第9話ガキの面倒なんざ見れねぇよ

 

 飲み水確保の為のダンジョン攻略は、結局直ぐには開始できなかった。


 ヨウコの率いるこのホームには、絶望的に戦力が足りていなかったからだ。


 ホームのブレイン二人––––––ヨウコとミウは打開策として、タイガ指導の元での戦力の増強を図った。


 要するに、ホームメンバーのレベリングである。


 シニア・アダルト・ミドルを三グループに均等に分けて、比較的討伐の容易な化物モンスターが出現するエリアを一日掛けて歩き回り、経験も技量もレベルも足りないホームメンバーを育成し始めた。


 タイガは頑なに『冒険の書』を皆に開示する事を断っていたが、その力量はホームにいる全ての住人を足してもまだ足元にも及ばない程強く、外に出る事を恐る女衆を納得させるほどだった。


 特に男衆を中心としてレベリングには賛成で、士気もやる気も高く、この二週間目立った問題は起きてはいない。


「ただいまー!」


「おかえりタカちゃん、ユキちゃん」


 ホームの入り口、つまり小学校の校門の前で、元気に走り回る二人の子供達をヨウコが優しく抱き寄せて出迎えた。


「大丈夫だった? 怪我とかしてない?」


「うん! タイガ兄ちゃん凄かったんだぜ! ドスコイ・フロッグがあっという間に真っ二つだった!」


「あのねあのね! ユキね! 新しい魔法使えるようになったよ!」


 歳の頃で言えば小学校低学年のタカヒロとユキは、ヨウコの腰に無邪気に抱きつき、嬉しそうに今日の出来事を報告する。


「そう! 凄いじゃない! 後で私に見せてくれる?」


「うん!」


 ユキは満面の笑みを浮かべてヨウコの顔を見上げ、大きく首を縦に振る。


「ヨウコ姉ちゃん! 俺も俺も! 新しいスキル覚えた!」


「あら! タカちゃんも頼もしくなっちゃって!」


 側から見たら、まるで保育士と園児のように見える。


 このホームには、大人の倍の数の子供達が暮らしている。

 親を亡くした子、親と逸れた子、親と共に避難して来た子。

 それぞれ事情は違うけれど、皆元気で朗らかに暮らしていた。

 それもこれも、ヨウコがホームのメンバーから慕われている証拠である。


 このホームに収容できる人数は、建物の大きさに比例して多い––––––とは言えない。

 なにしろ物資が無い。

 屋上と校庭脇に造った畑で採れる野菜は、現時点でも全員に行き渡るほどの量ではなく、問題となっている飲み水の件もあって、多くて五十人。

 それでもかなり無理をしないといけないほど、このコミュニティは困窮しているのだ。


 だがヨウコはその人柄と手腕を持って、このコミュニティのメンバーの信頼を集めた。


 他のコミュニティではこうも行かない。

 少ない物資を巡って内紛が起きたり、子供を跳ね除けて大人が幅を利かせていたりと、混沌を極めている。


 ヨウコはまず、子供達の保護を優先したコミュニティ作りを行った。

 自衛の手段を持たない大人達より更に危ない子供達を守る事を、メンバー一人一人に説き伏せた。


 物資や飲み水は子供優先。


 主食となる化物モンスターの肉も、もちろん子供達の分から確保して––––––どうにかこうにか今日までコミュニティを維持して来たのだ。


「今日は疲れたでしょう? お湯沸かしてあるから、まずはお風呂入って来なさいな」


「うん!」


「あとでユキの魔法見せてあげるね!」


 ヨウコに背中を優しく押されて、子供達は嬉しそうに校舎の中へと入っていった。


 それを見守るヨウコの表情は姉の様に––––––母の様に慈悲に溢れている。


「––––––タイガくんも、お疲れ様。ありがとうね?」


「––––––もう勘弁してくれよ。ガキの面倒なんざ見れねぇよ俺」


 校門の門扉に背中を預け、タイガは不貞腐れながらヨウコに悪態をつく。


「他のみんなは?」


「遅えから置いて来た。もう見えるよ」


 校門から続く細い道の向こうを親指で指して、タイガは門扉から体を離す。


「先に行くなって言っても聞かねぇんだもん。あのガキンチョ供」


「うふふっ、よっぽどレベルアップした事が嬉しかったのね。今日の成果は?」


「アヤノが後から引きずって来るから、受け取ってやってよ。俺は疲れたから寝る」


 ぶっきらぼうにそう答えると、タイガは校舎に向かって歩き出した。

 疲れたと言う割に、その歩きに一切の乱れは無い。


 タイガ程のレベルならば、街の化物フィールドモンスターを何匹倒そうと苦でも何でもない。

 疲労したのは精神。


 足手まといを複数人抱えながら、自分がトドメを刺さぬよう気を使って戦った事が一番堪えたのだろう。


「はいはい。ご苦労様」


 その背中を笑って見送って、ヨウコは校門の外側を見る。


 遥か向こうに数人の影。


 タイガが言う通り、全員で何か大きな物を引きずりながら、アヤノ達が帰ってきたのだ。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「はぁっ、はぁっ!! あ、あのやろう……っ! 本当に一回も手伝わないなんてっ!」


