第2話―2―
呼ばれて居間へ戻ると、……あれ? どこかで見た光景。全員すでに座って、手を合わせている。順平の「早く座れよ」と言いたげな表情が目に入ったが、それを見て尚更急ぐ気が失せた。弟のくせに生意気なやつだ。私はわざと重そうに「おまたせ」とゆっくり堀ごたつに座ると、やはり順平がフライング気味に「いっただきまーす!」と声を張り上げ、皆もそれに続いた。
食卓には、湯気のたった炊きたてのご飯に納豆、お味噌汁、焼き魚。そして皆でつつけるようにと、大きなお皿に盛られた椎茸と竹の子の煮物。煮物にはニンジンやインゲンも入っており、色合いも食欲をそそる。そしてこれにもほぐした魚がまんべんに散りばめてあり、とても美味しそうだ。きっとどこかの王様は、毎朝このくらい豪勢な料理の並べられた食卓に着くのだろう。何と羨ましい。が、
「おばあちゃん、朝ごはんにしては豪勢だね」
由美先生が代弁して下さった。
そう、私たちが来ることに張り切ってくれたのは嬉しいのだが、これ、どう考えても晩御飯の量のように感じる。お腹も空いていて、大食いをするなら最高のコンディションでもあるが、それでも胃がすでに白旗を上げている。
「そうか? じゃあ俺が全部食ってやる」
順平だ……こいつは胃もバカなようだ。
「ところでおばあちゃん、さっきの鏡、どうして修理しないの?」
「ん? ああ、あれはね、さっき言った、遊びに来たお友だちが、どうしてもこのままにしておいて下さいって、凄く真剣に言うものだからそのままにしてあるんだよ。えーと、律子ちゃんだったかな?」
「へー。りっちゃんがそんな事言ってたんだ?」
お母さんが箸を口に入れたまま割って入った。
「そうなのよ。理由は結局分からないままだったんだけどね。それにしても、あの勉強出きるような子がまさか鏡割っちゃうなんてね」
「そうそう、しかもけん玉でね。私あの時お腹抱えて笑っちゃったのよ。でもあの野菜炒めの件(くだり)が一番笑っちゃったわ私」
ん? てっきり鏡を割ったのは桜子おばさんと思っていたが、どうやら律子とかいう人が割ってしまったようだ。
「ああ、懐かしいねえ。“あのせい”もあるけど一人言も多くなってたからね」
おばあちゃんとお母さんは、話題を提供した私を蚊帳の外に、ケラケラと笑いながら昔話に花を咲かせていた。
順平は黙々と目の前のおかずたちを平らげ、お父さんもそれに習うように食べ物を口に運んでいる。しかし由美はと言うと、先程より少しもご飯の量は変わっていないものの、モグモグと咀嚼だけを続けている。
朝ごはんを済ませ、女性陣は後片付けをし、男性諸君は皆横になっていた。クーラーに加えて扇風機までも稼働させている部屋で、満腹の状態で横になるのはさぞかし気持ちの良いことだろう。居間のふすまを開ける度に、順平がこちらをチラチラと見てくる。
「何よ」
「いや、ぬるい風が……」
さすがの順平も、今の自分の立場が分かっているのだろう。少しはばつの悪そうに、半ば口ごもりながらにそう言うと、また顔をテレビに向けた。……手伝う気は無いらしい。
片付けが終わると、私は一人仏間へ戻り、そこでゴロンと大の字になった。小さい頃からこの仏間ならではのお線香の香りが大好きなのだ。
お線香は「食香(じきこう)」と言って、その香りが死者の食べ物だとか、つい先日テレビでやっていた。それを観ている最中に由美と喧嘩をしてしまった為詳しいことは忘れてしまったが、それは四九日間の事で、昔は四九日間は夜番もしてお線香を絶やさず焚いていたらしい。
もちろん私は良い香りでお腹を満たすことは出来ないが、アロマやお香はもちろん、このお線香の香りから蚊取り線香まで、落ち着く香りとあらば何でも大歓迎だ。
何だかこうして寝転がっていると、ぼんやりと浮かぶ盆提灯の灯りも手伝って、まぶたがうつうつと重くなってくる。もうこのまま一眠りしてしまおうかと寝返りを打った時、仏壇の下に何やら紙の様な物が見えた。
昼寝を優先しようとも思ったが、その紙がやけに気になり、 眠気に支配されそうになっていたまぶたを擦りながら、重い体を起こした。
経机の下から仏壇へと手を伸ばす。少々手こずったが、わずかに見えている紙の端をつかみ、何とか引っ張り出すことに成功した。
紙の正体は封筒だった。花柄の可愛い縁取りのしてある白い封筒だ。が、長い間そこに忘れ去られていたのだろう、白さも薄れ、半ば茶色がかっている。紙質も、数十年経っているかもしれない、と言うほど硬くなっている。
出す気があったのかは謎だが、切手も貼られていなければもちろん消印も無い。
宛名を見てみると、
「え?」
そこには「那覇軒沙美 様」と、私の名前が書かれてあった。もっと昔に書かれた物かと思っていたのだが、多くとも一六年程の年数しか経っていない事が予想される。まあ、それでも十分な年数と言えるか。
封筒を裏返すと差出人の名前が書かれてあった。
「仲米……律子?」
先程の「鏡の話題」に出てきていた、「律子」とかいう人なのだろうか? この人が私に宛てた手紙だとしても、私はこの人とは、少なくとも物心がついた頃からは全く面識がない為、そんなに大した内容ではないはずだ。が、封筒はまずまずの分厚さで、便箋にして、五、六枚は入っているであろう事が容易に察することが出来た。
そして差出人の下に「 S62.10.20 」という、恐らく日付であろう数字が記してある。
「……Sって、昭和って事? よね?」
私が生まれたのは平成九年八月二七日。昭和六二年と言うと、私が生まれる10年も前の年だ。今からすると、えーと……二七年くらい前かな?
