第2話―1―

 美鈴と連絡が取れなくなって早二週間、夏休みも中盤に差し掛かっていた。

 あの電話のあった翌日、朝一番に美鈴のアパートに行ってみたが、案の定と言うか何と言うか、やはり美鈴はいなかった。

 大家さんに鍵を開けてもらったのだが、家具等はそのまま残っており、テレビもつけっぱなしで、挙げ句には携帯電話も開いたまま無造作に絨毯の上に落ちていた。恐らく、私と電話したのを最後にここに置いた (落とした?) のだろう。

 大家さんに挨拶も無かったようで、本当に切羽詰まっていた事が伺える。

 そして不思議な事に、部屋の鍵は美鈴の持っている物が一つと、あとは大家さんの持っている物だけらしいのだが、ドアが施錠してあったにも関わらず美鈴の鍵が部屋の中にあったのだ。いわゆる、密室だ。

 ……一体何があったのか。

 大家さんは、「何か事件にでも巻き込まれたのかしら?」と警察に捜索願いを出してくれたのだが、何故か美鈴の身元確認が取れず、「山下美鈴」という彼女の名前での届け出は受理されなかった。

 なんとか大家さんが食い下がり、正式ではないが、警察は捜索の協力を約束してくれた。


 さて、お盆に入ったこの日は、家族でおばあちゃんちへ行くことになっている。お父さんも単身赴任で県外へ行っていたのだが、昨晩遅くに帰ってきた。

 私といえば、いつもの携帯目覚ましで起こされ、実に重々しいまぶたと格闘中だった。体は起こしているのだが、何ともここから行動する気になれない。下の階からは、お母さんの「早く起きなさーい!」という声が何度も響き、隣の部屋からはゴトゴトと何かが動く音が聞こえる。由美が着替えでもしているのだろう。相変わらず朝に強いやつだ。

 まぶたを擦りながらパジャマのまま部屋を出ると、同時に由美も部屋から出てきた。……バッチリ着替えた姿で。

「早くしないとお母さんに怒られるよ」

 まったくもってまったくなやつだ。自分だけ支度万端で、「おはよう」の前に言うことがそれか。

 まあ、支度の出来てない私がいけないのだが……。

 でもでも、もし私が逆の立場だったら、もっと気の利いた言葉をかけてあげられるはず。

 私は私なりにプラスに考えてみた。逆の立場で、由美がパジャマの寝癖ぼさぼさの髪で部屋から出てきた瞬間に、かけてあげられる言葉を。

 ……。

 …………。

 だ、駄目だ、そんなだらしのない格好の由美を想像することが出来ない。

「こら! あんたまだそんな格好で! 早く着替えなさい!」

 お母さんは二階へ上がって来るなり私を怒鳴り付けると、「もうお父さんも支度出来てるんだから急ぎなさい!」と早口で捲し立てて階段を降りていった。

「……」

 由美は、「だから言わんこっちゃない」と言いたげな顔で私をじっと見つめていた。

「何よその顔……うるさいわね」

「え? 私何も言ってないじゃん」

「顔がうるさいのよ、顔が」

「……」

 私がそう言うと、由美は何も言わずに一階へと降りて行った。

 私も下へ降りると、まさかの順平までもが着替えを済ませていた。そして謎のテンションで私を迎えた。

「これはこれは、サミニール貴婦人。ご機嫌麗しゅう」

「沙美、ニール? 何言ってんのよあんた」

「昨日やってた映画観てからずっとそんな調子なのよ、その馬鹿」

 お母さんは、荷物をたくさん入れたバッグを玄関に並べながら言った。

 順平は私の右手を、どこぞのイギリス紳士の様に持ったまま、お母さんに向かって「奥方よ、案ずるな。既に月は満ち欠けを忘れておる! フハハハ!」と、訳のわからないセリフを吐いた。 ……一体何の映画を観たのだろう。それが一番気になる。

「うるさいわね。順平もそんなふざけてる時間があるなら、準備手伝いなさい。お父さんに言いつけちゃうわよ」

 お母さんがため息まじりに言うと、調度その時、お父さんがリビングへ入ってきて、こちらも謎のテンションで私のもう片方の手を取った。

「おお、神よ! あなたは何と罪深き方なのだ! この様な美しき姫君を同じ時代に二人も産み落としてしまうとは! 海も満ち引きを忘れてしまうであろう!」

「……」

「……」

 一体……何の映画を観たのだろう。


------------


 お父さんの車に荷物を積み込むと、皆も乗り込んだ。物凄い熱気の立ち込めた車内だったが、走り出すと心地よい風が窓から入り込み、すぐに車内は快適な空間となった。

 順平のテンションも映画マックスのまま持ち込まれたせいで、映画の一人再現が助手席にて上演された。由美は何も言いこそはしないものの、小説を広げたまま、ジーっと順平の一人劇を只々見つめていた。

