第10話 んじゃあ行きますか!

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「さぁって! 準備は良いかお前らぁ!」


 時刻は夕暮れ。空が暗くなり始めた頃。

 場所は池袋東口。


 レベリングを終えたホームメンバーの中から戦闘力の高い順に選出した十名の前で、大河タイガは楽しそうに声を張り上げた。


「……うるさい。なんでそんな嬉しそうなのアンタ」


 トレッキングブーツの紐を締めながら、綾乃アヤノがソレを冷ややかな目で見て溜息を零す。


「あぁん? この三週間、お前ら雑魚どもを鍛えなきゃいけないってイライラしてたからだよチンパン娘。くくくっ」


 黒いタートルネックのフリースと、こちらも黒を基調とした迷彩柄のカーゴパンツを身につけた大河は、丁度ひざまづくように靴紐を結ぶ綾乃を見下ろして鼻を鳴らした。


「だからチンパンって言うな! このっ、馬鹿!」


 勢い良く立ち上がりながら小石を拾い、綾乃は大河に投げつけた。


「キーキーキーキーうるせぇなぁ」


 それを軽く躱して、タイガは右手に持つ赤く捻れた大剣を肩に担ぐ。


「新月の夜だから化物モンスターが出ないって分かってるけれど、なんだかやっぱり怖い場所になっちゃったわね」


 瓦礫とゴミが散乱した池袋駅東口前をぐるりと見回して、陽子《ヨウコ》が独言る。


「昔は夜でも歩きづらいほど人で溢れてたんだけどなぁ」


 その独り言をこっそり聞いていた隣に立つ高原が、両腕を組みながらうんうんと頷く。


「高原さんは、『終末週間ラストウィーク』の時池袋に居たんでしたっけ?」


「ああ、会社に出勤しようとしてた時でね。マイサンシャイン通りのゲーセンの前で大きな蜘蛛の化物モンスターに襲われたんだ。いやぁ、怖かったなぁ」


 陽子の問いに答える高原の顔が青ざめる。

 この東京が崩壊するきっかけとなった一週間。

 その最初の日は、月曜日で晴天の日だった。


「俺もそうっすね。朝飯にファミレス行こうと思って歩いてたら、もう大きいのから小さいのから蜘蛛がワラワラと」


 口を挟んだのはホームでも若手の部類に入る若い男だ。

 名前を入間いるまと言い、男手の不足しがちなホームで重宝されている男である。


「目の前で人がぼりぼり食われる様をたくさん見ちまったからなぁ。今でも自分が生きてることが不思議でたまらねえ」


「……俺、今でもたまに夢に見ちゃいますよ」


 苦笑いを浮かべながら、高原と入間は顔を見合わせる。

 日常が非日常に。非日常が日常へと変わったあの日、多くの人がその体に––––––そして精神に傷を負った。


 高原や入間のような経験は、大なり小なり皆経験している。

 あの日この東京で命の危機を感じなかった者は一人もいないし、人の死を目撃しなかった者も一人もいない。

 それは、小さな子供ですら同じこと。


「はいはい、くっちゃべってないで行くよ行くよー。朝までに帰りたいんだろ?」


 手をパンパンと叩きながら、大河は荒れ果てた無人の池袋東口をずんずんと歩き出す。


 新月の日––––––つまり日曜日。

 一週間で唯一訪れる人間にとっての安息の日。

 化物が一切出現しなくなるのは、空が暗くなって太陽が昇るまでだ。


 月曜日になれば、日中は普通に化物が現れ、夜になれば通常より多くそして強力な個体が現れ始める。


 何か目的があってホームから出るにはうってつけの日だが、少しでも帰るのが遅くなれば命の保証がかなり薄くなってしまう。


「ちょっと! ユアマイサンシャインはそっちじゃないってば!」


 まるで見当違いな方向に向かう大河を綾乃の声が止める。


「お? どっちだ?」


 キョロキョロと辺りを見渡す大河。


「大河くん、アレよアレ。アレがユアマイサンシャイン」


 陽子が指指した方向に、高いビルが立ち並ぶ池袋においても一際高い高層ビルが堂々とそびえ立っている。


 ユアマイサンシャイン60。


 その名の示す通り、地上60階建ての商業兼オフィスビル。


 併設されたホテルや劇場、さらにはイベントに使われる広場の面積を合わせれば、かなりの敷地面積も有している。


 かつてはこのターミナル駅を象徴するランドマーク。

 今は常に化物が溢れる異形魔城。


 だがその姿は、かつての威風堂々とした佇まいをなおも残した、立派な物だった。




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 十名がそれぞれ周囲を警戒しながら、目的地までの道のりを歩く。