私が産まれていない時代に、どうして私の名前を知っていたのか。一瞬、同姓同名の誰かか? とも思ったが、「那覇軒」なんて珍しい苗字他に聞いた事がない。しかもこのお婆ちゃんの家で見つけたのだ。これはもう、私の事を指していると考えて間違いなさそうだ。
それにしても不思議だ。二七年前と言うと、お父さんとお母さんは共に一八歳、高校三年生の年だ。二人の馴れ初めを聞いた事はあるが、確か高三のクリスマスイブに、お父さんがイチョウの可愛いネックレスをプレゼントしたのがきっかけだとか。奇跡的に、お母さんがイチョウにまつわる物を好き好んでいた為に成った関係だと言えよう。他の物を選んでいたなら私はここにいなかったのかもしれない。
まあ、それはさておき、イブの日に付き合い始めているのであれば、この手紙の日付である十月に「子供が出来たらこんな名前にするか」とかいうよくありがちな恋人の会話も、この時の二人にはあり得ないのである。どちらにしても、高校生カップルがそんな話をするなんて聞いたことは無いけど。
それに、お父さんが初めてお母さんの家、つまりお婆ちゃんの家に来たのは、二人が付き合うと決まった次の日の一二月二五日。こっそりお父さんが持ってきたにしても、やはり十月にこれをここに隠す事は不可能である。
じゃあお母さんがこっそり?
……いやいやいや、それは無い。お母さんはお父さんに告白されるまで、お父さんの事を全く気にも止めていなかったと聞いている。そもそも差出人は「仲米」という人なのだ。すべての条件が合ったところで、この差出人の記載だけは揺るがない。
今まで生きてきて、いくつか不思議な体験はしてきたつもりだ。落ちた消ゴムが偶然立ったり、レジでの合計金額が七七七円だったり……。んー、何か違うか。
部屋の蛍光灯が突然切れ、その直後、入院中であったおじいちゃんの訃報の知らせがあったり……。うん、これだ! けど、不思議ネタで考えただけで、生憎 (?) おじいちゃんは健在である。
まあいいか、頭でどうこう考えるよりも内容を読めば分かる事だ。
封をハサミで切り中を覗くと、手紙が一通と、さらに一回り小さい封筒が入っていた。小さめの封筒の表書きに「開封厳禁」と書いてあったので、そちらの内容の方が気になったが、手紙から読むことにした。
--沙美へ
沙美の言う通り十月二十日になったから書きます。内容までは聞いてなかったけど、これから書く事が、あなたが読んだ内容になるんだよね。何だかすごく不思議です。
封筒の方はまだ開けちゃ駄目だぞ。って、そんな事言われると余計気になるのが沙美だよね(笑)
これを読んでいる沙美が、まだ私の事を知らないと思うと変な感じです。何が何やらサッパリだと思うけど、すぐに分かるから安心して下さい。
これからあなたは超不思議な体験をします。←使ってみたよ(笑)
簡潔に書きますが、私に会ったら、まずこう言って下さい。「昨日痛めた足の小指は大丈夫か?」と。
それから私の趣味「世界の硬貨集め」と、誕生日「九月五日」という事も伝えておきます。そうでないと、私が死んでしまうので。
あの時実は本気でした。
だって私は
これは、いいか、書かないでおきます。……って、これが原因で沙美に怒られたのかと、今更に納得です。
あまり長々と書いてるとあなたを起こしちゃうから短めに。
それでは、ご自愛下さい。
バイバイ。
追伸:本当に仏壇の下に置いておいていいのか疑い深いですが、沙美、あなたを信じます。--
手紙はここで終わり、一体何のこっちゃだ。この仲米さんは私の事を知っている風な感じの文面だった。それに、「あなたを起こしちゃうから」って、この手紙を書いてる時に私が傍に居る様な書き回しでもある。そして文中の、「だって私は--」の続きが凄く気になる。
もしかしたらもう一つの封筒に、その答えが書いてあるのかもしれないけど、何せ「読むな」とあるし……。でもでも、「いつになったら読んで良い」というような事も書いて無かったし……。
と、ふと手紙の裏を見てみると、
「--!?」
驚いた事に私の自画像が鉛筆絵で描かれていた。それにこのデッサン、私自身何度か描いた事のある、得意なアングルでもある。中学の頃に、美術の“自画像を描く”授業で、先生に誉められて以来得意になって描きまくったアングルだ。
この自画像には自分でも自信があった。全盛期には、お母さんと美鈴にも「そっくりじゃん!」と太鼓判を頂いた程の腕前で、ついこの前なんか、この絵をお母さんが勝手に新聞社に送り付け、朝刊の片隅を飾った事もある程だ。
しかし何故これがこの手紙に……?
何か解らないかと封筒を必死に蛍光灯にかざしてみたが、当然中身が見える訳でもなく、かと言って開ける事が許された訳でもなく。
もう、ふて寝するしかなかった。
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