 それにしても、こうして流れ行く町並みを窓から眺めていると、なんとも憂鬱な気持ちになる。

 いや、まあ、風も気持ち良く申し分はないのだ。もし風の精霊であるシルフ (だっけか?) が実在するとすれば、感謝の意を込めて一筆したためたいくらいだ。しかしながら、あの人は何の仕事をしているのだろう。だとか、あの人は大学生なのかな。だとか。色々な人を眺めてはそんなことばかり考えてしまう。

 と言うのも、現在学校では、担任からの「進路」についての尋問が半端ないのだ。私はまだ高校二年生と言うこともあり、進路よりも大切にしたい友情やら青春やらで頭が一杯なのである。

 が、教師の立場からすると、そんなことも言ってられない時期なのだろう。高校二年生というものは。

 大人は長く生きてる癖に、何だって子供を焦らせる。


 高校受験までもう時間が無いぞ。

 今勉強しとかないと大人になって苦労するぞ。

 大学は行くのか?

 やりたいことは無いのか?


 私はまっぴら御免なのだ。大声で「将来も大事かもだけど、今を大好きな毎日で過ごしたいの!」と叫びたいのだ。どうして今現在嫌々ながらに生きて、素敵な大人になり得るだろうか。私は中学二年生の頃からちょこちょこ始まった進路指導の授業を受けて以来、そう思うようになっていた。

 今の高校も、実のところ無理をして入った。中学生の頃は決して頭が良い方ではなく、学年でも中の下辺りをうろちょろしている程度の学力だったのだが、猛勉強の末に県下でも五本の指 (とは言っても五本目くらいだけど) には入るであろう高校に入学できた。

 理由は簡単。遠い高校には通いたくなかったからだ。電車通学は、朝から電車の時間に束縛されるのが嫌だったし、自転車で通うにしても、雨が降るとなると雨ガッパを余儀なくされる。可愛い柄の入ったレインコートならまだしも、クリーム色というか薄汚れた白と言うべきか、デザイナーを正座させて小一時間説教したくなるような雨ガッパをだ。


 と、言うのは笑い話で済ませる為の友人への建前。本音は、悔しかったのだ。大人たちが急かして勉強させてくるのが。そんなに勉強しろと毎日言われ、もし志望校に入れなかったら「だから言っただろ」と言われるのは目に見えていた。

 でももう、私が頑張れるのはここまで。もう無理なんです先生。宇宙の歴史である一三八億年の中からすると、本当にこれっぽっちの一瞬にも満たないような、そんな人生なのに、どうして人はこんなにも悲しみや苦しみを背負わなければならないのか……。

 ……。

 ……あーだめだめ! 私、病んでるわ。

 そんな事を考えていると、何かが頭をコツン、と小突いた。

「お姉ちゃん、もうすぐ着くよ」

 小突いた犯人は由美の小説だった。お婆ちゃんちは近い為、少し考え事をしているとその間に着いてしまう。自転車で位置一五分と言ったところだろう。

「あ、うん。やっぱ近いね」

「歩いて行けなくはない距離だしね」

 結局順平の一人再現は、車が止まり、お母さんに「もううるさい!」と怒鳴られるまで続いた。

 車から降りると同時に、お婆ちゃんが迎えてくれた。

「いらっしゃいねー。暑かったでしょう? クーラーつけておいたから早く部屋に入りなさい」

「ただいまー。っても先週顔出したばっかだけど」

 お母さんは車から荷物を降ろしながらにそう言うと、そのまま両手一杯に荷物を持って「どいたどいたー!」とお婆ちゃんちへ入って行った。

 お婆ちゃんちは周りの新築住宅に囲まれた、築八十年にもなる瓦屋根の住宅だ。いや、住宅と言うには違和感がある。家屋、と言うべきか。所々修復の跡はあるものの、昔ながらの雰囲気をかもし出すソレは未だ健在と言った感じだ。

