23. ある亡者の追憶

 ここは、どこだろう。俺は、何をすべきだろう。

 暗い、それでも見覚えのある寝室。毛布に潜り込んだ「誰か」が目の前にいる。


「……大丈夫?」


 顔を覗き込むと、泣き腫らしたような目で「彼」は俺を見上げた。


「にいさん」


 涙声で、弟は俺を呼ぶ。

 そのまま、彼はふっと糸が切れたかのように眠りに落ちた。


 ソファに、喪服が脱ぎ捨てられている。


 うなされる横顔を、ただ見つめていた。


「ロブ……」


 思考にノイズが走る。

 そこから先は、よく覚えていない。どれだけの間、ロブの看病をしていたのかもわからない。


「そう言えば、覚えてる? ロッドのこと」


 どうしてその台詞を口にしたのか、俺にはもう、わからない。


「最近、変なメールが来たって」


 時間の感覚が抜け落ち、ノイズが走る意識の中で、


「……会いに行く。どうせ、休暇はまだ長いし」


 その言葉が聞けたことを、


「あの人……ロッド兄さん、今どこに住んでるの?」


 その質問が彼の口から出たことを、

 後悔したのか、喜んだのか……


 ただ、胸が、熱くなった。




 ***




「兄さん」って、不思議な言葉だよな。

 そう呼ばれるのを聞くと、そうやって頼ってもらえると、自分が何をすればいいのかわかる。


「俺」が何者かもう分からなくたって、

 痛くて苦しくて辛くたって、

「兄さん」として振舞っていれば、日常を演じていられる。


 ……あんたも、そうだったのかな。

 ロジャー兄さん。




 ***




 いつの間にか、見覚えのある部屋に立っていた。

 ロッドが、パソコンの前で頭を抱えている。


「ロッド、ロブが悪夢にうなされてるって」


 俺が話しかけると、ロッドは目元にクマを作ったまま、振り返る。


「……俺も……変なメールが、来て……」


 ロッドは眠れていないようで、憔悴しきった顔をしていた。


「ロブが会いに行きたいって、言ってたよ」


 そう伝えると、ロッドは目を見開く。

 しばらく黙り込んで、「俺も……会いてぇ、かも」と呟いた。


「……アン」


 ……?

 突然、どうしたんだろう。ロッドは、「誰」を呼んでいるんだろう。

 ライトブラウンの瞳が俺を見つめ、震える指先が俺の顔へと伸びる。


「……ッ」


 頬に触れた瞬間、ロッドの手が強ばる。

 眼鏡を外すことなく、レンズが曇るのも濡れるのも構わず、彼は涙を溢れさせた。


 ゆっくりと、指先の温もりが頬から離れていく。

 脳裏に、「いつか」の記憶が……


 ……。…………。……………………。


「……悪ぃ、何でもねぇ……」


 あれ、俺……今……何、考えてたんだっけ。

 足元がふらつく。

 倒れそうになった俺を、ロッドが咄嗟に支えた……と、思うと、向こうの足ももつれて、2人して部屋の真ん中に倒れ込む。

 ちょうどベッドがあって、床に頭や体を打つことはなかった。


 涙に濡れたライトブラウンの瞳が、俺を見つめている。


「……軽すぎる……」


 震える声で、ロッドはそう言った。暗い部屋に、嗚咽が響く。

 頬に落ちてくる涙。胸の奥が、痛みを訴え始める。身体は動かない。湧き上がる「何か」を処理できずに、思考が白ずんでいく。


 ××××る。


 やがて、ブレーカーが落ちるみたいに、意識が途絶えた。

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