第1話―2―
自転車を漕ぐこと一時間弱。私が寝坊したせいでバスには乗れなかったので、死ぬ気で自転車を漕いだ。いや、死んだ。
最寄りと言うには少々離れてはいるが、まあ、最寄のショッピングモールに着いた。
「あっつーい!」
美鈴は自転車を降りるなり、「あんたのせいで、いらない汗かいたじゃないの」と店内へ入っていった。
美鈴はここへ来るまで、バスに乗れなかった事への文句が止まらなかった。謝ったら謝ったで「謝れば遅刻してもいいの?」だとか、聞き流したら流したで「聞いてるの!?」だとか。私はもうなす術がなかった。
店内はクーラーがガンガン効いており、ここまで来るのにかいた汗も相まって、寒気のするほどに空気が冷やされていた。
美鈴に「風邪ひいたらあんたのせいだからね」と言われた事は言うまでもない。
さて、今日ここへ来た目的は、先週の日曜日にここで見かけたネックレスを買うためだ。美鈴にはそのネックレスの為に付き合ってもらっているので、今回バスに乗れなかった件については非常に反省している。もちろん風邪をひいたら病院代は私が代償しよう。看病付きで。
今回来たデパートは、私が小学低学年の頃に出来たもので、他にここより大きなデパートはいくつもあるのだが、何せそのネックレスを売っているアクセサリー屋がここにしか無いのだ。
一路三階のアクセサリー屋を目指す。
アクセサリー屋へ着くと、ネックレスが並べてあった棚へと直行した。
が、ネックレスは無かった。
「……」
「あ、沙美。ここにあったの? よね?」
「はい。ここにありました」
何とも、寝坊してバスに乗れなかった事に始まり、汗をかいて今現在寒気に襲われている美鈴へとてつもなく申し訳なさを感じる。
せめてネックレスがあれば、これまでの苦労も (と言っても私の寝坊が無ければ苦労はしなかったのだが) 報われていたのだろう。
いつまでもアクセサリー屋にいても仕方がないので、諦めてケーキ屋でタピオカを飲んでいると、そこにクラスメイトの野元祐次が現れた。
「よお。お二人さん何してんの?」
正直この男は苦手だ。いや、嫌いだ。何を考えてるのか全く解らないから。
見た目からして、俗に言う「チャラ男」の様な出で立ちで、いかにも遊んでそうな言葉遣いも、はなはだこちらが恥ずかしくなる。
髪は金髪で、膝が破けたジーンズをお尻まで下げて履いており、しかもジャラジャラと謎のチェーン……ウォレットチェーンだっけか? を三つも四つもつけて、ポケットに手を突っ込んで肩で風を切りながら歩く。……可愛そうに。格好いいと思っているのだろう。
「何よ? こっちはあんたなんかに用事無いの。さっさとどっか行っ--」
--!
可愛そうな彼を追い払おうとしたその瞬間、彼が首から下げているネックレスが目に入った。
「ちょっと! そのネックレスどうしたのよ!」
そう、彼がしていたネックレスは、正に私の求めていたネックレスだったのだ。
「ああ!? 買ったに決まってるだろ」
「いつ!?」
「うるせーな。さっきだよ。ついさっき」
--ついさっき。
この言葉が胸へと突き刺さり、同時に、今朝携帯の電源が落ちていた所から、美鈴に怒られてバスに乗り損ねて汗をかきながら自転車を漕いだシーンが、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
そして気が付くと、私は祐次の胸ぐらに掴みかかっていた。
「ちょっと! それ私が先なんですけど!」
「何言い出すんだこいつは! おい、美鈴! 何とか言ってくれよ」
「うーん、そうね。沙美、もう諦めな。こういうのは早い者勝ちだし、何より、こんな男の目に止まる様なネックレスなのよ。大したネックレスじゃないんじゃない?」
美鈴のその言葉を聞いて、祐次の胸ぐらを掴んでいた両手から力がみるみる抜けていくのを感じた。
確かに、何が悲しくてこんなやつと趣味嗜好が同じじゃなきゃいけないのか。と言うことは何か? 私のセンスは、このチェーン野郎と同等と言うことなのか? いいえ違うわ。断じて。
「じゃあ、その変なだっさいネックレスはあんたにくれてやるわ」
「ださいって、今の今まで欲しがってたネックレスだろ」
「うるさいわね! あんたが着けたからダサくなったのよ!」
「なんだと!」
「なによ! 大体あんたはね--」
そのまま私と祐次の口喧嘩は美鈴に止められるまで続き、結局何も買わずにデパートを後にした。
残ったのは、虚しさと、この後の長い帰り道のみ。
帰りは、美鈴に申し訳ないという感情は全く消えており、先ほどの祐次への怒りだけがふつふつとみぞおち辺りで煮えたぎっていた。そしてそのよく煮えた怒りは美鈴の耳へと食され、吟味された後に彼女の口から「はいはい」と乾いた感想が返ってくるばかりだった。
どこか近くで鳴っている救急車だか消防車だかのサイレンも、街並みのオレンジ色に相まって虚しく響いて聞こえる。