 私が小さい頃は、周りは家などほとんど建っておらず、裏手にまわると、足首までがすっぽりと隠れる程に伸びた雑草の庭が広がっていた。

 周りの開拓、住宅化が進むと同時に、広い裏庭も県に買い取られたようで、ずっしりと腰を据えていた昔ながらの家も、今では綺麗に塀の中にすっぽりと収まってしまっている。

 県の職員が来た際は、あの頑固者のおじいちゃんが、意外にあっさりと庭を明け渡した事をお婆ちゃんに聞いた事がある。そこにどういう意図があったのかは謎だ。

 千鳥に打たれた飛び石を、上手い具合折り合いのいかない歩幅に苦労させられながら渡ると、玄関に着いた。玄関は引き戸で、大きな敷居がある。小さい頃は敷居をまたげずに踏んだ事があるのだが、その時「敷居には神様がおるんよ」と、おじいちゃんに怒られた記憶がある。

 敷居をまたぐと、そこは土間になっており、そこに釜戸が並んでいる。ガス台もあるのだが、お婆ちゃんは専ら釜戸ばかりで炊事は済ませているらしい。

 土間で靴を脱ぎ、居間に上がる。クーラーを効かせてくれたお陰で凄く涼しくなっていた。

「あ、おじいちゃん! 来たよー」

 居間ではおじいちゃんが横になって、ゲートボールの本を読んでいた。私が声を掛けると、「おー、いらっしゃい。早かったねえ」と体を起こしながら優しく声を掛けてくれた。そしてしわくちゃな顔を更にしわくちゃにさせてニコッと笑うと、座布団を何枚かまとめて持って来てくれた。

 続く由美と順平、それからお父さん。

「やっほー、おじいちゃん」

「おす! じいちゃん元気してたか!」

「こんにちはお父さん。近いのになかなか顔出せなくてすいません」

 それぞれに挨拶を済ませると、各々好きな場所に座った。

 お母さんは何処かと目で捜すと、土間のもう一個奥の小さな土間で、お婆ちゃんにビニール袋の中を何やら見せられていた。きっと竹の子か何かを分けてもらっているのだろう。

 昔は裏庭からそのまま裏山へと繋がっていて、その山で竹の子が取れていたのだが、今はそこも住宅で埋め尽くされている。

 私は、おじいちゃんの出してくれた座布団には座らず、仏間へと向かい、ひいおじいちゃんの仏壇にお線香をあげ、手を合わせた。

 立ち上がって戻ろうとした時、お婆ちゃんがいつも使っている三面鏡が目に入った。何気なく広げてみると、左側の一枚が割れていた。

「おばあちゃーん、この鏡割れてるよー!」

「はいはい? 何だって?」

「この鏡、割れてるよ?」

「ああ、この鏡ね。桜子……ああ、お母さんの妹がねえ、昔お友達連れて来たんだけど、その時に割れちゃったんだよ」

「……へー。そうなんだ」

 鏡割っちゃうなんて、きっと小学生の頃にでもはしゃぎすぎたのだろう。実のところ、私も小学生の頃に、ヨーヨーで家の鏡を割ってしまった張本人でもある。この三面鏡を割ってしまった子の気持ちは痛いほどに分かる。きっと桜子おばさんも、鏡を割ってしまった時は、おばあちゃんに怒られるのを恐れたのだろう。

 ……桜子おばさん。きっと、この人が亡くなったとか言うお母さんの妹。おばあちゃんが名前を濁したのもそのせいかもしれない。

 と、三面鏡のお化粧道具を入れる、小さい引き出しの側面に目がいった。そこには、小さい文字で何やら書いて (と言うより“彫って”と言うべきか?) あるようだ。古くなっていて読みづらい。


 ……子ハ……マモ……ウス……事……好キ。


 おお! これはもしかして、桜子おばさんが誰かの事を好きだ、と書いてあるのか? 今も昔も、好きな人が出来たらやる事は一緒なんだな。……ふふ、何だか、ニヤついてしまう。

 こう言うの小学生の頃に流行ったっけ? 好きな人の苗字と自分の名前をくっつけて書いてみたり、消ゴムに相手の名前を書いてみたり。

 ……まあ、今考えると、どちらもおまじないと言うにはあまりに無根拠で無力過ぎる所はあるが、この“化粧箱に彫る”という辺りが昔の人っぽい。よくは分からないが、きっとこういうのを「粋」と言うのだろう。

 そしてその粋なおまじないには続きがあった。こちらは消そうとしたのか、削った痕がある。


 ……ル……子…………因ハ……コシ……?


 何の事やらサッパリだ。文字の汚れや損傷状態がかなり酷いため、読めた部分ですら合っているかは分からない。こちらは、おまじないというより、どこかメッセージめいたものを感じる。桜子おばさんが誰かに宛てたものだろうか?


「こらー、沙美ー。朝ごはん食べるよー」

「はーい」

 朝ごはんの支度が出来たようだ。



第2話-2-へ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る