行き、順平はゲームを見たいとかで一人おもちゃ屋さんに行ってしまった。

 お陰様で、ネックレスはお店に並んでいなかった。が、結局、これはこれで苛ついたのは言うまでもない。

 それにしても、こうしてここで落ち着いていると、ついこの前まで一緒にいた美鈴の事を思い出し、少し寂しくなってしまう。いや、寂しいというより、彼女に対して何もしてあげられず、彼女が寂しい思いをしていたのでは、という悲しい気持ちに苛(さいな)まれる。

 ついぞ二週間ほど前までは、今お母さんが座っている椅子に座って笑っていたのだ。

 編入してきた時はもちろん、クラスマッチのバレーや体育祭、遠足、そして彼女が「どうしても今やりたいの!」と言って聞かなかった、六月にやった私の早すぎる誕生日会。たった四ヵ月弱の付き合いだったが、私は彼女に沢山のモノを貰った。そしてふと気付くと、彼女は私の中でかけがえのない存在となっていた。

 今思うと、彼女は色んな事を急いで行っていたように感じる。電話の切り口からすると、あの時は予想もしていなかったような焦り方だったが、ある程度早い時期に私たちの前から去る事は決まっていたのかもしれない。

 本当に大切なモノって、そこにある時は気付かないのに、どうして無くなってから気付くのだろう。

 いつも無いモノばかり欲しがって、手に持っている大切なモノには気付かない。見ようとすらしない。人間は、と言うか私は、つくづく馬鹿な生き物だ。


--あんたあの石どっかに持って行っちゃったでしょ!--


 彼女が引っ越しを余儀なくされた理由であろう、例の“石”。胸の奥にある悲しさ、寂しさの原因は、“私が石を返せなかったせいなのかも”と、そう思うところから来ているのかもしれない。


 --コツン。

「--?」

 何かが頭にあたった。

「どうしたの? ボーッとして」

 由美だ。トイレから戻った由美のげんこつが小突いていた。

「ん? ううん、何でもない」

「……」

 私がそう言っても、由美は首をかしげて私の顔をまじまじと見つめていた。

「何よ?」

「山下さんの事考えてたでしょ」

「--!?」

 私ってばサトラレ?

 私が驚いて「よく分かったね」と言うと、由美は「まぁねー」と珍しく、少し得意気に微笑んで見せた。

 由美の笑った顔なんて久しぶりに見た。最後に見たのはいつだったか。バラエティーを観てもお正月にある漫才の番組を観ても、何をどうしても見られなかった由美の笑顔。今、由美の中で一体何が起きたのだろう。

 私がしばらく由美の顔を見ていると、それに気付いてか、由美はすぐに元の顔に戻した。

 何だったのだろう。気持ちの悪い。天才と馬鹿は紙一重と言うが、この大先生も、とうとう頭がおかしくなったか?

 おばあちゃんがコーヒーを飲み終わると、お母さんは「よし、じゃあ花火でも買って帰ろうか」と立ち上がった。

 私も立ち上がると、由美は急いでズズズっとタピオカを一気に飲み干し、立ち上がり際、私にしか聞こえないように「お姉ちゃん、いつもありがと」と口をモグモグさせながら、本当に小さく呟いた。そしてすぐに、「ねえ花火今日するの?」とお母さんの所へ駆け寄って行った。

「……」

 トイレから戻って来る時、何か欲しい物でも見つけたか? 私にカンパを募る気なら御免こうむる。



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