第1話―1―


七月三一日


 休みの日の朝は、いつだって早めに目が覚める。六時だとか七時だとか、起きなくても良い時間に。

 もっと寝ていたいのに、何故だかスッと夢から覚め、頭も完全に冴えてしまって二度寝すら出来ないのである。一度は、新聞が届くのと同時に目が覚めた事だってある。

 そして最悪な時は、あまりに早く目が覚めているものだから、十時くらいになるとまた眠気が襲い、それにまどろんでしまうと、次に起きるのは夕方となってしまう。平日は八時に起きたって眠いのに……。これが逆になりますように、なんて下らない願い事も、来年の短冊には書かなくていいようにしておきたいものだ。

 きっと神様がイタズラに笑いながら、私に眠くなる魔法をかけているに違いない。

 で、そんな私に夏休みという地獄の連休が、今現在、毎日の様に猛威を振るっている。せっかくの夏休み、夜更かしもしたいが、前日は早目に寝ておかないと、翌日は魔の睡眠ループで一日が潰れてしまうのだ。……とか言いつつ、昨日までの一週間、皆勤賞でループの奴隷と化していた事は秘密だ。

 そんな昨晩は、今日こそは二度寝をしないようにと早目に床に就いた。が、背中の痛みが寝過ぎた感を彷彿とさせる。早目に寝ると二度寝をしない代わり、身体(からだ)を副作用に侵されてしまうらしい。

 錆び付いた体を、古臭い公園の遊具の様にギシギシと鳴らしながら起こす。時間を確認しようと枕元の携帯を開くと、電源が落ちていた。

 ハッとして置き時計を見ると、美鈴との約束の時間、午前十一時半を既に十分程回っている。……ヤバイ。

 約束している日に限って何で遅く目が覚めるんですかー! 声を大にして、魔法をかけた神様に訴えたいところではあったが、そんな事よりも美鈴の怒りの表情が浮かんだ。

 瞬間的に“言い訳を考える”か、“何か仕方のない理由を考えてキャンセルするか”の二択が過ったが、どちらも数日前に使ったばかりだという事も同時に思い出した。

 こういう時、自分的には何かしら回避するのは上手い方だと思っている。それが何の役に立つのかと問われれば、皆目答える事なんて出来ないし、答えたところで呆れられるのが落ちだ。

 だが、窮地を脱する言い訳というのは、私にとってケーキの様な存在なのだ。使うと後で痛い目を見るが、無ければ困る。食べると太るが、無ければストレスで押し潰されてしまう。

 ……ちきしょう、ウマい例えが出てこない。

 ……座布団は取り上げられてしまいそうだが、とにかくそんなところ。

 急いでリビングへ降りると、妹の由美がいた。

「ちょ、ちょっと、何で起こしてくれなかったのよ!」

 ソファーに座った彼女は嫌味なほどに落ち着いており、テレビをつけたままお気に入りの小説を読んでいる。二階からバタバタと降りてきた私を横目でチラ見すると、また小説に目を戻して口を開いた。

「何でって、別に頼まれてなかったし。お姉ちゃんいつも一人で起きてくるじゃん。いつもの携帯目覚ましは?」

「電源落ちてた。で、不思議なのが、電源そっからつけたんだけど、電池残量八〇%だったの」

「……壊れてんじゃない?」

 由美は冷たく即答した。妹のくせに可愛げのないやつだ。

 小さい頃は一緒にままごとをやったり近所の公園に遊びに行ったりしていたが、最近は家での会話すら少なくなっている始末。

 会話が疎遠になっている夫婦をネタにしたニュースが、今しがたテレビでやっているのを、「これうちらの事だね」と指摘したかったが、しらけた反応しか返って来ない事が予想されたので、黙っておくことにした。

