傅亮5  流汗沾背    

劉義符りゅうぎふが即位すると、

傅亮ふりょうは秘書長となった。


が、その翌年には劉義符を廃位。

弟の劉義隆りゅうぎりゅうを皇帝として迎えるため、

江陵に出向く。


すると、門にはこう書かれている。

大司馬だいしば門」。


宋書は、劉裕りゅうゆう〜劉義符即位期における

大司馬従事者の名を挙げていない。

いないのかも知れない。

とすると、この官位は誰を示すか。

安帝あんてい司馬徳宗しばとくそうの弟、司馬徳文しばとくぶん


すなわち、伝えくるメッセージは、

「劉義符らに続き、劉義隆も殺す気か?」

である。


多くの儀礼官や官僚を引き連れる傅亮、

ここで及び腰になるわけにはいかない。

彼らの前で、堂々と劉義隆即位の請願書を

読み上げた。


請願を受け、

建康に向かうことにした劉義隆。

出発に先立ち、傅亮と会見する。


その顔を見るなり、

激しく慟哭する劉義隆。

周囲もまた、それに倣う。


慟哭を止めぬまま、傅亮に問う。

劉義真は、そして劉義符は、

どのように廃し、殺されたのか。


だが、質問を投げかけた側から再び慟哭。

誰もが俯き、劉義隆を見れない。


傅亮の背中を、汗が濡らす。

劉義隆よりの問に、答えられなかった。


この後、劉義隆は側に

到彥之とうげんし王華おうからを置き、

彼らとのみ言葉を交わした。


劉義隆が即位すると、

「皇帝即位の周旋を計った」功で、

散騎常侍、左光祿大夫、開府儀同三司を

加えられた。

位人身を極めた、と言っていい。

無論職務は、やはり詔勅の起草だ。


これに加えて、

さらに爵位も上げられることになった。

こちらについては、辞退した。




少帝即位,進為中書監,尚書令。景平二年,領護軍將軍。少帝廢,亮率行臺至江陵奉迎太祖。既至,立行門於江陵城南,題曰「大司馬門。」率行臺百僚詣門拜表,威儀禮容甚盛。太祖將下,引見亮,哭慟甚,哀動左右。既而問義真及少帝薨廢本末,悲號嗚咽,侍側者莫能仰視。亮流汗沾背,不能答。於是布腹心於到彥之、王華等,深自結納。太祖登阼,加散騎常侍、左光祿大夫、開府儀同三司,本官悉如故。司空府文武即為左光祿府。又進爵始興郡公,食邑四千戶,固讓進封。


少帝の即位せるに、進みて中書監、尚書令と為る。景平二年、護軍將軍を領す。少帝を廢し、亮は行臺を率い江陵に至りて太祖を奉迎す。既にして至り、江陵城の南の門に立行かば、題して曰く「大司馬門」と。行臺百僚を率い門に詣り表を拜せるに、威儀禮容は甚だ盛んなり。太祖の將に下らんとせるに、亮に引見し、哭慟せること甚しく、左右は哀動す。既にして義真、及び少帝の薨廢の本末を問わば、悲號嗚咽し、側に侍せる者に仰視能う莫し。亮は流汗沾背し、答う能わず。是に於いて腹心を到彥之、王華らに布き、深く自ら結納す。太祖の登阼せるに、散騎常侍、左光祿大夫、開府儀同三司を加え、本官は悉く故の如し。司空府の文武は即ち左光祿府と為る。又た始興郡公、食邑四千戶に進爵さるも、進封は固讓す。

(宋書43-16_紕漏)

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