日が沈み始める頃、落ち合ったうどん屋へ差し掛かり、美鈴は「じゃあ、機嫌直しなさいよね。また明日!」と私の肩を軽く叩くと、自転車にまたがり颯爽と去って行った。私は一人寂しく家への坂道をゆっくり登った。
今日まで不毛な夏休みを過ごしてきたわけだが、今日は本当に、今までで一番無駄な一日を過ごしたような気がする。家を出た時は、今日は忘れられないくらいに良い一日になると感じたのに 、抜ける様な陽気に騙されてしまったようだ。
家が見えてくる辺りで、また砥用さんに会うのでは? と少し心配になったが、その心配は無かった。
彼女はあの時一体何をしていたのか、実はずっと気になっていた。美鈴の言っていた石と、砥用さんの言っていた石、偶然にしてはこの短い時間帯で“特定の石”の話を聞き過ぎている。私の勝手な推測だが、二人の言っていた石は、恐らく同じ石の事を指していたのだろう。
だが、美鈴と砥用さんに接点が有るなど到底思えないし、美鈴だってこちらに来て間もないのだ。もしうちのお向かいさんである砥用さんと知り合うような事があれば、何かしら報告してくれるはずだ。
どちらにしても、今は何を考えた所で石の事なんて解りやしないので、家に着くとそそくさと玄関を開けた。
「ただいまー」
部屋へ入ると、由美は相変わらず小説を読んでおり、それに加えて一番下の弟の順平もいた。
「お、姉ちゃんお帰りー。夏休みの最中に遊びに行って、こんな早い時間にお帰りとはお互い暇人ですなぁ」
「あんたなんかと一緒にしないで。てかもう7時前じゃん。全然早くないし」
「何言ってんだよ! 女子高生の夏休みなんだぜ姉ちゃん。10時くらいまで彼氏といて、門限破って帰ってきて親に怒られて、それを結婚式の時に「あんな悪いこともしたけど……」って感動呼ぶもんだろ女子高生ってのは! 由美なんか今日も一日どこにも行かなかったんだぜこいつ。感動作ろうぜ!」
順平が珍しく、熱血的に後ろ親指で由美を指しながら言うと、由美はそれに反発した。
「せっかくの夏休みなんだから好きなように過ごさせてよ。この小説面白いんだから。てかあんただってどこにも行ってないじゃない」
「だって外暑いんだもん。由美はまず男作らなきゃな」
順平がそう言うと、由美はパタンと本を閉じ、何も言わずに二階へ上がって行った。順平も「ありゃ、怒らしちゃったかな」と頭をボリボリかきむしりながら自分の部屋に入って行った。
私も部屋に戻る事にした。
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「ご飯よー!」
時計の針が七時を回る頃、お母さんの声が家中に響いた。一階へ降りると、既に順平と由美は椅子に座っており、二人に「遅い! 遅い!」とどやされてしまった。
晩ご飯は順平の大好物のハンバーグだ。リビングに入るなりハンバーグの良い薫りに包まれた。
順平は私が席に着くのも待たずに手を合わせており、由美はこの期に及んで尚も小説を読み続けている。そして順平は、私が席に着くなり「いっただっきまーす!」とフライング気味にハンバーグに手をつけた。
ハンバーグの上には半熟の目玉焼きが乗せてあり、それを割ってハンバーグに絡めると一層美味しい。
と、ふとハンバーグを割ろうとした時、髪の毛が一本、目玉焼きの上に落ちているのが目に入った。
「うわ、きたなーい。髪の毛落ちてた」
私がそう言って髪の毛をどかすと、順平が間髪入れずつっこんできた。
「俺さ、それ前から思ってたんだけど、今姉ちゃんの頭についてる髪の毛は、綺麗? それとも汚い?」
「何よ。私の髪の毛は綺麗って評判ですけど」
「だろ? なのに、それが一本抜け落ちてると『汚い』になる。何故だ?」
「……」
「……」
「……」
私を始め、由美に加えてお母さんまでも言葉を失っている。
まあ確かに、言ってることは分からないでもない。だが、それは考え方が逸脱しているというか、もう哲学者並の先生でしかその答えを見出だすことは到底叶わないだろう。
「あんたの髪の毛は頭についてる時点で汚いけどね」
「……」
由美先生が一蹴して下さった。
先に食事を終わらせたお母さんが食器を片付けていると、由美が“あの事”を聞いた。
「ねえお母さん、お母さんって妹かお姉ちゃんかいたの?」
「え? どうしたのよ急に」
「卒業アルバムに『二人の事は忘れない』って書いてあって、お母さんの小さい頃の写真に、一緒に写ってる女の子がいたから、もしかしてと思って」
「なるほどね。そう言えば沙美も昨日聞いてきたわね。うん、いたよ。妹がね。昔交通事故で死んじゃったのよ」
「交通事故……そっか」
「……」
由美が感じ取れているかは分からないが……今すっごい空気重い! この大先生、的を得た回答は出来るが、残念ながら空気を読む勉強は怠ってきたようだ。
と言うか、「沙美も昨日聞いてきた」って、私聞いたかな? そんなこと。てか何を聞いたんだろ?
