20. 敗者の街

 ぐらぐらと意識が揺れている。

 他者に望まれた「俺」、苦しみ悶えすべてを恨む「俺」。どちらでもない「俺」……。

 砕けた自我が再び形を取り戻していく。

 ……噛み合えば噛み合うほど、苦痛が俺の意識を苛む。


「……ローランド、さん……だっけ……。大丈夫……?」


 白い指が頬を撫ぜる。

 ローランド……名前……? 俺の……名前、だよな……?

 自分のこともまだわからないのに、目の前の相手のことなんて、分かるはずがない。……でも、さっき、名前を知ったような気も……。


 亜麻色の長髪が揺れる。あどけない顔つきの青年は、俺の頬に触れ、顔を覗き込んだ。


 ──ああ、可愛い子だ


「……ッ!?」


 思わずその手を跳ね除け、距離を取る。

 記憶の蓋がぐらつき、思い出したくもない声が思考を支配する。


「……どうした……の?」


 ──どうしたんだい、ローランド。……いや……


 青年はきょとんと首をかしげ、呑気に近付いてくる。やめろ、来るな、来るな、来るな、やめ、嫌だ、嫌だ嫌だ、気持ち悪い、気持ち悪い、……怖い……


「触るなッ!!!」


 視界から亜麻色が消える。人影が消える。……はぁ、はぁ、と荒い息が漏れる。痛みが、感情が濁流のように脳髄に氾濫する。


「お前も苦しめよ!! ぼく達が苦しんだ分だけ……ッ」


 自分でない声音が喉から漏れる。俺の感情と混ざった「誰か」が、俺の肉体の外へ溢れだそうと暴れる「何か」が、俺の喉を、俺の声を支配する。


「……ごめん、なさい」

「ちが、謝るな、俺じゃな……う、ぐ、ゲホッ、ちくしょう……俺から離れろよぉぉぉおおおおッ」


 痛い。苦しい。憎い。うらめしい。悲しい。つらい。怖い。寂しい。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……俺は、俺はただ…………


「あの日々が……ロブが……ロッドが……兄さん達が……みんなが、大事だっただけ……」


 意識が掻き消えていく。真っ白になって、痛みも、何もかもが消えていく。

 俺は誰?

 俺は何?

 誰が俺?

 何が俺?

 わからない。わからない。わからない、から……


「は、はは、これで、もう……痛くない……」


 なんでもいいや。


「……あー、やっぱり、分裂してるんだね……」


 誰かの声がする。亜麻色の髪が、もう1人、近付いてくる。目の前にいる方より小柄なのはわかる。


「ブライアン、下手に触ったらダメだよ。……今、必死にはずだから」


 その声に、コクリとでかい方の亜麻色が頷く。

 深海のようなディープブルーが俺を見つめる。どこかで会った気がする。……嫌な思い出がある気がする。

 まあいいや。別に、大したことじゃないだろうし。


「……その状態でよく笑えるよね……」

「何が?」

「……んー、まあいいか。君、メールに「街」って書いてたでしょ。この空間に心当たりでもあるの?」


 メール?

 なんか、送ったっけ。……送った気もする。

 街? この空間? どの空間?

 尋ねられてる。困ってる。

 ……ああ、そうだな。困ってる人を助けるのは、当たり前だ。


 いつも、してきたことじゃないか。


「地元に……敗者の街……って、噂があって」


 俺の地元はロンドンの郊外、ビリングフォード……だったっけ。

 元々貴族だった家系が住む街だけど……大体のが落ち目だから、こうも呼ばれた。


 まるで敗者の街だ。


 元々、その噂は違う色を持っていた。

 敗者の街は、「存在しない街」だった。


 ──ロブ、悪さをしたら「敗者の街」に連れていかれるよ。

 ──ど、どんな街?

 ──とても怖い場所。悪い人たちがたくさんいるんだって。……だから、連れていかれる前に早く寝なよ。


 いつまでも遊ぼうとする弟に、でまかせを言ったことがある。

 そういう、何かと街だった。


「……ふーん? その噂の「街」にここが似てるってことかな」


 青年は考え込み、キョロキョロと周りを見回した。


「本当にそうかは……わからないけど」

「今は真実なんてどうでもいいよ。大事なのは……この現象にこと」


 意味ありげに呟いて、彼はニヤリと笑った。


「……って、サワが言ってた」

「……意味は、わかってるの?」

「全然? まあこれから分かっていけばいいし、大丈夫でしょ」


 …………。

 まあ……自信がありそうだし……それでいいか……。

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