傅亮4 発言力の源泉
その覇業をよく助けた、ということで
その後も詔勅については、
ほぼ
いわば、皇帝の
口代わりとなったわけである。
となれば、当然その権勢は大きい。
傅亮の詰める
多くの賓客が訪れるようになった。
そのため中書省近くの城門、
毎朝百台からなる車が連なったという。
劉裕の立身のはじめ、
その文筆を預かったのは
南燕征伐の頃には
傅亮が担当するようになった。
明くる年、
この頃劉裕が倒れた。
そして
今後のことを託されるのだった。
永初元年,遷太子詹事,中書令如故。以佐命功,封建城縣公,食邑二千戶。入直中書省,專典詔命。以亮任總國權,聽於省見客。神虎門外,每旦車常數百兩。高祖登庸之始,文筆皆是記室參軍滕演;北征廣固,悉委長史王誕;自此後至於受命,表策文誥,皆亮辭也。演字彥將,南陽西鄂人,官至黃門郎,秘書監。義熙八年卒。二年,亮轉尚書僕射,中書令、詹事如故。明年,高祖不豫,與徐羨之、謝晦並受顧命,給班劍二十人。
永初元年、太子詹事に遷り、中書令は故の如し。佐命の功を以て、建城縣公に封ぜらる、食邑は二千戶なり。入りて中書省に直し、詔命を典せるを専らとす。亮を以て國權を總ぜるを任じらば、省にて聽し客に見ゆ。神虎門が外にては、每旦、車は常に數百兩たり。高祖の登庸の始め、文筆は皆な是れ記室參軍の滕演なり。廣固に北征せるに、悉く長史の王誕に委ぬ。此れより後、受命に至るまで、表策文誥は皆な亮が辭なり。演は字を彥將、南陽は西鄂の人、官は黃門郎、秘書監に至る。義熙八年に卒す。二年、亮は尚書僕射に
轉じ、中書令、詹事は故の如し。明くる年、高祖の不豫なるに、徐羨之、謝晦の並び顧命を受け、班劍二十人を給さる。
(宋書43-15_寵礼)
王誕
地味な
滕演
本文に伝が無理やりねじ込まれてる人。上で書くと錯綜がアレなのでこっちで書く。字は
ともあれ、ここで前話を受ければ、滕演の文筆能力やべえなって劉裕がずっと思っていたところ、実はそれが全部傅亮の手によるものと明らかになりました、となるだろうか。適材適所の運用が出来てたとは言いたいところだが、状況からすると傅亮をいいように使ってただけだよなこれ。
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