その空気の重い中、お母さんはこう続けた。
「それから、友達も交通事故で亡くしてるからあの一言コメントだったってわけ。あんたらも気を付けなさいよ。事故なんてこっちが気を付けてても防げないことだってあるんだから」
お母さんがそう言うと、順平が寝転んでいたソファから顔だけこちらに見せて「気を付けてても事故に遭うなら、気を付けるだけ損だな、アハハハ!」と豪快に笑うと、またテレビに顔を戻し、そちらでまたアハハハと豪快に笑った。
私はお母さんと由美に「こいつ、駄目だ」と言うような表情を無言でして見せると、二人は察したのか、呆れ顔でコクリと頷いた。
「てかさてかさ、昨日私がお母さんに聞いたって、それ何時頃だったっけ?」
「え? えーと確か、私が寝る前だったから、十一時半くらいだったと思うけど」
「あ、そっか、ありがと」
十一時半って、私昨日十時半には寝てたんですけど……。
「そしてそれ聞いた後、沙美急いでどっか出かけちゃったでしょ。どこに行ったのよ、あんな遅くに」
「え、出掛けた? ……あ、ああ! ちょっとコンビニに」
咄嗟に答えたが、もう全くその時の記憶が無い。もしかして夢遊病なのか? 小さい子にはよく見る病気と聞くが、私のような高校生にも症状が出るものなのだろうか? 美鈴の家のドアを叩いた件といい、お母さんに亡くなった妹の何かを聞いた件といい、これは何か重い病気の前触れなのかもしれない。
ちょっと、怖いなあ。
「……ご馳走様」
不意に隣から、由美の声がボソリと聞こえた。そちらを見ると、まだハンバーグが半分ほど残っている。
「ちょっと、あんたそれ食べないの? 食べないなら私にちょうだいよ」
「……別にいいけど、でもお姉ちゃんこれ食べたら、死ぬよ」
ーー!?
急に何を言い出すのかと思えば、恐ろしいやつだ。私がハンバーグを食べたら、その腹いせに私を殺すという事か?
「あのさ……このハンバーグを食べて、私が死ぬメカニズムが分からないんだけど」
「……餓死」
「は、はぁ!? ハンバーグ食べて餓死するって、どう言う状況よそれ」
「すぐに分かるよ。このハンバーグ、ちゃんとあげるから。その為に、今は我慢だよ」
「……何言ってんのよ」
……とうとう由美の頭もおかしくなってしまったらしい。順平に次いで、唯一まともだった私の可愛い妹が。順平の度重なるバカ発言に、脳を侵食されてしまったようだ。
由美はそれだけ言うと、ハンバーグをタッパーへ移し、その脇にご飯も新たによそい、二階へと消えて行った。
「ねえ、お母さーん、由美って、今日頭とか打たなかった?」
「え、さあ? 分かんないけど」
「ふーん、そっか」
うん、良かった、ただ単に頭がおかしくなってしまっただけのようだ。
そう一人で考えていると、順平がソファから「わぉ!」と叫んだ。
「何よ騒々しいわね」
「ニュースニュース! バスが凄いことになってるぞ」
そのニュースを観て驚いた。今日のお昼頃、まさに私達が乗る予定だったバスが事故に遭っていたのだ。
ブレーキが効かなくなり、遮断機の降りている踏み切りに侵入したようだ。映像は上空からバスと電車を映しているのだが、バスは物の見事に「くの字」に折れており、電車の方も前面が潰れてしまっている。
バスには乗客はおらず、電車の方も数人しか乗っていなかったようで、骨折者等の重傷者は出たものの、奇跡的にどちらも死亡者は出なかったようだ。
と、ふと電源の切れていた携帯が頭によぎった。もし私が寝坊していなかったら……もしこのバスに乗っていたら……。そう考えるだけで寒気がする。携帯の電源が切れていたのは奇跡的と言えよう。
部屋に戻り、早速美鈴にその事を電話しようと携帯を持つと、それと同時に着信が来た。美鈴からだ。電話に出ると、美鈴は凄く焦った感じで喋り始めた。
「ちょっと! あんたあの石どっかに持って行っちゃったでしょ! 私急遽引っ越す事になったから、もう会えないんだ」
「え? ちょっと美鈴! どこに引っ越すのよ!」
「ごめん、本当時間ないから質問なしで! 今までありがとね! じゃあね!」
「あ、ちょっと! 美鈴!? ……切れちゃった」
一体何だったのだろう……。急遽引っ越すって、もう明日から会えないと言うことなのか? そして「あの石どっか持って行っちゃったでしょ?」って、昨日私が借りたとされるあの石の事か? 何もかもが分からない。そして私はそのままベッドへ倒れこんだ。
「っんもう、急すぎるよ……」
次の日から、美鈴とは一切の連絡がつかなくなってしまった。
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