21. 欠落

「……ところで、さ。君……大丈夫?」

「……? 何が?」


 あおい瞳がいぶかしげにこちらを見つめている。大丈夫かどうか……って聞かれると、分からない。

 大丈夫って、どういう状態だろう。平気かどうかって聞かれると、平気な気はするけど。


「明らかにやばい状態だったでしょ、さっき」

「そうかなぁ……」


 よく覚えてないから分からない。さっき……何してたっけ、俺。


「まあいいや。さっきぶりだね」

「……?」

「……えっ、覚えてないの?」


 蒼い瞳がきょとんと丸くなる。

 どこかで出会ったのだろうか。さっぱり記憶にない。


「……やっぱり大丈夫じゃないよね」


 なんでこの人、こんなに気まずそうに接するんだろう。


「心配されるようなこと、何もないんだけどな……」

「嘘でしょ……」


 俺の言葉に、男は愕然がくぜんとする。


「……えと」


 隣に立つ、別の影が声を上げる。虚ろなスカイブルーの隻眼せきがんが、俺を見た。

 ふわりと吹き抜けた風が長い前髪を揺らし、わずかに持ち上げる。


「痛い、の……」


 片目を潰した傷があらわになる。


「もう、治った?」


 幼子のような声で、青年は問う。

 身体の奥で、何かが、きしむ。


「僕、は……平気、だから……」


 たどたどしい声音が、心に染み入ってくる。

 ……受け入れてしまう。


「ちゃんと、出した方……が、いい……」


 そして、触れた。

 この野郎。そこは、ちゃんと、蓋をして、隠して、我慢して、忘れて、見なかったことにして、だから、耐えられているのに、クソ、この、やろう


「ブライアン!!」


 気が付けば、スカイブルーの視線は逸らされていた。

 亜麻色の長髪が地面に倒れ伏し、うめき声を上げている。


「……え?」


 もしかして、俺が、殴った?


「……笑ったまま手が出るのは、全然大丈夫じゃないよね」


 倒れた方を助け起こしながら、そいつは静かに告げた。


「弟を殴られるのはいい気分じゃないし……ちょっと、落ち着いて欲しいかな」


 弟を殴られるのは、そりゃあ、嫌だよな。

 弟を傷つけるのは、そりゃあ…………悪いことだよ。


「まあでも気持ちは分かるよ。触っちゃいけないってさっきも言ったのに……」

「……苦しそう、だから、助けたくて」


 しゅんとした表情が、「善意」を伝えてくる。

 胸の奥が、電流が走ったかのように痛んだ。


「……ホントに大丈夫?」

「大丈夫だよ、こっちこそごめん」

「いや、その……」


 言いにくそうに、相手は口ごもる。

 ディープブルーの瞳が泳ぐ。


言われてもね……?」


 意識が遠のく。

 相手の言葉が、意味をなさない音の羅列へと変わっていく。


「別に、平気だよ」


 いつも通りに笑顔を浮かべたのは、そうするのが「ローランド」らしいからだろう。


「……ええ……?」


 それだけ告げて、相手はしばし黙り込んだ。

 沈黙が流れる。俺は、どうするべきだろう。沈黙は相手が考えている合図だから、静かに様子を見るのが「いつもの俺」だったっけ。


「何? 多重人格状態になってるの? で、今は自己犠牲的で献身的な人格が表に出てるってこと?」

「……? 何の話?」

「ああー……。でもさ、そういうのって自覚ないこと多いらしいし、分からなくても仕方ないでしょ」


 人格。自己。自我。自分。単語に気を取られて、言葉が耳に入らない。

 血塗れの線路が、脳裏に点滅するよう浮かび上がる。喉元までせり上がった叫びを飲み込んで、「俺」が保てるように次の対応を考える。

 どうするのが「俺」らしいのかを、推測する。


「とりあえず……名前はローランドくんであってる? ブライアンが君の弟……義弟だったかな。まあ、ともかく、ロデリックくんとメル友で助かったよ」

「そうなんだ。ロッドと仲良くしてくれてありがとう」


 にこりと微笑み、「兄」らしい言葉を紡ぐ。俺はロッドの義兄で、兄替わり。……兄に恵まれなかったロデリック・アンダーソンの、兄替わり。

 それが間違いだったとしても、触れてはいけない傷がそこにはある。壊してはいけない何かと、壊れてしまった何かが警笛を鳴らし続けている。


「……えと……」

「ブライアン。心配なのはわかるけど、今はちょっと黙ってて」

「ごめんなさい」

「いや、別に謝らなくていいんだけど……。……レヴィくんがいてくれたらなあ……」


 亜麻色の髪の青年2人と、軍服の青年が湖畔こはんのような場所にたたずんでいる。やがて亜麻色の短い髪の方、背丈の低い方が手を差し出す。


「……それはそうとして、話を聞きたいんだよね。大事な情報があるかもだしさ」


 その手を握り、軍服の青年は立ち上がる。


「いいよ、役に立つかどうかはわからないけど……」


 軍服の青年……ローランドはにこりと笑って頷いた。

 ……あ、違う。それが俺だ。「ローランド」が「俺」……だった、よな……?


 ──ローランド


「……あ」


 ──来なさい


「え? どうしたの?」

「……?」


 呼ばれた。他の誰にも聞こえていなくても、俺には聞こえる。しかも、これは……

 絶対に、行かなきゃいけないたぐいの「声」だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る