第1章 Come in the Rain

19. To Roderick

「……大丈夫?」


 誰の声だろう。……ここは、どこだろう。

 木漏れ日が眩しい。湖畔の風が頬を撫ぜる。


「僕の……えと、名前は……ブライアン」


 亜麻色の柔らかい髪が頬に触れる。碧い瞳が、泣き出しそうに俺を見つめている。

 ブライアンと名乗った青年は、そっと、俺に小さな機械を手渡した。


「使い方、わかる……?」


 おれは、指先ひとつすら動かせない。答える代わりに、血の塊を吐き出したのがわかる。


「あ……えっと……」


 ブライアンは狼狽えたように呟き、俺の手を開いてそれを握らせた。

 まだ、何か、自分じゃないものが潜んでいる。……それが何かは、わからない。

 そもそもどこまでが「自分」なのか、もう、僕にはわからない。


「……ろ、っど……」


 今にもぼろぼろと肉が崩れそうな指先が、画面に触れる。

 ……小さな液晶に、そのSOSが浮かんでいく。


 頭で考える余裕はなく、ただ、思うままにキース・サリンジャーとしての言葉を綴る。



 ***



 ロッド、まずいことになったんだ。

 君まで巻き込んでしまうかも知れなくて、本当にごめん。



 たぶん、僕は殺される。誰にかはわからないけど、心当たりは何人かいる。



 ***



 以前から俺を虐げていた義兄の声が、呪詛を紡ぐ祭祀の声が、自我をぐらつかせる。

 ……それでも、抗え、と、俺に手を差し伸べた赤の他人を思う。

 今もこうして、私を手助けしようとしてくれている存在を思う。

 その名前を綴ると、ぼくの肩に添えられた手がぴくりと震える。



 ***



 後、できるなら頼みがある。レヴィと、ブライアンだけは助けて欲しい。僕の、切実な望みなんだ。



 ***



 続けて、どうにかそれらしく言葉を続ける。



 ***



 恐ろしいのは、街じゃない。

 本当に怖いのは負の感情そのものだ。

 ロッド、僕は君を信頼して希望を託すことにする。……できることなら、君に直接会ってみたかった。



 ***



 ……できることなら、本当にできることなら……

 また、君と心を通わせたかった。こんな張りぼてじゃない、本当の姿で……



 思考にヒビが入る。感情が痛みにかき消されていく。


「……ロデリック、ごめんね……」


 その謝罪には、少し、カチンときた。

 何が「ごめんね」だ。巻き込むと決めたのは俺だ。他人がわざわざ謝ることじゃない。……謝るべきなのは、俺一人だ。


 情報が足りない気がして、真ん中に書き添える。

 ロナルド・アンダーソンあたりは間違いなく信用できない。

 そして……「俺」は、間違いなく信じちゃいけない。

 俺……俺は……俺の名前は……



 ***



 頭文字でしか言えないけど、候補は全員名前にRかAが入ってる。あ、苗字も! 偽名を名乗る奴もいるし、本当に気を付けてくれ。



 ***



 ぼろりと指先が骨に変わった。……と、思ったら、また実体を持つ。勝手に指が動いて、最後の一行が綴られた。



 ***



 ……ごめんなさい。ぼく、なにもできなかった……



 ***



 この感情は、僕の想いは、誰のものだろう。

 ……草むらにスマートフォンが落ちる。


 ブレーキの音が記憶の底から蘇り、意識を揺さぶる。


 ──ロッド、俺、殺される……いや、違、殺されてる……!


 諦めたはずのSOSの続きが、画面に表示されている。

 そのまま画面が乱れ、砂嵐のようになって、文字が崩れていく。


 ……だけど、なぜか「届いた」と確信できた。




 "no title

 from:Keith〈Keith-BPB@GGmail.kom〉

 2016/11/23 16:16"……

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