 いや、まあその事を気にしているのは、もしかしたら私だけであって、由美は全く気にもかけていないのかもしれない。

 これが美鈴だったらきっと笑ってくれるのだろうと、心の中で「私が美鈴にこの話題を振って、それを美鈴が笑いながらバカにして――」というような一連の流れを想像すると、それだけで可笑しくなって笑いそうになった。

 由美はその冷たい言葉を最後にソファーから立ち上がると、今度は本棚から白い卒業アルバムを引っ張り出してきた。

 昔見せてもらったことのある、お母さんの高校の卒業アルバムだ。そしてまたソファーに静かに座ると、アルバムを広げ“ある”ページを開いた。

「お姉ちゃん、これ」

「ん? 何?」

 由美が見せてきたページは、クラスごとに顔写真と一言コメントが載っているページ。お母さんは旧姓の「田中冬美」で載っている。気になる一言コメントは――

「二人の事は忘れない。ありがとう。――だって」

 私が見ていたところを察してか否かは分からないが、ちょうど読んでいたところを由美が声に出してみせた。

「どういう意味だろうね、これ。……お姉ちゃん、何か知ってるんじゃない?」

 由美は、まるで私がその事を間違いなく知ってるかのような口振りで聞いてきた。

 突然アルバムを引っ張り出し、どのページにも目もくれず、このページを見せてくる辺り、私に“そういう確信”を持っていたのだろうか。

「え? どうして?」

「昨日お母さんにそれらしい事聞いてたじゃない。お母さんの昔の友達の誰かが死んじゃうとか死なないとか。……あれ? 何か違ったかな?」

「私が? そんな事聞いたかな?」

 ……全く身に覚えのない事に納得はいかなかったが、由美が単刀直入で聞いてきた理由は分かったので、そこには納得した。

 まあ元より、口で勝てる相手では無いので、そそくさとリビングを後にした。

 昔からそうだ。由美は絶対に怒らないが、冷静に痛いところをついてくる。

 ついこの前の、珍しく口答えをしない由美に 一方的に怒鳴っていたら、私がお母さんに怒鳴られてしまったのを除くと、今のところ勝率はゼロだ。

 あれは、私の勝ちだった……はず。

 それにしても、昨日私がお母さんに聞いてたって、何時頃だろう? 夜お母さんに聞いてみよう。

 急いで支度をして髪をポニーに纏めると、由美に行ってきますを言うためにリビングへ戻った。

 すると由美は、今度はお母さんの小さい頃のアルバムを眺めて「なるほどねー。だからあのコメントか」と一人でぶつぶつと呟いていた。

 一言コメントの真相も気になるが、今は美鈴のご機嫌の方が気になる。

 絶対怒っている。

 いや、「絶対!」怒っている。

 玄関を出ると、巨大な虫眼鏡で、太陽の光を私に集中させているのではないかと思う程の眩しさと、だがそれでいて、八月とは思えない程の涼しい風に歓迎された。

 空も抜ける程に高く、何か良いことがありそうだ。

「行ってきまーす!」

 気分が良かったので大声でそう言うと、道向かいに住んでいる同級生の砥用美里(ともちみさと)が、丁度家から出てきた。

 同じクラスにはなったことが無い為、あまり喋ったことはない。

 小さい頃は近所ということもあり、本当に少しだけ遊んではいたのだが、彼女は幼稚園から中学生まで私立に通っていたせいで、殆ど面識の無いままできている。

 見た目はショートカットでスポーツの方が得意そうだけど、きっと私より、うんと頭が切れるのだろう。彼女といつも一緒にいる高江美波さんも頭が良いと評判だ。

 それなのに、私と同じ高校に通っている……。

 何か理由がありそうだが、それを聞く勇気は生憎持ち合わせてはいない。

 そんな彼女が突然喋りかけてきた。このような、ばったり鉢合わせ的なシチュエーションはよくあったのだが、声を掛けられたのは初めてだ。

「あ、那覇軒(なはのき)さん!」

