2.二匹の喧嘩

「喧嘩なら表でやんな!」


 クロエの怒声が食堂に鳴り響く。

 怒鳴られた当人二人は睨み合いながら食堂を出て行ったので、外で続きをやるのだろう。後ろをついて行く仲間らしい連中も含めて、なぜか全員が自信満々で、プロレスの興行かと勘違いしそうになる。


 村にはまだオーガの噂を聞いた探索者達が訪れていた。

 揃いも揃って「オーガが出たらしい」という噂だけを聞いて村に訪れ、とっくに倒されたことを聞いて憤慨する。それでも聞いた話だけでは納得出来ないのか、大抵の探索者はダンジョンやその周辺を探し回ることになる。

 探し回るだけであれば勝手にどうぞというばかりなのだが、普段からここのダンジョンで狩りをしている探索者達に案内しろと五月蠅く当たるため、いつもの連中は騒ぎが落ち着くまでと街に帰ってしまう始末だ。


 ズズっとお茶を飲む。

 アリッサもここ数日は案内がどうこう言われるのに嫌気がさして、昼間は雑貨屋の店番を盾に引き籠っている。そのせいでここ数日は運動不足だ。そろそろ運動をしないと体が鈍りそうで困る。

 隣ではいつも通りアメリアが食事をしている。アリッサ自身はとっくに食べ終わったが、アメリアの食事は遅い。今日は特に遅い気がする。嫌いなメニューなのかと少し心配になるが、食べたくないという素振りは見えない。ただ、食べるのに時間が掛かっているだけに見える。

 今日のメニューはイノシシのステーキとパンだ。

 イノシシの肉は多少臭みがあるが、アリッサにとっては気になるほどではない。ただ、少し固い。そのためアメリアのステーキだけは切り分け済みのサイコロステーキである。他の人は固いステーキを歯で食いちぎるか、自分のナイフを使って切り分けて食べる。金属製のカラトリーもないわけではないが、宿の食事ではそういう高級品を客に出すことはしない。特にここはダンジョン近くの探索者用の宿だ。全員が自前のナイフを持っている。主に解体用だが。


 外の喧騒が静まった頃、アメリアの食事も終わった。

 待つ間にアリッサとクロエの間で食事のメニューについての相談もされたものの、焼くか煮るしかない未開惑星の食事事情で、何か工夫が出来るものかはエリックに丸投げである。油で揚げるのも、炒め物も、エリックの火魔法を使った調理ならば出来なくはないが、薪で火を起こす普通の料理人にはハードルが高い。保護官としての立場から言えば、あまりやり過ぎてこの宿が目を付けられるのも良くはない。アリッサが起こしたオーガ騒動も、魔道具回収のための金策という理由があるからこそ仕方がないが、今の状況を見るとやり過ぎだった感は否めない。

 アメリアが食後のお茶を飲み終わるまで、食堂でゆっくりと休んでから席を立つ。

 宿の入口に差し掛かった所で、玄関の扉が開いた。

 開いた先に居たのは三人。一人はさっき食堂で言い合いをしていた男だが、別の男に肩を借りている。


(負けたほうか)


