24. 片腕の警官

 どこだ、ここ。

 オフィス……か? ずいぶんと剣呑としたオフィスだ。

 いつの間に、ここに来たんだろう。


「俺」は……誰?


「……あの、なんか用すか」


 目の前に、隻腕の男が立っている。

 男は窓を開けてタバコの煙を逃がしつつ、こちらを見ていた。サングラスの奥から、アンバーの瞳が透けて見える。


 ああ、そうか「僕」は……。キース・サリンジャー。

 何度だって、繰り返せばいいんだ。繰り返せば、いつか証明できる。

 僕は間違ってない。僕は正しい。僕の「正義」に誤りなんて存在しない。


「アドルフ、お前にはわかってるはずだ」

「……はぁ?」

「お前なら償える」


 無機質な建物の中、うごめく幻影たち。記憶のみで形作られた、僕のための空間。

 僕は間違ってない。今度こそ、僕は正義を貫いてみせる。


「……その……なんか、変な予感がするっつうか……ここで駄弁ってもあれなんで、巡回に行きません?」

「なぜだ?」

「いや……ここにある『調書』がなんつうのか、不気味なんすよ……」


 調書? 何の話だ?

 アドルフが指さした先に、紙の束がある。もしかして、資料室から持ってきたのだろうか。


「ロジャー・ハリスとかロナルド・アンダーソン……って、知ってます? 俺ァとんと知らねぇ名前で……」


 は?


「カナダでの少年暴行事件に関しては、ニュースになった気もするんすけど……なんでカナダの事件がここにあんのかって話ですし」


 ロジャー・ハリスに、……ロナルド・アンダーソン?

 ……なんだ? どうしてこんなに、嫌な予感がするんだ? なんで、こんなに胸がザワつく?

 ああ、「君」か。……別に、良いだろ。僕がこうやっている限り、ボロボロになった君は守られる。

 これは、正義のために必要なことなんだ 。信じてくれないか。


「だから、ここの外に出て……」

「外に、だと? 僕がお前をここから出すと思うのか?」


 よく分からないが、こいつ……言い訳を連ねて逃げるつもりなのか。そうだ、そうに違いない。


「……すんません」

「いや、いい。一理はある。……僕が、調べに行ってくる」


 アドルフを逃がすわけには行かない。

 僕にできることなら、僕がやっておくに越したことはない。


 警察署を出る。


 突然、足元が絡め取られたように、「自分の身体」の感覚が消える。

 ……僕は……俺は、キース……じゃ、ない……。

 俺は……俺は……


 おれは、だれ、だったっけ……?




 ***


 


「ローランド、来てくれたのね」


 ローザ義姉さんの声が、聞こえる。


「……呼んだわよ」


 ローザ義姉さんは背後の方を振り返り、人影に声をかける。


「……そこなんだけど、さ……。僕らも頑張ったら干渉できそうな気がしない?」

「と、言うと?」

「憶測に過ぎないけど、この空間で力を持つのは意志とか執着とか……要するに何かしらの強い想念だと思うんだよね。……それが本当なら、僕ら芸術家にできることって案外多いのかも」


 傍らの声は、俺に気付いていないかのように会話をし続けていた。

 さっきまでの記憶すらもぼんやりとしていて、立っている実感すらも薄い。


「ちょっと、聞いているのかしらぁ?」


 怒気をはらんだ笑い声が、会話を中断させる。

 ぐるぐる、ぐるぐると視界が渦巻く。

 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。

 見えているのに、見えない。世界が上手く感じとれない。


「……! ローランド、どこに行くの?」


 何か、が、聞こえた気が、する。

 いつの間にか、外に……出た? の、かな……?

 身体が上手く動かせない。何か、俺じゃない意志に導かれるよう、歩みを進める。


 目の前に、びしょ濡れの少女の姿が見えた。


「……どうして……まだ、死ねないの……」


 ブツブツと何かぼやきながら、少女はふらふらと車道に向かって歩いていく。


「……! 危な……っ」


 ああ、俺……何してるんだろう。

 鈍い衝撃が身体を跳ね飛ばす。

 視界に空が映る。


「……なんだ!? いたのか!?」

「バックミラーに人影が……って、あれ……?」

「誰もいない……?」


 誰かの喧騒けんそうと、再び動きだしたエンジンの音が耳に届く。


「どうして……?」


 びしょ濡れの少女は、目を見開き、怖々と血まみれの手を伸ばした。


「私……こんなの……やだ……」


 少女は呆然と呟き、涙を流している。


「いいか!! とにかく身体を見るな!!」


 赤い髪が目に入る。

 ……と思えば、次の瞬間、視界は暗闇に包まれた。

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