 息も絶え絶えに地面に座り込み、アヤノが怒気をあらわに大声で喚いた。


「まっ、まあそうっ、言うなってアヤノちゃん。はぁっ、ぜぇ、ひぃ」


「ぜぇっ、ぐへぇっ、こっ、コイツ仕留めたのっ、タイガくんなんだしっ、文句は言えねぇよ」


 アヤノと同じ様に、三名の男性が大きなカエル型の化物モンスターを囲んで荒く息を吐いている。


「たっ、たった四人で運べるわけっ! 無いじゃないっ! こんな大っきいの!!」


 アヤノがべしべしとカエルの死体を叩く。

 下腹部が大きく膨らんだ、緑色の体。水かきを有した手足。滑り気のあるツルツルとした皮膚は、そのサイズを百分の一にまで小さくしたら、間違いなく常識的なカエルの姿になるだろう。


「は、運べちまったなぁ」


「レベルが上がったらこんな事まで出来るんだな。いや、我ながら信じらんないや」


「めちゃくちゃ戦ったし、倒したもんなぁ……化物モンスター


 男三人がカエルを見上げて感嘆の息を漏らした。


「大きいわねぇ……これなら、一週間は狩りに出なくて済みそうね」


「ヨウコ姉さん! 聞いてよあのバカのこと!」


 ガバッと勢いよく立ち上がり、アヤノがヨウコの肩を掴んで揺らした。


 腕に篭った強い力は、全てタイガへの怒りゆえ。


 かつてはクールビューティーと影で評されていたアヤノの姿が、今やどこにも無い。


「おっ、お疲れ様ぁ。大変だったみたいねアヤノちゃん」


「大変どころの話じゃないよ! あの男っ! わざわざ遠くに居た化物モンスター呼び寄せたりっ、せっかく寝てた化物起こしたりっ! マトモじゃないよあいつ頭おかしい!!」


「あはは……」


 苦笑いを浮かべながら、ヨウコはアヤノのストレスを全て受け止める。

 大きく揺さぶられた体とともに、その大きな胸部もまたユッサユッサと揺れた。


「そもそもさぁ! なんで私だけ休み無いの!? 他の人達は一回出たら2日休みあげてるのにっ、なんで私だけ毎日毎日!! 」


「しょ、しょうがないじゃない? だって魔術師ソーサラーが新しい魔法を覚えるのには、高いレベルが必要なんでしょう?」


「そうだとしても酷いよ! もう嫌なの! あの男の嫌味を聞きながら怖い思いをするのはもう嫌ぁ!!」


 切れ長の目尻に涙を浮かべながら、アヤノはヨウコの胸に縋り付いた。


 鼻を鳴らして嗚咽していると言うことは、本当に嫌なのだろう。


 可哀想な妹分の頭を撫でながら、ヨウコは他の三人の顔を見る。


 皆酷く疲れている。


 このコミュニティでも若手の部類に入る三人の男性が、その顔から疲労の色を隠しきれていない。


「で、どんな感じ? レベルアップできた?」


「ええ、そりゃあもう。俺なんか12まで上がっちゃいましたよ」


「俺もっす。朝ここを出た時は5だったのが、今じゃ10っすからね」


「僕もそんぐらいかな」


 ヨウコの問いかけに笑顔を浮かべて、三人がそれぞれ『冒険の書』を呼び出して広げた。


「タカヒロくんやユキちゃんも7レベルまで上がってます」


「やっぱ今の世界じゃ歳は関係ないんだなぁ。あんなちっこい子が朝の俺より強いなんて未だに信じられねぇよ」


「タイガくんもあの二人には気をかけてたみたいで、なんだか楽しそうでしたよ?」


「そうなの? 何だかんだ言ってもあの子、面倒見はいい方なのよね」


 口と態度はすこぶる悪いものの、タイガは誰一人見捨てたりはしていない。


 不機嫌そうにその口から悪態をつきながらも、一人一人のフォローはしっかりと行っていた。


 今の東京では、筋力量や体力は年齢と比例しない。


 どんなに幼くても、どんなに体格に恵まれていなくても、レベルさえ上がれば大人顔負けの腕力を発揮することができる。


 化物モンスターと真っ向から対峙し戦い勝つ事が出来さえすれば、誰しもに平等に力が与えられてしまう。


 ある意味で極めて平等で、ある意味では極めて不平等。


 それが今の世界なのだ。


「私1しか上がってないよ!? なんで!? みんな狡いよ!」


 情緒不安定気味なアヤノが、涙を撒き散らしながら声を上げた。


「貴女は昨日までで15まで上がっちゃってたんでしょう? 流石にもう、そう簡単には上がらなくなっちゃったのよ」


「こんなに頑張ってるのにぃ! ふぇええええんっ!」


 グリグリとヨウコの胸に額を擦り付け、アヤノは子供のように泣き続ける。


(この子、もっと大人しい子だったのにねぇ)


