劉裕29 横領糾弾    

朝廷では、卞承之べんしょうし褚粲ちょさん司馬秀しばしゅうといった

高官が官吏を操り、私腹を肥やしていた。


そのため王禎之おうていしというひとから

糾弾を受けたのだが、それに対する返答は

はなはだ逆恨みに満ちたものだった。


そうこうしている間にも、

卞承之は更にその腹を太らせている。


そこで劉裕りゅうゆう安帝あんてい復位までの

責任者として推戴した司馬遵しばじゅんに対し、

以下のような上申をしている。


「褚粲らは高位にあるのをいいことに、

 私腹を肥やしています。


 法に照らし、罰すべきである、という、

 ごくごく正しいお裁きに対してすら、

 逆恨みをし、かえって王禎之どのに

 報復人事すらしかねない勢い。


 こう言った者たちに然るべき罰を下し、

 宮中の風紀を清めるべきです」


こうして三人は揃って免職された。




光祿勳卞承之、左衞將軍褚粲、游擊將軍司馬秀役使官人,為御史中丞王禎之所糾察,謝牋言辭怨憤。承之造司宜藏。高祖與大將軍牋,白「粲等備位大臣,所懷必盡。執憲不允,自應據理陳訴,而橫興怨忿,歸咎有司。宜加裁當,以清風軌」。並免官。


光祿勳の卞承之、左衞將軍の褚粲、游擊將軍の司馬秀は官人を役使し、御史中丞の王禎之に糾察せらる所と為れば、牋にて謝せる言辭にて怨憤す。承之は司に造りて藏せるを宜しくす。高祖は大將軍に牋を與え、白く「粲は大臣の位を備うるも、懷きたる所必ずや盡し。憲を執りて允ぜざるに、自ら應に理に據し陳訴せるも、而して怨忿を橫に興し、咎は有司に歸す。宜しく裁きを加うるに當つるべし、以て風軌を清めん」。並べて官を免ぜらる。


(宋書1-28_黜免)




卞承之、褚粲、司馬秀

ともに東晋の高官もしくは顕族の姓であることから、既得権益に食いついていた人たち……と言いたいところではあるのだが、このうち卞承之は後々、桓氏最後の生き残り桓胤かんいん桓玄かんげんのいとこの子)を担ぎ乱を起こそうとして敗死している。よってこのエピソードも、ただの大臣の不正腐敗と見るには若干生臭みが漂う。


王禎之

王羲之おうぎしの孫、王徽之おうきしの息子。伝らしい伝は残っていないのだが、世説新語排調63に登場し、桓玄にバカにされている。この辺りから桓氏アンチの方向に傾いていた人間なのは間違いないように思われる。


司馬遵

東晋初代帝・元帝司馬睿しばえいの孫。父の司馬晞しばきは簡文帝(司馬晞にとっては弟にあたる)の即位に際し謀叛の意図ありと流刑に処されている。つまり傍流であり、かつ賤人の息子と言う、どうしても肩身の狭い人である。桓玄の簒奪に際して左遷させられそうになったのだが、そこを劉裕に拾われ「桓氏打倒の旗頭」として担ぎ上げられた。旗頭となるべき人徳があったかどうかを、宋書は一切伝えようとしない。

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