「ふんふーん。ふふーん」


 先頭に立つ大河は鼻歌まじりに大剣をぶんぶんと揺らしていて、緊張感のカケラもない。


 綾乃はその少し後ろを歩きながら、大河の背中をじっと見る。


(ほんとに、コイツなんなんだろう)


 この三週間。

 綾乃は大河と常に共に在った。


 ホームメンバーのレベル上げは毎日休まず行われていたが、同行する人は毎日入れ替わっていた。

 それなのに綾乃だけ、三週間一切休みがなかった。


 そのおかげで––––––そのせいでとも言えるが、綾乃の現在のレベルは21。


 大河と最初にあった日に比べれば、使える魔法の数は倍になり、抜刀アクティブ状態の能力値ステータスは比較にもならない。


『冒険の書』には記載されない能力値ステータスは、完全に個人個人の感覚でしか知ることができない。


 綾乃が一番強く痛感したのは、最大魔力だ。


 かつては『爆発エクスプロード』一発で立つこともままならないほど疲弊していたのに、今では五発までは余裕を持って使うことができる。


 儀式剣ブルー・アイ自体の攻撃力も目に見えて増えており、今の綾乃は陽子と大河を除いたこの十名の中でも、最上位の実力を持っている。


 かつては苦戦していた街の化物フィールドモンスターを、一撃で葬ることができたのは自分でも驚きだった。


 綾乃にとっては認めたくないことだが、どう考えても大河のおかげだ。


 この口と態度と性格の悪い男は、聞けば自分と同い年の16歳。

 身長はかろうじて綾乃の方が上だが、その体格は立派な男性だった。


 能力値ステータスを解放した『抜刀アクティブ』状態では言うまでもなく、剣を抜いてなくても鍛え上げられていた。


 三週間。

 その間に綾乃は何度と死を覚悟したし、精根尽き果てて立てなくなることも多かったが、かろうじて死ぬことも大きな怪我をすることも無かった。


 あーだこうだと悪態を吐き、やることなすこと人を煽り挑発して怒らせる大河であったが、なんだかんだで面倒見は良いらしい。


 どんな混乱した状態でも常に周囲のメンバーの動向を確認して、いざとなれば自分の身体を盾にしてでも守ってくれた。


 だからと言って、綾乃の大河に対する好感度は地を這うレベルで最低である。


 朝に出発してからホームに帰る夕暮れ時まで常に罵倒され、弱音を吐こうものなら信じられないぐらいの悪態をつかれれば、そうなっても仕方のないことだろう。


 だけどギリギリのところで、なぜか綾乃は大河を嫌いきれない。


 限りなくゼロに近い好感度の、最後の1が減らせない。


 綾乃自身にも何故かはわからない。


 時折見せる悲しそうな顔のせいなのか、それとも子供達にだけ見せる笑顔のせいなのか。


 その答えを見つけられないから、綾乃は大河の背中を見続ける。


 歳の割に発達した背中の筋肉の盛り上がりを、その小さな身長と反比例して態度の大きな動きを、綾乃は見続ける。


 しばらく歩き続けていると、高速道路の高架が見えてきた。


 首都高速都心環状5号線。


 かつてこの東京の動脈として多くの車が走り抜けたその道は、今は崩れ倒れでいて見る影もない。


 うず高く積まれた瓦礫の向こうに、目的地であるユアマイサンシャイン60が顔を見せる。


(昔は……友達と来たなぁ)