 外が静かになってから、アメリアがお茶を飲み終わるくらいの時間が経っている。

 勝った方はとっくに宿の部屋へ引き上げているのだろう。負けた方はやっと立ち上がれるようになって、宿に帰ってきたという所か。


「どけっ、邪魔だ!」


 仲間が喧嘩に負けて気が立っているのか、先頭を歩く男がアリッサを払い飛ばすかのように手を横に振る。

 勿論、アリッサにはそんな八つ当たりを受ける意味も理由もない。

 腕を軽く受け止めて、捻る。

 全力などは出さない。だから腕が骨ごと雑巾のようにくしゃりとなることはないが、軽く捻られた力は関節に掛かる。


「あいでっ」


 腕を捻られた方向に体を捩って痛みに耐える男。自業自得である。


「なんだよー、喧嘩か? 喧嘩するなら外じゃねーとクロエに怒られっぞ」


 気楽に言うアリッサに、後ろで肩を貸している男が慌てて謝り、捻ったままの腕を離してもらう。

 宿から出たアリッサの「こんな美少女相手に暴力とか、ないわー」という気楽な声が彼らにどう聞こえたのかは不明である。



 翌日。宿に泊まっていた二組の探索者の内、一組は街へと帰った。既に数日泊まってオーガ探しをしていたのだから、諦めがついたのだろう。

 もう一組は、まだオーガを探すのかと思いきや、昨日の喧嘩の痛みが引かないからと宿で休んでいるようだ。無事な一人が、朝食を持って部屋まで運んでいた。



「おい、このまま帰るのはもったいなくないか」

「確かに何日も無駄にしてるからなあ、ダンジョンで狩りでもしていくか?」

「でもあのダンジョンで出るのは小物ばかりだぞ、大して金にもならん」

「誰も小物を狩ろうなんて言っちゃいねえよ」

「じゃあどうするんだ? オーガは居ないってことだろ?」

「ここには兵士もいねえし、他の探索者だって街に帰っちまった。ここで一番強えのは俺達なんだぜ?」

「お前、まさか」

「雑貨屋には小娘二人。商品を根こそぎ奪ったって誰も咎める奴はいねえ」


 男はニヤリと下劣びた笑みを浮かべた。


 深夜、三人の男達は行動を起こす。

 昼間ずっと宿で休んでいた男達は、宿も雑貨屋も明かりが消えるまで待ってから動き出す。しょせんは小娘二人、起きている間に押し入っても変わらないと、夕食後すぐに行こうとした男を説き伏せての出発である。アリッサに腕を捻られた男が寝込みを襲うことを強く主張したのだ。


 宿の玄関には鍵は掛かっていない。宿代は先払いのため、出るのは自由なのだ。その変わり、食堂の入口や従業員のスペースに繋がる扉はしっかりと鍵が閉められている。

 男達は、場合によっては宿の二人も始末するつもりではいるが、まずは雑貨屋だ。宿にいるのは大人二人だが、雑貨屋にいるのは少女二人。そして雑貨屋のほうが金以外に商品も街まで持っていけば売り払って金にすることが出来る。

 まずは宿を出る。多少、廊下で足音が鳴ろうが、玄関の扉が音を立てようが気にはしない。

 雑貨屋は離れているし、宿に戻ってきたときに従業員が起きて居たら消すだけだ。


 月明りの照らす屋外、建物から出ると宿の中よりも随分明るい。直ぐ隣に建っている雑貨屋も月明りで明るく照らされている。月明りのおかげで玄関の扉もはっきりと見えはするが、当然のことながら扉は閉まっている。軽く引いてみたが鍵が掛かっているようだ。


「どうする? 壊すか?」

「いや、裏口があるはずだ。寝室もそっちが近いだろ」


 小声で相談をした後に店の裏に回る。店の裏側は月明りからは建物の影になってしまっていて、表よりも随分と暗い。

 暗闇に踏み込むのは少しだけ勇気がいる。それはダンジョンに踏み込むことの多い探索者も同様だ。いや、暗闇の中から魔物に襲い掛かられることの多い探索者のほうが、余計その怖さを知っている。

 ダンジョンの中ではないと分かってはいても、暗闇を前に慎重に歩を進める三人の男。


 影の中に佇むより暗いシルエットがあった。

 始めはそれを建物の一部だと思って数歩進んでから気づく。建物とシルエットの間には距離がある。恐る恐る見上げれば、そこには暗闇に光る一対の瞳。

 男達の視線よりも遥か上から見下ろす瞳。夜目の効く種族特有の、僅かな光を集める瞳。それは魔法の補助を受けて、明らかな光を放っていた。


「お、オーガ!?」


 その言葉を最後に、男達は意識を失った。

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