「は、はい!」

 ……あまりの突然の出来事に、声が上擦ってしまった。

「あの、変なこと聞くようだけど、“石”って、持ってない?」

 何を言い出すのかと思えば、“石”を探しているようだ。

 あの、“石”を。

 誰しもが蹴飛ばしたことのある、あの“石”をだ。

 いやいや、どこにでもあるだろう。と、思ったが、同時に、まさかこの頭のキレる彼女に限ってそんなこと聞いてくるわけないか。と、急にどこか冷静になった。

「石? 何の?」

「あ、えと、何のっていうか、何か、特殊なやつ」

 彼女は、伝言ゲームを一人でやっているかの様な変なジェスチャーをしながら必死に説明をするが、一向に伝わらない。

 というより、普段は落ち着き払っている彼女が、こんな変なジェスチャーをするような人だったのかと、人間味を見られたような気がして嬉しかった。

「特殊なって言われても。特殊な石とかは持ってないけど、どうかしたの?」

「あ、持ってないならいいんだ。ありがと」

 彼女はそれだけ言うと、「しまった、もうちょっと前だったのかな……」と走って行ってしまった。

 ……一体、何だったのだろう。

 そんなことより急がなくては。美鈴が絶対怒ってるから。……あ、「絶対!」怒ってるから。

 うちは家を出ると、すぐ目の前は坂道になっている。坂道の両脇に住宅が長くつらなっている感じだ。

 空を仰ぐと、キャンバスに青い絵の具をこぼしたような青空が広がるわけだが、悲しいかな、そこに似つかわしくない電線が必ず視界に入る。

 そしてこの坂道を下りた所にうどん屋があり、そこで美鈴と待ち合わせをしている。自転車にまたがり一気に坂を下る。蝉がうるさい程に鳴いてはいるが、頬を撫でる風が心地よい為まったく気にならない。

 坂道を半分ほど下ると、緩やかな左カーブに差し掛かった。このカーブを曲がると、うどん屋までは一直線だ。

 遠くにうどん屋が見えてきた。その脇で腕組をした美鈴も。

 うどん屋に着くなり、私は「ごめーん!」と平謝りから入った。

「ちょっと何やってたのよ! あんた携帯も壊れてるから連絡もつかないし!」

 ……ほら、やっぱり怒ってた。

 美鈴は今年の四月から編入してきた子だ。ベリーショートと右目の泣きボクロが彼女の可愛さの武器と言える。ご両親の事情で、今はアパートを借りて一人で暮らしている。

 転入生はまず、前後左右の人と仲良くなるのがセオリーだと思うのだが、うちのクラスに入って早々、席は離れていたのに私に喋りかけてきた。その辺り、一風変わった子なのかもしれない。

 まあ、そんな彼女の気さくな性格のお陰で仲良くなれたのだが。

 私は美鈴の事が大好きだ。何故かは分からないが、この気さくなところや、天真爛漫なところに惹かれているのかもしれない。

「え? やっぱり壊れてるの? てか何で知ってるの?」

「あんた昨日自分で言ってたじゃない。しかもあんな夜中にドア叩きまくって」

「え? 私が?」

「そうよ。携帯壊れてたからドア叩いたって、そう言ってたじゃない。まあいいけど。あ、石は絶対に返してよ。あれお母さんに貰った大切な石なんだから」

「……え? 石?」

 ……。

 …………。

 ちょっと待ってー! さっきから“石”って何なのよー! 

「ちょっと、あんた石借りた事も忘れたなんて言い出すんじゃないでしょうね」

 やばい。これは「怒り」が「激怒」に変わる前兆だ。何とかしなければ。

「あ、ああ! あれね。う、うん。返す返す! すぐに返すから、もうちょっと待ってて。……アハハ」

「……あんたねえ」

 何とかその場をやり過ごす事に成功(?)し、その日目的としていた私のネックレスを買いにショッピングへ出発した。



第1話―2―へ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る