 ヨウコはこの二週間で劇的に幼くなった妹分の頭を撫でながら、東京の灰色の空を見上げた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「タイガ兄ちゃんの名前の漢字、どんな字?」


 そう言って男の子は、短い鉛筆とノートの切れ端を差し出す。


 夜半過ぎ、校舎2階の三年二組。


 天井から吊らされた三つのロウソクにスタンド傘をかけ、その室内はぼんやりとした灯に照らされている。


 この広い教室では、子供達が寝泊まりをしている。


 余所者であるタイガに個室なんか割り当てられる訳もなく、校舎の色んな場所で寝泊まりをしていたが、何故か今日はこの教室に留まっていた。



 ユウタと言う男の子に話しかけられたのは、窓に腰掛けて月を眺めていた時だ。


「あぁ?」


「俺最近、アヤノ姉ちゃんに漢字教えてもらってるんだ」


「明日にしろよ。ガキンチョはもう寝る時間だぞ?」


「タイガ兄ちゃんもガキンチョじゃん」


「このクソガキ……」


 こめかみをピクピクと痙攣させながら、タイガはユウタの頭を鷲掴んで大きく揺する。


「『大』きいに『河』で『大河』だ」


「かわ? 3本線の?」


「違う違う。さんずいに『許可』の『可』だって」


 ユウタから鉛筆を奪い取り、自分の膝の上で切れ端に字を書き込む。


「これで、タイガって読むの?」


「お前ぐらいの時にゃもうとっくに習ってんだろ?」


「習ってないよ。だって僕ら、一年生の時しか学校やってないもん」


「あぁ、そっか」


 もし『学校』と言うシステムが正常に機能していたら、ユウタは小学四年生。『|終末週間《ラストウィーク』が起こったのは三年前だ。


 政府も教育機関も、役所も店も何もかもがあの時消え去った。


 だから当然と言えば当然なんだが、今の子供達はマトモな教育を受けれていない。


「ほーらあんたらー! ロウソクも貴重なんだから、さっさと寝なさーい!」


 ガラガラと引き戸が音を立て、ヨウコがミウを引き連れて顔を出す。


 見回りを兼ねて、夜更かしをしている子供達を叱るためだ。


「わー! ヨウコ姉ちゃんが来たぞー!」


「おやすみなさーい!」


「えー、まだ僕眠くなーい!」


「俺は眠たい……」


「ミウお姉ちゃん! 絵本読んでー!」


 今まで教室中に散らばって遊んでいた子供達が、次々と布団に潜り込む。


 身体を傷めないようにと、布団の下には体育用の運動マット。


 特有のカビのような古臭い匂いも、子供達は慣れっこだ。


「あら、タイガくん。今日はここで寝るの?」


 珍しくタイガが子供達と一緒にいるところを目撃したミウが目を丸くした。


「じょーだん。別のとこ行くよ」


 窓から勢いよく身体を離し、右手をヒラヒラと揺らしてタイガは教室の入り口へと向かった。


 ホームのメンバーから譲ってもらった黒のカーゴパンツの両ポケットに行儀悪く手を突っ込み、欠伸を噛み殺す。


 なんとなく、子供達が気になった。


 昼にタカヒロやユキと触れ合ったからなのか、それとも別の理由があるのかはわからない。


 この過酷な時代に、健気に生きている子供達が––––––純粋に『子供』で居られる子供達が、少し羨ましかったのかもしれない。


 もうそれは、タイガには取り戻せないものだから。


「あら、これタイガくんの名前?」


「うん、教えてもらったー」


 ユウタがミウに見せびらかしたのは、先ほどの紙切れだった。


 綺麗に書けた事を褒めてもらい違ったのだろう。

 自慢気な顔は歳相応に幼くて、タイガは内心苦笑する。


「へー、やっぱりこんな字なのねー。うん、上手く書けてるじゃない」


「へへっ」


 ミウに頭を撫でられて、ユウタは嬉しそうにはにかんだ。


「ほらほら、ヨウコ姉ちゃん見て!」


「どれどれー?」


 続いて褒められようと、次はヨウコにノートの切れ端を広げて見せる。


 スレて捻くれたタイガにとってはなんだか気恥ずかしい空気になったので、急いで部屋を出ようと閉まっていた引き戸に手を掛けた。


 強く引いて開け、廊下に出て今度は扉を閉める。






「それにしても、珍しい苗字よねー」



 扉越しに聞こえた、ヨウコの言葉。



 月明かり灯る夜の廊下で、タイガはしばらく動けずにいた。

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