 三年前、まだ中学生だった頃の記憶を探る。


 あまり同性の––––––異性はそもそも皆無だったが––––––友達が居なかった綾乃にとって、数少ない親友。


 生きてるのか死んでいるのかも分からない。


 休みの日になれば精一杯のオシャレをして、お互いの服を褒めあったり、ダメ出しをしたり––––––可愛らしい恋愛話や、たわいない話をしながらこの道を歩いた。


 あの頃の記憶を思い出すと、思わず泣きそうになる。


 込み上げてくる涙を止める為に、綾乃は頭を軽く振る。


 自分で切った前髪と、後ろでひとくくりにまとめたしっぽが揺れた。


 綾乃には目的がある。


 そのためには、いずれ今のホームを出て、一人この東京を旅しなければならない。


 陽子や美羽、それに他の優しいメンバーや子供達と別れるのは確かに辛い。


 辛いけれど、それでも綾乃には目的があるのだ。


 大河によるこの三週間は、正直に言えば有難い日々だった。


 強くならねば、生き残れない。


 だけど強くなるために足りない物は多かった。


 化物と対峙する勇気、場数を踏むことで蓄積する経験、そして一人で生き抜くための最低限の強さ。


 喉から手が出るほど欲しく、だけど命惜しさに踏み込めなかった領域。

 そこに容易く踏み込めたのは、間違いなく大河と言う存在が心強かったからだ。


 感謝は、している。


 だが悔しいから、口に出すことなど永遠にないだろう。


 目の前をずんずんと歩く、偉そうなこの男は––––––たぶんそんなこと、望んでいないとも思うのだ。




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「見える?」


 二車線の車道を挟んだ歩道に10人、身を屈めている。


 見ているのは反対側の歩道の更に向こうにある、大きな広場とその先の階段だ。


 ユアマイサンシャインの入り口は建物の四方にいくつかあるが、どれもこれも土砂と瓦礫に埋もれていて使えなかった。


 地上1階部分全ての入り口が使えないとするならば、あとは広場の先の階段を登った二階部分の大きな入り口だろう。


「ここでこうしててもしょうがねぇんだ。行くしかないだろうが」


 歩道に敷設されているガードレールを大きく飛び越えて、大河は手動に躍り出る。


「そうは言っても、どこからダンジョンの範囲内なのか分からないじゃん。もしかしたらあの階段を登ったら化物が遅いかかってくるかも知れないし」


「大丈夫だよ。ダンジョンの範囲はかなりきっちり決められてるから。そこを超えない限り、内部の化物は襲ってこないって」


 歩道に植樹された大きめの木の影に隠れていた綾乃の言葉に、大河はさも当然のように答える。


「なんでそんなこと知ってるのさ」


「どうでもいいだろそんなこと」


「むぅ」


 軽くあしらわれてむくれる綾乃の頭を陽子の手が優しく置かれる。


「まあ、時間もないしね。ほらみんな行くわよ」


 その言葉にようやく、皆がゆっくりと動き出す。


 この三週間で鍛え上げられたとは言え、もともと誰も争いとは無縁の人生を歩んできた代表的な日本の一般市民だ。


 向かう先に逃れられぬ戦いがあるとわかっていて、怯えるなと言う方が無理がある。


「最終かくにーん」


 ひょいひょいと大股で車道を横切り、反対側の歩道のガードレールを勢いよく跳びながら乗り越えた大河が軽い調子で声を上げる。


「先頭は俺。最後尾は陽子さん。中央にチンパン。どんなに隊列が乱れても、この陣形だけは守ってくれよ?」


「チンパンって言うなってば!」


「落ち着いて綾乃ちゃん」


 激昂する綾乃を陽子が制する。


「このダンジョン、名前の通り60階層しか無いのであれば俺が前に潜ったダンジョンと比べて難易度はかなり低い。ほとんどの化物モンスターはかなり弱いはずだ。俺にとってはね?」


 広場を抜けて階段の一段目を踏んだ大河が、くるりと向きを変えて一行を見る。


「それでも初めて戦う化物だ。初見じゃ少しだけ苦戦する可能性もある。それにダンジョン内じゃあ、基本的には敵に囲まれた状態で戦闘することになるから、集団を分断されたら俺でもすぐには助けに行けない」


 真っ赤な、そして大きく捻れた大剣を水平に構え、その切っ先を一人一人に向ける。


「それに俺の持つスキルは基本的に威力高めの範囲の広い技ばかりだから、巻き添え食らったらアンタらじゃ助からない」


 ニヤリと広角をあげて、人の悪い笑みを浮かべる。


「だからコンパクトに密集して行動すること。それなら俺はその周りをぐるぐるできるし、遠距離技メインのチンパンの魔法ぶっぱも活きる。陽子さんなら他の奴より対処も出来るだろうし」


「またチンパンって……っ! こいつぅ……こいつぅっ……っ!」


 ギリギラと歯を噛みしめる綾乃をなだめながら、陽子や他のメンバーは静かに頷いた。


 経験値と場数で言えば、大河のソレは自分達の遥か先を行っている。


 社会的な人生経験を誇れる時代は終わってしまった。


 遥かに年下の大河に従うことに抵抗が無いわけでは無いが、その目で見た恐ろしいまでの強さが彼らを納得させている。


「わかったところで、んじゃあ行きますか!」


 正面に向き直し、二段飛ばしで階段を登るその姿は紛れもなく年相応の若者の姿。


「もう! 勝手に先に入って行かないでよね!」


 プリプリと怒りながら、綾乃は大河の後を追う。


 陽子と他のメンバーは困ったように笑いながら顔を見合わして、続けて階段を登り始めた。


 高校一年生、自分達がその年の頃は––––––平和な日々を存分に享受し、そして例外はあるものの社会に守られて育ってきた。


 大河、そして綾乃の世代にはもうソレは望めない。


 彼ら、彼女らはこの壊れた世界で––––––必死に生きて行かねばならないのだ。


 それはとても可哀想なことで、とても辛いこと。


 かつて子供だった大人達は、若い二人になんて言葉をかければ良いのか分からない。


 もう自分達の経験則から偉そうに御高説を垂れることなど、できないのだから。

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